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大倉草紙

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【東京・千代田区】 特別展「千代田の幕末-150年前の世相と文化-」 (千代田区立四番町歴史民俗資料館)

2010年11月10日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
10月9日(土)


「廻り方手控」や「上納金請取証」などの資料のほか、山車人形頭(てけてん小僧)、屏風なども展示されている。


錦昇堂版役者大首絵
万延元年(1860)から慶応元年(1865)にかけて出版された「錦昇堂版役者大首絵」の版下絵も多く並んでいる。
全部で150図出る予定だったが、三代豊国の死去により、すべてを刊行することは叶わなかったそうだ。
で、千代田区との関係は、というと、神田塗師町(ぬしちょう)の老舗金物問屋の八代目当主・長三郎が絵草紙問屋恵比寿屋庄七に資金提供をし、錦絵を刊行させていたとのこと。

【東京・渋谷区】 渋谷区郷土博物館・文学館

2010年10月28日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
10月3日(日)


「渋谷で飛行機が飛んだ」という企画展も開かれていた。
日本で初めてエンジン付き飛行機の飛行実験が行われた場所は、代々木練兵所(現:代々木公園)。
今年はそれから100年目なのだという。

時代の流れとともに変わってきた渋谷駅前の様子を紹介する映像もあった。

地下の展示室では、渋谷にゆかりのある文学者たちを人物ごとに紹介している。
奥野健男の書斎を再現したコーナーもある。

【東京】 誇り高きデザイン 鍋島 (サントリー美術館)

2010年10月05日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
8月21日(土)


サントリー美術館で開かれている「誇り高きデザイン 鍋島」は、満足のいく展覧会だった。

斬新なデザインのものが多い。

色絵輪繋文皿


青磁色絵桃宝尽文皿


青磁染付鶴文皿
この鶴もスゴイが、私が夢中になってしまったのはこちら↓


染付月兎文皿
愛らしい作品だ。

【東京・港区】 乃木希典特別遺品展 (乃木神社宝物殿)

2010年09月14日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
9月12日(日)

旧乃木邸が公開された9月12日と13日、乃木神社の宝物殿では、乃木希典の特別遺品展が開かれていた。


骨董市も開かれていた。


自刃当日の朝に撮影した写真


自刃直前の別盃に用いた葡萄酒の空瓶。
この葡萄酒は恩賜品と言われている。


乃木将軍御殉死の刀と静子夫人御殉死の短刀


展示室の様子


乃木将軍遺言
「遺言條々
第一
自分此度御跡を追ひ奉り自殺候処恐入候儀其罪は不軽存候然る処明治十年役に於いて軍旗を失ひ其後死処得度心掛候も其機を得ず皇恩の厚に浴し今日迄過分の御優遇を蒙り追々老衰最早御役に立の時も無余日候折柄此度の御大変何共恐入候次第茲に覚悟相定め候事に候
第二
両典戦死の後は先輩諸氏親友諸彦よりも毎々懇諭有之候得共養子弊害は古来の議論有之目前乃木大兄の如き例他にも不尠特に華族の御優遇相蒙り居実子ならば致方も無之候得共却て汚名を残す様の憂へ無之為天理に背きたる事は致す間敷事に候祖先の墳墓の守護は血縁の有之限りは其者共の気を付可申事に候乃ち新坂邸は其為め区又は市に寄付し可然方法願度候
第三
資財分与の儀は別紙の通り相認め置き其他は静子より相談可仕候
第四
遺物分配の儀は自分軍職上の副官たりし諸氏へは時計メートル眼鏡馬具刀剣 等軍人用品の内にて見計ひ儀塚田大佐に御依頼申置候大佐は前後両度の戦役にも尽力不尠静子承知の次第御相談可被成候其他は皆々裁談に任せ申候
第五
御下賜品(各殿下よりの分も)御紋付の諸品は悉皆取纏め学習院へ寄附可然此儀は松井猪谷両氏へも依頼仕置き候
第六
書籍類は学習院採用相成る分は可成寄附其余は長府図書館へ同断不用の分は兎も角もに候
第七
父君祖父曾祖父君の遺書類は乃木家の歴史とも云ふべきものなる故厳に取纏め真に不用の分を除き佐々木侯爵家又佐々木神社へ永久無限に御預申度候
第八
遊就館は出品は其儘寄附致し可申乃木の家の記念には保存無此上良法に候
第九
静子儀追々老境に入り石林は不便の地病気等の節心細との儀尤もに存候家は集作に譲り中野の家に住居可然同意候中野の地所家屋は静子其時の考に任せ候
第十
此方死骸の儀は石黒男爵へ相願置候間可然医学校へ寄附可致墓下には毛髪爪歯(義歯共)を入れて充分に候静子承知
恩賜を領けと書きたる金時計は玉木正之に遣はし候筈なり軍服以外の服装にて持つを禁じ度候

