ねるまえとねおき

ねるまえみたいにいろいろ考える自分と、ねおきみたいになんもかんがえない自分の思ったことを、思いついたときにかきます。

ゲノムインプリンティングと被子植物

2006-07-29 01:02:44 | Weblog
今日は授業は一コマだけ。
レポート課題がだされました。
「被子植物においてもゲノムインプリンティングは適応できるか。述べよ。」
他にも4~5問あってこれからがんばってやらないと単位がもらえません。

うーーーーむ。。。

明日6時に目が覚めたら適応できるっていうことにしようか。

ちょーい!

で、授業後久々に友達と大丸のビュッフェに行ってきました。
ランチメニュー1500円。
しかし彼らはまだ若者の片鱗を残した男子大学生をなめすぎたようだ。
おそらく3000円分は食べた。あれやこれやと。
はら八分目までは幸せやったのを覚えています。
店出るときにはもうみんなはらパンパンで、背筋を伸ばすと胃が圧迫されて危険なので、みんな猫背でエスカレーターをおりました。
特に平日の大丸はセレブとその娘が多いため、特に僕たちの集団は浮きました。
でも、久々に幸せなご飯食べました。

たまにはいいね。

大人

2006-07-27 00:03:31 | Weblog
浪人時代にめっちゃ面白い現代文の先生がおって、その人がすばらしいってゆってから村上春樹の小説を読み始めました。
最初は「アフターダーク」でしたが全く意味分からず。
その先生はk塾の先生なんですが、週末はほぼ阪神競馬場に赴き、ビールをのみ、講師として稼いだ金を競馬につぎ込みます。
で、奥さん実家帰ったって。
口癖が「いやー、厳しい。ピシッピシッ!!」っていうので、
もう何から何まで厳しい厳しいゆうから、受験なんかそれに比べたらあんまり厳しくないんかもなっていう錯覚を覚えさせてくれます。

で、村上春樹なんですが。
自分みたいな特に小説に詳しくない人間がどうこうゆえるレベルの人じゃないと思うけど、相当好きです。
世界観がわかるとか言いたいことがどうとかはまったくわからんけど、一見癖のある文章も慣れるとそれにはまってほかの人の文が読みにくくなってしまいました。
何人か好きな作家もいるんですが、でもやっぱりしばらくしたらそこに戻ってきてしまいます。

ほかの人がどう思ってるかはほとんど知らんねんけど、自分が感じるのはね、、
いろんな作品があるけど、なんか、やっぱり喪失っていうのがテーマとしてあるって強く感じる。
しっかり物を考える主人公が、しっかり物を考えて生きてきたつもりで生きてる。
でも、その考えでは到底及ばんことが(それは身近な人の死とか失踪も含めて)起こって、そのときに主人公はすごい無力感というか、なんやろ、どうしようもない絶望感を感じる。
で、そのあとまた希望を見出すか、ひとりの人間の力ではどうしょうもないことを自分の中で一応理解したうえで、新たに生きていくか、絶望のまま終わるかっていうのは作品によって違うかも知らんけど。

たぶん自分がどちらかといえば理詰め理詰めで慎重に生きるタイプの人間やから同情みたいな感情を覚えるんですかね。

特にべたですが「ノルウェイの森」が好きです。おんなじ大学生の話っていうのもあるかも知れんけど。
あとは、「スプートニクの恋人」とか「国境の南、太陽の西」もよいです。

なんか大人になってからはそんなに人間変われるもんじゃないっていうのもよく村上春樹はゆってると思うんですが、最近わが身のこととして痛感しております。
どんだけ理想に近づこうと思ってがんばっても、しばらくして振り返ってみると自分って全然変われてないときが最近多いです。
人によって違うかもやけど、、、
ただそのなんか刺激に対する感受性とかそういうのは確実に鈍くなってる。
ちょっとがんばって勉強しようとかもっと社交的になろうとかいろいろ決心しても、あんまり守れてないよねー。。。それが大人になるっていうこととは思いたくないけど。

