面倒くさい
めんどうくさい
面倒くさいとは、手間がかかっていやだ、わずらわしくてうんざりだという意味で、解決が困難なことがらや手数のかかる仕事などをマイナス評価した「面倒」に、「~みたいでやな感じ」という意味の「くさい」をつけた言葉。実入りのよくない仕事をどっさり与えられると、どんなに元気いっぱいなヤツでも口をついて出る感想である。
「面倒」という漢字は中国語にはないようで(あったとしても「メンツがつぶれる」というような意味になりそうな気がする)、「めんどう」という日本語に漢字があてられたものらしい。「めんどう」は、「目だうな(見てソンした、見るだけムダ)」、「目怠(だる)し(まだるっこしい)」、あるいはもとをたどれば、「ほめる」という意味の「めでる」などが変化した言葉ではないかといわれている。語源をたどると面倒くさいことになりそうな言葉ではある。
煩わしい・面倒・厄介は、手間がかかったり神経を使ったりして、気が重くなる様子を意味する点では共通し、「煩わしい手続き」「面倒な手続き」「厄介な手続き」のように、複雑さを伴い、客観的な面が強い場合には、いずれの語も使える。
「話をするのも煩わしい」や「話をするのも面倒」とは言うが、「話をするのも厄介」とは言わないように、厄介は嫌だと感じる対象が複雑さを伴わず、主観的な面が強い場合には使われない。
複雑さを伴わず主観的であっても、「疲れていて面倒」のように、手間がかかるように感じ、出来ればしたくないという場合には「面倒」が多く使われる。
嫌だと感じる人間関係ついて表す際は、煩わしい・面倒・厄介のいずれも使うが、「煩わしい人間関係」と言った場合、嫌と感じる事柄や、対象となる人物が明確ではなく、人間関係という漠然としたものに対して使われる。
「面倒な(面倒くさい)人間関係」と言った場合は、人間関係で嫌と感じる事柄がはっきりしていたり、特定の人物についての人間関係に対して使われる。
「厄介な人間関係」と言った場合は、嫌と感じる事柄も対象となる人物も、はっきりとした人間関係に使われる。
めんどうくさい
面倒くさいとは、手間がかかっていやだ、わずらわしくてうんざりだという意味で、解決が困難なことがらや手数のかかる仕事などをマイナス評価した「面倒」に、「~みたいでやな感じ」という意味の「くさい」をつけた言葉。実入りのよくない仕事をどっさり与えられると、どんなに元気いっぱいなヤツでも口をついて出る感想である。
「面倒」という漢字は中国語にはないようで(あったとしても「メンツがつぶれる」というような意味になりそうな気がする)、「めんどう」という日本語に漢字があてられたものらしい。「めんどう」は、「目だうな(見てソンした、見るだけムダ)」、「目怠(だる)し(まだるっこしい)」、あるいはもとをたどれば、「ほめる」という意味の「めでる」などが変化した言葉ではないかといわれている。語源をたどると面倒くさいことになりそうな言葉ではある。
煩わしい・面倒・厄介は、手間がかかったり神経を使ったりして、気が重くなる様子を意味する点では共通し、「煩わしい手続き」「面倒な手続き」「厄介な手続き」のように、複雑さを伴い、客観的な面が強い場合には、いずれの語も使える。
「話をするのも煩わしい」や「話をするのも面倒」とは言うが、「話をするのも厄介」とは言わないように、厄介は嫌だと感じる対象が複雑さを伴わず、主観的な面が強い場合には使われない。
複雑さを伴わず主観的であっても、「疲れていて面倒」のように、手間がかかるように感じ、出来ればしたくないという場合には「面倒」が多く使われる。
嫌だと感じる人間関係ついて表す際は、煩わしい・面倒・厄介のいずれも使うが、「煩わしい人間関係」と言った場合、嫌と感じる事柄や、対象となる人物が明確ではなく、人間関係という漠然としたものに対して使われる。
「面倒な(面倒くさい)人間関係」と言った場合は、人間関係で嫌と感じる事柄がはっきりしていたり、特定の人物についての人間関係に対して使われる。
「厄介な人間関係」と言った場合は、嫌と感じる事柄も対象となる人物も、はっきりとした人間関係に使われる。