ねるまえとねおき

ねるまえみたいにいろいろ考える自分と、ねおきみたいになんもかんがえない自分の思ったことを、思いついたときにかきます。

ひかるねこ

2007-12-14 03:43:52 | 研究
韓国の科学者、光るクローン猫を作り出す

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0712/13/news040.html





光る猫の作成に成功したというニュースです。

ちょっと記事を読んだだけでは、ひかる猫をどのように人間の遺伝的疾患の治療に役立てることができるのかはわからなかった。(そしてもっと調べてみようという元気が今無いのですが、、)

異常のある遺伝子に光る遺伝子をくっつけてどこで発現してるか見るのか、それとも遺伝子をいじれたことがすごくて人為的に人間の遺伝疾患と同じような変異を自由に猫にいれれるようになったのか。

どっちにしてもなぜクローンである必要があるのか、自分の頭で理解できる範囲をこえています。




まぁそんなことはどうでもよくて、ようは光る猫作成の成功によって、今後の人類の病気の研究のスピードを早めることにつながるかもしれない。ということなのかなと。





で。




このニュースをはじめて読んで、あの猫を抱きかかえる誇らしげな教授の顔を見た人は、なんかよく分からんけど気持ち悪い感じとか猫に対する同情が芽生えると思います。


てか自分もそう。


うちの研究室とか毎日億単位ぐらいの大腸菌を増やして殺して研究の前進に役立てているし、人間に対して有効な薬を開発したり病気の原因を解明するにはどうしても人間に近いような動物を使って実験をする必要が絶対的にあるっていうのも確かに事実です。


大腸菌はよくてなんで猫はだめやねんというとかなり極端ですが、マウスはよくて、となるとどこで線をひくのか難しくなってくる気がします。だってもやしもんの大腸菌かわいいし。


クジラをとってたべていいかというのも若干似ている部分があるのかな。



どこで線を引くかっていうすごいおっきい問題はあるけど、大事なことは、クジラにしても猫にしても、なにがよくて何がだめとかいうのを決めるときには人間の感情が入る、ということです。
で、その感情は、世界中の人類全てで同じ場合もあるし、同じ日本っていう社会の中でも、光る猫のニュースについて書かれてる日記みたいに賛否両論がある場合があると。


つまり、かわいそうと思う人もいれば、人間のためにはしかたないと思う人もいると。


それはもちろんどっちの考えが正しいとかではない。
確かに都合のいいとこだけかわいそうとかいうのは人間のエゴかもしれないけど、そんな風にかわいそうと感じれることが人間らしいともいえるわけでして。


賛否両論が出ること自体は自然なことやと思う。





それで、このニュースを読んで感じたことやけど、前置き長いけど。
いや、ごめんやけど。



科学の研究にたずさわってる人間は、自分の研究成果が社会にどんなインパクトを与えるのか、常に考えながら研究を進めたり発表したりする必要があると思うし、今後その必要性はどんどんおっきくなっていくと思う。




今回のことにしても、なぜ猫なのか、なぜ光らせたのか、どのぐらい人間の役に立つのかというのを、科学にたずさわってない人にもわかるように説明する必要が、難しいにしてもあるはずです。


ニュースが世界に伝わる間に加工されて、この教授も言いたいことがほとんど言えてないかもしれないけど、現在の情報化社会で世界にインパクトを与える仕事をしたいと思っているなら、やっぱり説明する必要があると思う。

できないなら、今の世界がそういうものであるということも総合的に考えてどんな研究をするか考えたほうがいいんじゃないかな。



こういうニュースが、遺伝子をいじることに対する社会の先入観を、なんとなく悪い方向に向かわせている気がします。



科学の研究と社会のあり方って、臓器移植とか遺伝子組み換え作物とかもそうやけど、研究するほうも、使うほうも、もっとちゃんと考える必要があるのではないかと、思いました。

おわり。



ちなみに自分はいぬ派です。