大倉草紙

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【兵庫】 黒田清輝展 (神戸市立小磯記念美術館)

2008年08月17日 23時56分29秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
本日の行程:(神戸新交通六甲アイランド線・アイランド北口駅) → 【黒田清輝展(神戸市立小磯美術館)】 → (神戸新交通六甲アイランド線・アイランド北口駅~阪神・梅田駅) → 【太融寺】


   
            神戸市立小磯記念美術館

神戸市立小磯記念美術館に、「黒田清輝展」を観に行く。
この美術館は、神戸で生まれ、神戸で制作を続けた洋画家・小磯良平の偉業を顕彰し、作品の収集、調査研究等を行っているそうだ。


   
              小磯良平のアトリエ

中庭には、移築・復元された小磯良平のアトリエがある。
アトリエは、その内部も見ることができる。

小磯良平は、藤島武二のもとで洋画を学んだ。
そして、藤島武二は、黒田清輝の後進画家である。
そのような繋がりがあるからか、今月末まで、約150点の作品を集めた、黒田清輝展が開かれている。


          

展示されている150点のなかには、展覧会のポスターにもなっている『湖畔』も、もちろん含まれている。
ほかには、『智・感・情』(1899)、『編物』(1890)、『赤髪の少女』(1892)、『花野』(1907-15)といった大作も目にすることができた。

興味深かったのは、『昔語り』。
完成作は焼失してしまったが、何パターンもの下絵が残っている。
会場には、30点の下絵が展示されていた。
人物ごとの下絵のみならず、手だけ、足だけといった下絵もあり、入念に制作に取り組んでいたさまが伺える。


          
               昔語り下絵(舞妓)
                (絵葉書より)


          
             高倉天皇後清閑寺陵

黒田清輝は、パリから帰国した直後の1893年秋に、京都へ旅をしている。
清閑寺で、僧侶から高倉天皇と小督の悲恋の話を聞き、作品制作のインスピレーションを得たようだ。
清閑寺の境内には、次のような札が立っている。


   

「黒田清輝『昔語り』
『昔語り』の着想を得たのは帰国直後の京都旅行(一八九三年)のことであった 清水寺付近を散策していて高倉天皇稜のほとりで清閑寺に立ちより寺の僧が語った小督悲恋の物語を聞いたとき黒田清輝は現実から離脱するような不思議な感動におそわれたという 作品は清閑寺山門から高倉天皇稜歌の中山道を背景に描かれ一八九八年に完成した 作品が焼失してしまった現在図の全体を知るにはこの下絵しかない」

この札の上には、『昔語り』の下絵の写真があるが、ガラスだったか、ビニールだったか失念したが、そのようなもので覆われていたので、光が反射して写真に撮ることができなかった。

清閑寺を訪れたときから気になっていた『昔語り』の下絵をまとめて見ることができたのは、きょうの大きな収穫だった。


今日の歩数:5,965歩

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