それはそれでしゃぁないやんとか、そんなんしたってどうもならんやんとか。
自分が子供のころに大嫌いやった大人の考え方になってきてるな。悲しいけど。
もうインプットの時代は終わっちゃったんかなぁ。。。

いい友達。

2006-07-26 12:54:27 | Weblog
昨日は自動車学校に技能学科あわせて三時間通ったあと、友達がバイト先のカテキョで夕張メロンもらったから飲もうというのでみんなで集まって飲みました。
適当につまみと酒を買って開催先の家に行くと、みんなぞくぞくとそろいまして。
いっつも一緒に飲む五人で、たぶんサークル以外の友達はこいつら以外いませんぐらいいっつも一緒に、まぁ飲むんですけどね。
で相変わらず女の子の話をすると。
「最近バイト先の女の子にアドレス聞きました~!」
「うぉーい!!!」
みたいな。そう、昨日はある友達が図に乗っていました。
久々に浮いた話。みんないいなぁいいなぁって、いい人現れないかなぁっと。
大して恋愛経験もない男たちがそろって恋愛はあーだこーだ、そんな子はあーだこーだ、クラスのあの子はあーだこーだといっとるわけですよ。言われたほうもたまらんよね笑
これが第一フェイズ。

第二フェイズは、だんだん何人か夢の世界に脱落していった後、残ったものでちょっとディープな話をします。
昨日もいろんな話した。
ある友達は世界の貧困にすごい興味があって、一人でインド行ったりフィリピンいったりして自分の目でその現状を見ようっていう努力をするすごい行動派なんですよね。
来年の春もマザーハウス行くとかゆってるし、なかなかすごい人。
まぁその分大分抜けてるところも多々ありますが。
そいつがなんかね、世界の貧しい子供を助けるために「save the children」って言うところに毎月1500円寄付し始めたらしくて、その話でいろいろみんなでいろいろとしゃべりました。
自分はそいつのそういうとこをほんまに尊敬してるんですよ。
そいつがよくゆうのが、
「目の前の道端に死にかけてる子供がおったらどうする?
おれらはたぶん助けようとすると思うけど、そういう子が当たり前のように死んでいく世界もあるねんで。それをなんとか無くしたい。」
っていうのと、
「教育はどんな貧しい子でもみんな受ける権利がある、可能性とか将来を貧しさのために奪われてる子供はほんとに可哀想。」
っていうの。
確かにほんまにその通りやと思う。そういう意味では日本はすごい恵まれてる国やし。
ただね、前々から聞きたいことがあってん。
本心じゃないし、こんなん考える人間って最低やと思うけど、それを覚悟で言うと、おれら豊かな国の人間は貧しい国の人間がいるからこそ豊かでいられるっていうのが、絶対的な事実としてあると思う。不平等があるからこそこんだけ毎日水のように石油使っても、なかなか石油は無くならんし、こんだけ毎日残飯を捨ていても、自分らが食う分の食糧はなくならん。つまり、みんなが上に合わせた平等になるとエネルギーと食糧の枯渇っていう、人類全体の寿命が短くなるっていう事実がある。それを覚悟の上で寄付してるんですか?って。
つまり、そういうストリートチルドレンの死があるからこそ、今の自分らの生がある。彼らの死が全て生に変わった時、自分らに生はあるんやろか?っていう疑問。
中途半端に環境とか経済とか学ぶと、こんな非人道的なことを考えてしまう。
でも、その人たちの死があるから自分らの豊かな生があるって分かってるだけでかなり違うと思うし、その友達には、自分みたいに中途半端な論者どもをこてんぱんに論破するぐらいの力を持ってほしいとも思ったし、思い切って聞いてみた。

じゃあ、やっぱりって言っていいんかわからんけど、「そうすることが正しいから」っていう答えが返ってきて、結構しつこくなんで、なんでって聞いてんけどそれ以上はなかった。

