ねるまえとねおき

ねるまえみたいにいろいろ考える自分と、ねおきみたいになんもかんがえない自分の思ったことを、思いついたときにかきます。

時計さん

2006-01-25 00:17:58 | Weblog
テスト後何分で終わるんですか?って時計さんに聞いたら教えてくれました。
電車あと何分でくるんですか?って聞いても教えてくれました。

ブログ書こーって思って向かってるパソコンの横では、今も時計さんは
カチッ カチッ カチッ
って一生懸命時間を数えてくれています。

ぼくが求めるかどうかに関らず、いーっつも時間を数えてくれています。
がさがさと机の中をかたずけてると、一年ぶりに会ったのに、ちゃんと数えてくれてた時計さんもいました。

えらいよね。自分にはそんなん、まねできへん。

でも、意外と時計さんにとっては大変じゃないんかも。
時計さんにとっては、ぼくに時間を教えるのが仕事じゃなくて、一秒一秒休まずまじめに時間を数えることが仕事なんかも。

ぼくが勝手に勘違いしてるだけなんかな。
じゃあぼくも、人にほめてもらったり、尊敬されるために仕事をまじめにこなすんじゃなく、一歩一歩休まずまじめに仕事をこなせば、慢心することはないかもね。

あーでもやっぱり尊敬するわ笑
一秒一秒は無理ですが、毎日一歩は、休まず進めるような人になりたいな。

正しい生き方と正しそうな生き方

2006-01-24 01:41:51 | Weblog
「正しい生き方と正しそうな生き方」

この世に絶対に正しい生き方など、存在しない。

こう生きれば、必ず幸せになって、後悔しない生き方など。

でも、自分は幸せになりたいし、後悔はしたくない。

じゃあ、どうやって生きればいいのだろうか?

それはおそらく、「正しそう」な生き方を自分の力で見つけて、それに従うこと。

これが一番必要だろう。

「正しそう」とは、「今は正しいと思うが、本当は正しくないのかもしれない。」

ということ。

正しいことのほとんどは、時や場面で正しくなくなる可能性がある。

戦時に銃を撃ってくる相手国の兵士を殺すことはある意味正しいが、日常で人を殺すことが正しくないように…

だから、自分が「正しい」と思ってきたことでも、それが「正しくない」と気付くことは当然ある。

それが自分の信じた「正しい」生き方だったとしても。

そんなときは、打ちひしがれ、後悔し、涙をながす。

でも、また新たに、「正しそう」な生き方を見つけて生きていかなければならない。

たとえそれが間違っている可能性があっても。

そう生きるのが、自分のわがままをかなえる一番の方法だと思うから。

ちょいちょーい

2006-01-23 01:17:19 | Weblog
今日は飲み会。

くらすのおとこたちで集まって、だれがかわいいとか、だれがすきとか。

3500円もかかっちゃったけど

なかなか楽しい飲み会やったw

ちょいちょーいってね。

「ちょいちょい」は最近自分の中ではやってます。

【用例】

平「ぶちょーい!きょういっぱいどうですか!?」

部「ちょいちょーい!ちょっとフランクすぎんかー笑。まぁ無礼講じゃーい。無礼無礼もほどほどに、ほどほどどいどい!」

平「ちょいちょーい笑」

部「あ!しゃちょーい!今日いっぱいどうっすか!?」

社「ちょいっ(-_-メ)調子のんな=クビ」

平「ちょーい(かわいそうに、、)」

社長には禁句ってことで、、

おやすみぃ。ちょーい。

ふぃくしょん。

2006-01-20 22:46:43 | Weblog
前のつづきね。

そもそも、ライブドアも、ちっさい子が殺されたんも、直接関係ない人にとってはフィクションとほぼ同じなんちゃうかな?