右の外細事は静子へ申付置候御相談被下度候 伯爵乃木家は静子生存中は名義可有之候得共呉々も断絶の目的を遂げ度大切なり右遺言如此候也

 大正元年九月十二日夜 希典

湯地定基殿
大舘集作殿
玉木正之殿
  静子どの」


美しい絵燈籠がたくさん奉納されていた。


どれもこれも凝っている。


著名人が奉納したものもある。
これは児玉清さんが奉納した絵燈籠。


黒沢年雄さんが奉納した絵燈籠。


中井貴恵さんが奉納した絵燈籠。


柳家小さんさんが奉納した絵燈籠。


愛川欽也さんが奉納した絵燈籠。


毒蝮三太夫さんが奉納した絵燈籠。

【東京】 浮世絵動物園 (太田記念美術館)

2010年08月29日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
8月14日(土)


浮世絵動物園を観に行った。
8月26日で展覧会は終わっている。

チラシがとてもかわいらしい。
「美術館で待ってますよ」と言う猫、「美術館が動物園ですって!」「まさか!」と会話する雀、動物ものはたまらなく好きだ。

外国人が多くて、驚いた。
外にも、中にも。
こういう展覧会は、大人も子どもも、日本人も外国人も楽しめるのだろう。

楊洲周延『東錦昼夜競 蟹満寺』は、「蟹満寺縁起」をもとにしたもの。
私は蛇が苦手なのだが、どう考えても「蟹満寺縁起」では蛇がかわいそうだ。


歌川芳虎『家内安全ヲ守十二支之図』
しかし、こういうのを見ちゃうと、やっぱり蛇はいやだなあ、と思ってしまう。

残暑が厳しいのでまだまだ安心はできないが、どうやら今年は、蛇を見ずに終えることができそうだ。

【東京】 侍と私 ― ポートレイトが語る初期写真 ― (東京都写真美術館)

2010年06月12日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
5月30日(日)



「侍と私」というタイトルにひかれて、行ってみる。
幕末・明治期の肖像写真は観ていておもしろい。
こんな顔をしてたのか……と思いながら展示会場を歩く。

市井の人々を写したものも多い。
それから、西欧の写真も多い。
展覧会のコンセプトを知らずに訪れたのだが、日本と西欧の初期写真の変容や発展についてポートレイトを通して考察できるような展示になっているらしい。

長い間、西欧において、肖像画の被写体は王侯貴族であったが、廉価な切り絵の流行や、写真技術の向上でコストダウンを図ることでポートレイトが市井の人々の手に入りやすいものとなっていったのに対し、日本におけるポートレイト写真は、市井の侍から天皇へ、つまり「私(プライベート)から公(パブリック)へ引き上げられるように広がっていった」(作品リスト解説より)ということが興味深い。

【神奈川】 日本新聞博物館

2010年05月27日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
5月3日(月)
当日の行程:【彩色立面図に見る日本の近代建築 - 銀行・オフィスビルから邸宅まで-(神奈川県立歴史博物館)】 → 【横浜市開港記念会館】 → 【西洋館とフランス瓦 - 横浜生まれの近代産業(横浜都市発展記念館)】 → 【日本新聞博物館】 → 【横浜開港資料館】 → 【神奈川県庁本庁舎一般公開】

わが国の日刊新聞発祥の地は横浜なのだそうだ。
日本新聞博物館(ニュースパーク)は、新聞社や通信社の仕事を様ざまな角度から知ることができる非常に興味深い場所だった。


新聞オフセット輪転機
博物館の1階に置かれている。
初期のもので、昭和54年(1979)に静岡新聞社に納入され、平成9年(1997)まで使われていた。
1時間あたり、最高で15万部の新聞を印刷できるそうだ。

新聞のように多くの情報が入った大量の印刷物を、毎日どうやって作ってどのように届けられるのかというのは、子どもの頃いつも不思議に思っていたことだ。
その大まかな仕組みをなんとなく知っている今でも、毎日印刷され、朝起きてポストを覗けば配達されている、というのはスゴイことだと思う。

私はやってみなかったが、実際に、新聞製作を体験することもできるようだ。

【神奈川】 西洋館とフランス瓦 -横浜生まれの近代産業- (横浜都市発展記念館)

2010年05月24日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
5月3日(月)
当日の行程:【彩色立面図に見る日本の近代建築 - 銀行・オフィスビルから邸宅まで-(神奈川県立歴史博物館)】 → 【横浜市開港記念会館】 → 【西洋館とフランス瓦 - 横浜生まれの近代産業(横浜都市発展記念館)】 → 【日本新聞博物館】 → 【横浜開港資料館】 → 【神奈川県庁本庁舎一般公開】


幕末に来日したフランス人実業家・アルフレッド・ジェラールは、日本で初めてフランス瓦の製造を手掛けた。
フランス瓦やその工場の資料を中心とした展覧会。
展覧会は、5月9日に終了している。


