ねるまえとねおき

ねるまえみたいにいろいろ考える自分と、ねおきみたいになんもかんがえない自分の思ったことを、思いついたときにかきます。

こころはけさない。

2011-11-30 23:11:46 | 音楽
最近すごい仕事が忙しいです。

忙しいながらもなんとか頑張っています。

頑張って頑張って無理なら、今の能力の自分みたいな人間にそんないっぱい仕事与えたあなたたちがわるいんじゃないぐらいの割りきりで、頑張ってます。


でも、すっごい当たり前ですが、「頑張る=すごい」とか、「頑張る=評価」とかいう世界ではありません。
頑張って結果でない人より、頑張らずとも結果だす人の方が評価の高い世界です。


なので、長期的には、そういう人間にならなくてはいけないということをひしひしと感じています。




自分を見失わないように。




頑張って。




成長して。




夢を叶える。




聞こえはすこぶるいいね。



「ぼくはここにいる。こころはけさない。」



すばらしい。


JaccaPoP 『WORLD'S END SUPER NOVA』

ドリブラー

2011-11-19 08:42:03 | Weblog
最近数年ぶりにサッカーに目覚めています。
もっとうまくなりたい!と思って平日夜走ったり、
休みの日にボール蹴ったりしてます。

地デジカという残酷な鹿が日本中のアナログテレビを使えなくして以来、
うちにはテレビが無いので、あんまりサッカーの試合を見れません。

でも、今はyoutubeでいろんな動画が見れるので、便利な時代です。
いろんなプレー見て、すげー!!とか言って一人で喜んでます。


僕が中学生~高校生ぐらいの頃、自分歴史の中ではサッカー最盛期で、
夜中に海外サッカー見たりビデオとってスロー再生でフェイントの研究をしたりしてました。
当時は、スペインリーグ(リーガ)をよく見ていました。
レアルが銀河系最強と呼ばれていた時代でバルサは今に比べたらそんなでもないでした。
でも、ベティスとかバレンシアとかレアルソシエダとかデポルとかビジャレアルとか、
おもしろいサッカーするチーム、選手がいっぱいいて、
何とかレアルを倒そうと創意工夫していたという記憶があります。
それでも、レアルが勝っちゃうのですが、
ウルトラマンではなくその敵を応援するというスレ少年だった自分にとっては、
ベティスとかソシエダとか応援しちゃうわけです。

ベティスは当時4-3-3で、ウイングに左デニウソン、右ホアキンという強力なドリブラーがいて、
サイド攻撃がすごかったです。
ボランチにはバランサーであり、パサーであり、フリーキッカーであるマルコスアスンソンがいました。
フリーキックがよくバーに当たって、「わざと狙ってるんですかね」と実況の倉敷さんに茶化されていました。

ソシエダは古豪と呼ばれ、このころは降格争いをしているようなチームだったのですが、
02-03シーズンは大躍進でレアルを最後の最後まで追いつめていました(結局2位だったけど、、)。
ソシエダは4-4-2で、中盤のちょっと低い位置でシャビアロンソがゲームを組み立て、
左サイドには日本人にはなかなかいないクロス職人タイプのデ・ペドロ、
右サイドにはロシア代表のカルピンがいて、ベティス同様サイドからの攻撃が強いチームでした。
でも、FWにはコバチェビッチ、トルコ代表のニハトという強力な二人がいて、
中央からも全然攻めますよという特徴を持っていたと思います。
高さ、速さ、決定力、ドリブル、ポストと
フォワードに持っていてほしい能力のかなりの部分を持ったツートップのお手本のようなコンビでした。

もちろんバルサにもクライフェルト、オーフェルマウス、サビオラ、シャビ…などすごい人いっぱいいたし、
レアルはロナウド、ジダン、フィーゴ、グティ、マケレレ、ラウル、ロベカル、モリエンテス…など銀河最強の時代でした。

ここ数年はほとんど見れてなくて、噂では二強化が進んでると聞いたけど、
また見てみたいなぁと思うこの頃。


最後に当時リーガで頑張ってた人もいっぱい出てる動画を貼ります。
ここまで読んで懐かしかった方はぜひ見てください。
胸が熱くなります。

A football player good at a dribble (25→11)



having, doingからbeingへ

2011-11-17 23:28:19 | Weblog
「会社終わってお金おろそーとコンビニ行ったら、なんとボジョレーヌーボーの解禁日でした!
去年まで学生だったのですが、その時分はただただ解禁日だからというよくわからない理由で毎年飲み会が開催されていました。
それを思い出して、ついつい購入してしまった。ボジョレー。
チーズを買おうとしたのですが、あんまりいいのがなかったので、チーザを買いました。」


この短時間で、僕はボジョレーとチーザを買うという意思決定をしたわけです。

ボジョレーを売る側、チーザを売る側からしてみれば、なぜこの意思決定がなされたのかを考えることがそこそこ大事、というか、結構真剣に考えるべき事象じゃないかと思います。

なぜ買いたいと思ったか、というのはなぜ買ったのかの直前のステップだからです。
その理由を解明すると、売り上げの増加につながる可能性が非常に高いからです。


でも、毎年「この十年で最高!」とか「今年は天候に恵まれ素晴らしい品質に仕上がりました!」とか
よく分からないうたい文句で売られているワインを「解禁日だから」というよくわからない理由で買うのかはなぜなのか、
僕自身よく分かりません。

その、消費する人間ですらわからない無意識の深層心理がインサイトだそうです。
(でも、インサイト直訳自体は「物事の本質を見抜く力」とかいう意味で、そもそもインサイト自体がいろんな意味を持った和製英語化しているのかな?)

難しくてよく分かりませんが、ものをつくって売る人間たちにとってこういう難しいことは大事だったりするようです。



ちょっと前に読んだ「「買いたい!」のスイッチを押す方法」という本に、

「消費者の心はhavingからdoingへ、doingからbeingへ変わってきている」
という興味深い話が書かれていました。

昔はよく価値が分からないけど、すごい高いものを持っていること(having)自体がステータスだったと。
でもそれが、レジャーだったりバカンスや旅行だったりテーマパークだったり、何かを楽しんでいる「行為」自体にお金を払うこと(doing)がステータスになったと。
でも今や、「こういう自分でありたい!」とか「こういう自分になりたい!」とか(being)にお金を使うことがステータスになりつつあると。

その本には書かれていました。

まぁざっくりとした話なのでそう思う人もいればそう思わない人もいると思いますが、
僕自身は占いが当たった時のように「確かになー」と思いました。

若者の車離れとかもこう考えると説明しやすいのかなと思います。
昔は高級車を持ってること自体がステータスだったと。
ちょっと前は、その価値の高い車に女の子を乗せてドライブ行ったりとかがステータスやったのかなと。
でも、今の時代、それこそ都会では車持っている自分(being)の価値自体があまりはっきりしてないのかなと。
車検も駐車場代もかかるし、beingのメリットがそんなないと。
だから若者は車離れをしているのかなと。
シンプルに考えれば分かりやすい考え方だと思います。



ボジョレーを例に用いると

having こんな毎年出来のいいボジョレーを僕は手に入れてるんだよーすごいでしょー
doing 毎年僕はボジョレーの解禁日にその年のボジョレーを飲んでるんだよーすごいでしょー
being こんな毎年ボジョレー解禁日に飲んでる自分って、なんか田崎真也っぽくていいよねーめっちゃすごいよねー











痛い。

自分で言うのもなんですが、相当痛い。


でもこんなことを、日々考えています。