大倉草紙

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【京都】 豊国神社

2009年03月03日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
10月18日(土)
当日の行程:(阪急・西京極駅) → 【2008年高校野球秋季近畿地区大会・PL学園-塔南(西京極野球場)】 → (京都市バス・西京極運動公園前~清水坂) → 【研出し蒔絵の印籠 ~色彩が織り成す小宇宙(ミクロコスモス)~(清水三年坂美術館)】【豊国神社】【方広寺】【特別展覧会 japan 蒔絵 宮殿を飾る 東洋の燦めき(京都国立博物館)】


「豊国神社
 豊臣秀吉を祀る神社で、一般に『ホウコクさん』の名で人々に親しまれている。
 慶長三年(一五九八)に六十三歳で亡くなった秀吉の遺体は、遺命により東山の阿弥陀ヶ峯の中腹に葬られ、その麓(現在の豊国廟太閤坦〔ほうこくびょうたいこうだいら〕)には、広壮豪華な廟社が造営された。後陽成天皇より正一位の神階と豊国大明神の神号を賜り、慶長九年(一六〇四)八月の秀吉の七回忌には特に盛大な臨時祭礼が行われた。そのときの様子は豊国臨時祭礼図屏風(重要文化財)に詳しく描かれている。
 豊臣氏の滅亡後、その廟社は徳川幕府により廃祀されたが、明治十三年(一八八〇)、旧方広寺大仏殿跡にあたる当地に社殿が再建され、別格官幣社として復興された。また、明治三十一年(一八九八)には、荒廃していた廟墓も阿弥陀ヶ峯の頂上に再建された。
 正面の唐門(国宝)は伏見城の遺構と伝え、二条城から南禅寺の金地院を経て、ここに移築されたもので、西本願寺、大徳寺の唐門とともに国宝三唐門の一つとされている。また、その両脇の石灯籠は、秀吉恩顧の大名が寄進したものである。  京都市」


唐門(国宝)


唐門に掲げられた「豊国大明神」の扁額は、後陽成天皇の宸筆。


絵馬は、秀吉の馬印にちなみ、千成瓢箪の形をしている。


拝殿と、その後ろに少しだけ見える本殿。


宝物館では、狩野内膳筆「豊国祭礼図屏風」(重要文化財)、与二郎鉄灯籠(重要文化財)、桐鳳凰蒔絵唐櫃(重要文化財)などが公開されている。
ほかには、秀吉の歯もあり、このようなものまで展示しているのかと驚いた。


豊国神社の御朱印

訪れた日は、境内で「おもしろ市」が開かれていて賑やかだった。
毎月8日と18日に開催されているのだという。


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