大倉草紙

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【京都】 二條陣屋

2009年07月16日 21時00分00秒 | 旅 - 京都府
2月11日(水)
当日の行程:(京都バス・大原) → 【初午大根焚き(三千院)】 → (京都バス・大原~高野車庫…京都市バス〔206〕・高野橋東詰~東山七条) → 【京都御所ゆかりの至宝(京都国立博物館)】【智積院】 → (京都市バス〔206〕・東山七条~東山三条…京都市地下鉄・東山~二条城前) → 【神泉苑】【二條陣屋】 → (京都市地下鉄・二条城前~丸太町) → 【京都御苑 ①


「二條陣屋(重要文化財小川家住宅)
 豊臣秀吉に仕えて伊予今治(現在の愛媛県)七万石の城主となった小川土佐守祐忠(おがわとさのかみすけただ)は、関が原の合戦に敗れて出家し、その長男千橘(せんきつ)が、萬屋平右衛門と名乗って、この地で米穀商、両替商及び木薬屋を業とした。この建物は、その住宅として寛文十年(一六七〇)年頃に創建されたものである。
 当家は、二条城や京都所司代に仕候する中小の大名の陣屋として、また京都町奉行所の公事宿としても利用されたので、隠し階段や武者隠しなど、大名の身辺警護のための特殊な構造、設備が施され、更に類焼防止の工夫も多い。
 建築様式は数寄屋式住宅で、極めて繊細優美であり、建築学的価値も非常に高いとされている。
 昭和十九年(一九四四)に、数寄屋式住宅、陣屋式建築、防火建築の三点から、当時の国宝保存法に基づく国宝に指定され、昭和二十五年、文化財保護法により重要文化財に指定された。  京都市」(案内板より)

見学には予約が必要。
説明を受けながらの見学となる。

大広間の武者隠しは、大名を護衛をする者が潜んでいる場所。
一見天窓に思える。

能舞台として使える部屋もある。
本格的なもので、床下四方には甕も置いてあるそうだ。
障子で囲まれているが、障子は板戸で塞ぐことができる仕組みになっていて、鏡板にすぐさま変わる。
橋懸となる廊下には、三本の松が描かれている。

そのほか、普段は吊りあげられていて目につかない吊階段や、追ってくる敵の足を
踏み外させることができる落とし階段等々、忍者屋敷さながらの仕掛けだ。
虫籠窓など、防火設備の知恵も、成程と感心するものばかりだった。

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