自分もそれは分かる気がするねん。そうやって死にかけてる子供が学校行く途中の道に放置されてたら、絶対助けようと思うしそれは絶対正しい。
でも、でも、もし世界中の貧しい人たちに、豊かな人がお金をあげ、食糧をあげたら、それで解決する問題なんかな?
すーっごい身勝手なほんまに先進国の人間的な考えやけどね。
こんなやつがヒトラーになる気がする。

でもやっぱりこう考えたら「持続可能な発展」ってほんまに相当難しいね。

このほかにも、最近の日本は右傾化してるとか、イスラエルがどうとか、まぁいろんな話してたら朝の五時になって。

9時からの夏季冬道講習(北海道の自動車学校のカリキュラムにあるんよ)を三時間受けてきました。

今日はこれから英語テスト、あしたは2個テストだ、気合いれどころ、ふぁい!

ぶ疲れ。

2006-07-19 01:07:14 | Weblog
いやーテスト。早速一発目終わりました。
月曜休日だったのですが、バイト行って0時に帰ってきて、友達んちでいっしょに四時まで勉強して。
三時間寝て、また勉強して、テスト受けて帰ってご飯作ってたら寝る時間なくなって、またバイト行って23時に帰路に着きました。
そして明日もまた発表というかなんかまぁありまして。
そのために調べなあかんことまだあって。

帰りの電車でぶ疲れてて、MD聞きながら村上春樹読んでて、すすきのから乗ってくる酔ったおっさんとかケバイばばあとかうっさい中途やんきーみたいなんみんな死ねって思ってたら、サークルの先輩マネさんと偶然出会いました。
大通りで飲んでたらしくやたらテンションは高かったのですが、不思議なものでそういう人はうざいとは微塵も思わないんだよねぇ。なんちゅう自己中なね。
その人は現役で年は一歳上やから今は就活とか大変らしい。
自分にもそんな時期が来るのか。
ただがむしゃらに勉強してるだけでも、なんか見えてくるもんがあると最近感じています。将来やりたいこととかね。ある意味自己愛なんかもしらんけど。気付いたらもう就活でしたみたいなんはいややな。今からしっかり考えてないと。ほんまに研究したかったら二年からそういう英語の論文読んでても全然早いわけではないらしい。
もっと能動的に。もっとね。

てかただの学生でこんなストレス溜めてるようやったら将来どうすんのってはなしだわ。

タフメンにならなければ。

代わり

2006-07-10 17:18:33 | Weblog
今日いつも買い物するスーパーで、よく見てたレジのお兄さんを最近見てないことに気付いた。
ほぼ毎日行ってたから顔覚えたって言うのもあるんやけど、そのレジのお兄さんはほかのレジのおばさんたちと違って、客の買ったもんをレジ袋に入れてくれるんよね。特に混んでなかったら。
たぶん別に他のおばさんとかはやってなくてもなんもゆわれてへんから、やらなあかんって言われたわけやないと思うねんけど。
そんなちっさい手間というか思いやりというか、そんなんが自分の目にはすごいあったかく映って、すごいそのお兄さんを尊敬してた。

でも、そのお兄さんがおらんくなってたことに今日まで気付かんかった。
代わりに普通にレジを打つおばさんとかお姉さんになってたことに気付かんかった。
なんかそれがすごい悲しかった。
尊敬してたお兄さんにも代わりがおって、袋に詰めるのも自分でやることも自然と当たり前に思うようになって。
自分が日ごろ生きてる中で感じてた、小さいやさしさみたいな部分が簡単に切り取られて新たに張り替えられてて。張り替えられたことにも気付かんぐらい自然に。

ふと、自分もそんな存在なんちゃうかなって思った。
もし、自分も簡単に切り取られて張り替えられたら、どうなるんやろ?
だれも気付かんぐらいに自然に。
ちょっとおかしいなとか、違和感感じるなとか、そういう人は何人かいるかもしらん。
でも、またレジ袋に自分で詰めるように、それが当たり前のことになるように、忘れられていくんかも。そう考えると、めっちゃ怖いな。

せめて死ぬまでにだれか一人でいいから、「あんたに張り替えられたらどうしても困る」っていう人ができるように生きたい。

願って叶うもんでもないやろうけど。