どっちもおんなじ「世界」の日本っていう国で起こってて、自分もその「世界」に含まれてんねんけど、実際は別の世界で起こってる。それがフィクションって。そのフィクションの世界とノンフィクションの世界の境界があいまいになってる。やから身近に起こったことのように感じても、すぐ忘れられんねん。哀しいことも。

「エジプトにピラミッドがある」

これは、エジプトに行ってピラミッドをみたこと無い人にとってはフィクション。
まぁ99%本当なんでしょうが笑
こんな分かりやすい問題やったらまだええねん。たとえば、、

「石油はあと50年で全部使い切ってしまう」

っていうのは?フィクション?なぞ。

「地球は温暖化しています」

っていうのは?僕の行ってる大学の教授は、地球は寒冷化の方向に向かってると。

なにが正しいか分からない、自分で確かめられへん情報に喜んだり、哀れんだり、おもしろがったりして、それで知ったふりするんって、思ってる以上に怖いことなんかも。
でも、全部のことを確かめるなんて不可能やから、どれが正しくて正しくないかを見分けられる力をつけていきたい。

自分は将来地球環境問題についてなんとかしたいと思って大学に入りました。完全に地球は温暖化してるから、砂漠で育つ木でもつくったら解決するんちゃうかって。でも、その大学の教授に「寒冷化」っていう言葉を聴聞かされたときは衝撃やった。その教授は、物にはいろんな考え方があるってことを学ばせるために、「こんなふうに考えてる学者もいますよ」って教えたかったんやと思う。まぁ、今は自分は温暖化してるって考えてますけどね笑。なんとか温暖化をとめたいと思う。

でも、この辺のことってなかなか世の中の人に協力してもらいづらい。

環境にいいと分かってても、みんなハイブリッドカーに買い換えるかっていったらまずないし。車使わんと通勤したほうが環境に優しいって分かってんのに…とかね。

自分の次とかその次の世代の子供たちが幸せに暮らせるためにも、やったほうがいいってわかってんのにできひん。

なんでやろ?

ぼくが思うに、大部分の日本人にとってはフィクションやからじゃないかな。

温暖化してるっていっても、夏は暑いし冬は寒い。砂漠化してるっていっても、窓のそとには木が生えてる。もし、クーラーがんがんにつけても暑くて死にそうになったり、九州で砂漠化が始まったら、たぶん真剣に取り組み出すと思う。

地球環境破壊がノンフィクションになりだしたらね。

ショック。。。

2006-01-19 07:09:10 | Weblog
高校の時は早弁してましたが、今日は早勉。午前5時から勉強開始です。
この作戦は多大なリスクが伴うけど、今回は成功!
ちょっと自分ほめたげよ。甘いですな笑

今はちょっと休憩中で、朝のニュースをいろんな局まわして見てます。

今は「ライブドアショック」と「ヒューザーの社長」の話。そればっかり。

一ヶ月ぐらい前は、ちっさい子がいっぱい殺されてたのに、、、
栃木の女の子は、体中刺されて、林の中に捨てられてたってワイドショーで見た記憶があります。
体の血はほとんど全部なくなってたぐらい出血してたって。
むごい。ライブドアよりそっちのほうがショックやわ。

その事件ぐらいから、ちっさい子が狙われる事件が多発したん覚えてますか?
ニュース、ワイドショーでは毎日、
「今日もちっさい子が行方不明になりました」
っていってました。
でも、知ってたんかな?自分らがそうやって言うから、次々同じような事件が起こってたってこと…

確かに伝えなあかん責任はあると思うねんけど、深刻な顔してニュース読んでるキャスターも、そうやって次々事件が起こってくれることで仕事が増えて喜んでるように見えてしまう。

表面上は憂いてんねんけど、なんか世の中が反応するようなニュースをみつけたら、喜んでませんかね?

もう今はライブドアショックと偽装建築でしょ?

責任無さすぎでしょ。

ながくなっちゃったんで、また続きは次回にします。。。

今日の一句
残虐な 事件にみんな 哀しめど
ひと月あれば またもとどおり