『日本絵入商人録』
銅版画に描かれたジェラール工場。
横浜山手にあったらしい。


ジェラール瓦
表面(左)には、雨の分流帯が付いている。
裏面(右)には、製造年やジェラールの事務所の住所などが刻印されている。
裏面の突起部を桟に引っ掛けて瓦を葺く。


フランス瓦の葺き方
和瓦と違って、半枚分ずつずらしながら葺いていくそうだ。


模倣ジェラール瓦
ジェラールの瓦が作られるようになってから間もなく、日本人の手によって模倣瓦が作られるようになった。


模倣瓦の屋根を持つ旧柳下家住宅

【神奈川】 横浜市開港記念会館

2010年05月23日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
5月3日(月)
当日の行程:【彩色立面図に見る日本の近代建築 - 銀行・オフィスビルから邸宅まで-(神奈川県立歴史博物館)】 → 【横浜市開港記念会館】 → 【西洋館とフランス瓦 - 横浜生まれの近代産業(横浜都市発展記念館)】 → 【日本新聞博物館】 → 【横浜開港資料館】 → 【神奈川県庁本庁舎一般公開】




横浜市開港記念会館(国指定重要文化財)
「横浜市開港記念会館は、開港50周年を記念して、大正3年(1914)9月に着工され、大正6年7月1日の開港記念日に『開港記念横浜会館』として開館しました。
 建物は、大正12年の関東大震災によって一部が焼失したため、昭和2年と平成元年に復旧工事が行われ創建時の姿に復元されました。
 建物の外壁は、腰石まで花崗岩積みで、1・2階は赤い化粧煉瓦と白い花崗岩を積み上げた辰野式フリークラシックスタイルで、古典主義を自由にアレンジしています。東南隅には高塔(時計塔)、西南隅に八角ドーム、東北隅に角ドーム、さらに高塔を挟む位置にも角ドームを作り、屋根は寄棟造り・天然スレート葺で、越屋根は銅版葺としています。また、建物内部の広間、中庭に面する窓にはステンドグラスが用いられるなど、大正期の建物として華やかで優れた意匠が施されています。
  横浜市教育委員会文化財課
  財団法人 横浜国際観光協会  平成6年3月」(案内板より)


階段飾窓


ステンドグラス


螺旋階段


飾窓とステンドグラス


ステンドグラス

【神奈川】 彩色立面図に見る日本の近代建築 (神奈川県立歴史博物館)

2010年05月22日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
5月3日(月)
当日の行程:【彩色立面図に見る日本の近代建築 - 銀行・オフィスビルから邸宅まで-(神奈川県立歴史博物館)】 → 【横浜市開港記念会館】 → 【西洋館とフランス瓦 - 横浜生まれの近代産業(横浜都市発展記念館)】 → 【日本新聞博物館】 → 【横浜開港資料館】 → 【神奈川県庁本庁舎一般公開】


後期の「銀行建築編」を観る。
横浜市在住の建築家・岡義男が描いた全国各地の銀行建築の彩色立面図や関係資料を中心に展示されている。
展覧会は5月9日に終了している。


旧横浜銀行集会所


旧福島浪蔵別邸


旧第一銀行神戸支店


横浜郵船ビル


日本銀行新築場沿革図
着工直後から竣工直前まで撮影されたものが並んでいた。
周りの建物と見比べてみると面白い。

もう一点面白かったのは、『辰野金吾博士作品集成絵図』。
辰野の還暦祝いに作成されたものらしい。
日本銀行本店をはじめ、両国国技館、東京駅、東京帝国大学工科大学、旧渋沢邸等々、辰野金吾の作品を集めた架空の町の図。
日本じゃないみたい。

夫が印象に残ったと言っていたのは、大正4年(1915)に撮影された辰野金吾の肖像写真。
紋付袴の姿。
そういえば、辰野のライバルとも言われる妻木頼黄の像も紋付袴姿だった。


さて、この神奈川県立歴史博物館も妻木頼黄の設計による近代建築物。
かつては、横浜正金銀行本店として使われていた。
「国指定史跡
 旧横浜正金銀行本店
 平成7年6月27日 指定
 所在地 横浜市中区南仲通5丁目60番地
          弁天通5丁目69番地
 横浜正金銀行は、安政6年の開港以来、外国商人が主導していた貿易金融取引を改善するため、明治13年2月28日に設立されました。その後政府の保護を受けて外国貿易関係業務を専門的に担当する銀行として成長し、大正8年には世界3大為替銀行の一つに数えられるようになりました。
 この建物は明治37年に横浜正金銀行本店として建設され、ドイツの近代洋風建築の影響を受け、明治時代の貴重な建造物であることから、昭和44年3月12日には国の重要文化財の指定を受けております。
 さらにこのたび、我が国の近代史のなかでも、産業経済の発展に貢献した貿易金融機関のあり方を示す貴重な建造物およびその敷地であることから、国の史跡に指定されました。
   平成8年3月30日  神奈川県教育委員会」(案内板より)