やっち@十月祭とビール好きの部屋

町田の小さな麦酒屋さんの奮闘記と、訪れた仲間たちのブログです

傷ついたんじゃない

2014-02-27 14:36:07 | 日記
話題の“明日ママがいない”
毎週観ている。子役だけの枠をよく持っているといつも感心している。
その中で、施設のオーナー、悪役的な三上が初めて指導者的な台詞を吐く。

施設に初めて預けられた“ロッカー(コインロッカーに捨てられたから)”こと三浦翔平は、今は子供たちの世話役をしていた。
そのロッカーが、障害事件を起こす。
理由はあるのだが、子供達は怯えて追い出そうとするところ、三上が自身の枕を持ってこさせ、全員を集めて説教するシーン。
(以下)

持っている枕をその胸に抱きなさい。

お前達は、何に怯えている?
お前達は、世間から白い目で見られたくない。そう言う風に怯えているのか?
だからそうなるかもしれない原因のアイツを排除する。そう言うことなんだな?

だがそれは、表面的な考え方じゃないのか?
もう一度この状況を胸に入れて、考えることをしなさい。
お前達自身の知るアイツは本当にそうなのか?
乱暴者でひどい人間か?
そんな風にお前達はアイツから一度でもそう言う行為や圧力を受けたことがあるのか?
(首を横に振る子供たち)

ならば何故かばおうとしない!
世の中がそう言う目で見るならば、世の中に向けて“アイツはそんな人間じゃないっ!”って、何故戦おうとしない!
“あなた達はあの人のことを知らないんだ!”って、一人一人目を見て伝えようと、そう戦おうと何故思わない!
臭いものに蓋をして、自分とは関係ない、それで終わらせるつもりか?

大人なら分かる。
大人の中には、価値観が固定され、自分が受け入れられないもの全て否定し、自分が正しいと、声をあらげて攻撃してくる者もいる。
それは、胸にクッションを持たないからだ。
分かるか?
そんな大人になったらお仕舞いだぞ。
話し合いすら出来ないモンスターになる。

だが、お前達は子供だ。
まだ間に合うんだ。
一度心に受け止めるクッションを、情緒を持ちなさい。

この世界では、残念だが、目を背けたくなる事件や、辛い出来事が実際に起こる。
だがそれを、自分とは関係ない、関わりたくないと、シャッターを閉めてはいけない。
歯を食いしばって、一度心に受け止め、何が酷いのか?何が悲しいのか?何故こんなことになってしまうのか?そう考えることが必要なんだ。

お前達は可哀想か?
本当にそうか?
両親がいても、毎日のように言い争いをしている氷のような世界にいる子供達はどうだ?
両親が揃っているくせに…と、冷たく突き放すのか?
もっと辛い子もたくさんいる。
誰かに話したくても言えない子もいる。
それでもお前達は、世界で一番自分が可哀想だと思いたいのか?

(子供)違う…違うよ

そうだ!
違うだろう?うんざりだろう?
上から目線で、可哀想だと思われることに。
何が分かるってんだ!冗談じゃねえ!
可哀想だと思う人間が可哀想なんだ。

つまらん偽善者になるな。
つまらん大人になるな。
つまらん人間になるな。

お前達が辛い境遇にあると言うのなら、その分、人の痛みが分かるんじゃないのか?
寂しい時、そばに寄り添って欲しい。
自分がそうして欲しいことを何故しない?
お前達が心にクッションを持てないと言うのなら、これから、どんな条件のいい里親が現れても、実の親がもう一度迎えに来たとしても、俺はお前達をこの家から出さんぞ!
絶対ださん!

(略)

いいか、最後にもう一度言うぞ。
一度心に受け止めるクッションを、その胸に持ちなさい。
世界に存在するあらゆる汚れや、醜さから目を背けず、一度受け止めてみなさい。
それが出来る人間は、一方でこの世界の美しさ、愛しさを知ることが出来るだろう。

お前達は傷つけられたんじゃない。磨かれたんだ!

(引用終わり)
ダイヤの輝きも、地中で圧力をかけられ、長い年月をかけて、そして一部が発見され、そして磨かれ、店頭に並べられてはじめて価値がある。