“Hさん亡くなったんだって”
昨夜営業中、来店されたお客さんの一言。
いつかその日が来るのは覚悟していたが、聞いた瞬間頭が真っ白になった。
顔は笑っているものの、やっていることはチグハグで、お客さんにも“プロだろ!”って注意されちゃった。
因果な商売だ。
Hさんが癌の宣告を受けて、その足で来店された時もそうだったっけ。
ちょうど混んでいて、入り口に現れた彼が私を手招きした。
“どうしたの?入んなよ”
そういう私を制止して、自分の病状と余命、もう来れないこと告げた。
店の喧騒と自分のテンションに、現状のピントが合わず、頭が霞んだ。
気の利いた言葉も、心からの言葉も、どちらも言えず。黙ってしまった。
“じゃあ行くね”
“うん、また…”
言った瞬間、それもあるんだろうかと思って言葉が詰まった。
私だったらこんな夜、側に誰かいて欲しい。
追いすがりたかった。彼を独りにしたくなかったのに、私には店が、お客さんがいた。
もしかしてこれが最後なのかと、彼の後ろ姿を見送った。
微妙な問題なので他言無用だと思った。
店に戻った私に、お客さん達は“Hさんどうしたの?”って言った。
“今夜は帰るみたい”とだけ答えた。
胸が苦しかった。
Hさんが初めて来店されたのは3年少し前、ちょうどマースⅠグランプリが始まる前だった。
ふらっといらした彼は少し酔っていた。
料金とジョッキのサイズの説明をしたら、マースを選ばれた。
大きな手でマースを湯呑みのように掴み、あっという間に1リットルを平らげた。
アットホームな雰囲気と豪快さが気に入られたのか、それからちょくちょく立ち寄られるようになった。
そして、初めて来店された時の私の対応をいつもからかわれた。
執拗に金額の話をしたって…。
ハーフパンツによれよれのシャツ。釣りの帰りに寄られた彼の風貌が“コイツ金あるのかよ”って思ったんだろうって…
バレてた。
それからも何度も通われ、自然と仲良くなっていったのに、彼は自分の事を話したがらなかった。
集合写真にも入ろうとはしなかった。
“これからどこに飲みに行くの?”って聞いても教えたがらなかった。イベントの連絡したいから連絡先聞いても教えてくれなかった。
私も詮索はせず、ただの“Hさん”として、何となく言葉遊びのような時を徒に過ごした。
彼の後ろ姿を見送った日からしばらくして、人づてに彼の事を聞いた。
あんなに隠したがった彼の素性。
どうしたことか?彼は話したがっているという。
あるbarのマスターに“メルマガに載せてくれ”と頼んだらしい(事情が事情なので断ったらしいが)。
blogも開設したらしい。
私は驚いた。
余命を告げられると人はこうも変わるのか。
それから、意外なほど彼をあちこちで見かけるようになった。
皆に印象を残したいのか、嫌がっていたはずの写真も積極的に入った。
奇妙なほど人に深入りするようになった。
“俺には飲み友達しかいない。だから飲めなくなったら誰も居なくなる”
赤い目で私にそう言ったね。
怖かったんだよね。
こんなこと言ったら不謹慎だけど、私は羨ましいよ。
最期にちゃんとみんなに自分を解ってもらえて、あげたい人にあげたい物をあげて、お礼を言えて。
あなたのためにどれだけの人が献杯しているか。
人の命はいつまでかなんて、誰も知らない。
人見知りだとか、シャイだとかぬかして出会いをパーにしてるやつらバカじゃねーかって思う。
言いたいこと言わないでどこまで持っていくのかって思う。
チャンスをみすみす逃す決断力のなさも愚かだ。
自営なのに自分を殺して愛想笑いして何が“自営“だとも思う。
明日かもしれない最期の日
なのに私は何が出来てる?
友達と言える人はいる?
わだかまりをそのままにしてない?
Hさんの死を羨ましいと言いながら、何故か涙が止まらない。
この感情はなに?
人は干渉されたい。
理解されたい。
誰かの心に残りたい。
…少なくとも私はね。
彼の死は私に勇気をくれた。
私の生き方は間違っていない。
これからも一瞬一瞬真剣に人に向き合って、傷だらけで生きていくよ。
うざがられたって、嫌われたって平気さ。
力をください。
見守っていてください。
“だからダメなんだよ!”言葉が聞こえそうだね。