ねるまえとねおき

ねるまえみたいにいろいろ考える自分と、ねおきみたいになんもかんがえない自分の思ったことを、思いついたときにかきます。

制約

2016-02-23 11:50:05 | ねるまえ
制約。



経済的制約。

お金がなければ生きていけない世の中。
生きていくためには何がしかの手段でお金を手に入れなければならない。
そのために、普通は一生懸命働き、仕事に時間を費やす。



時間的制約。

家族のため、自分のため、将来のため…
ホントは色んな事に使いたい自由な時間。
でも、普通はそんなにたくさん自由に使える時間を持っていない。
生きていくお金を稼ぐため、他者や社会のため、
お金と引き換えに、日々、時間は費やされていく。

そんなこんなで、
お金があっても、大切な人、大切なことに費やす時間は、
日々何らかの制約を受けて、普通限られる。



発想的制約。

お金があって、さらに自由に使える時間を十分に持っていても、
なぜか幸せそうに見えない人がいる。
発想力が乏しく、せっかくある自由な時間を、
どう使えば最もよいのか、想像することができない。

逆に、お金はそこそこで、自由な時間がそれほど多くなくても、
とても幸せそうに見える人もいる。
その人たちは限られた経済力、時間のなかで、
人生を豊かに、幸せに生きる術を知っている。



機会的制約。

どれだけ、お金と時間と発想力があっても、
それを活かせる機会がないと、
一人ぼっちの自己満足で終わってしまう。
(もちろん、それでもよいという人はいるかもしれないが、、、)

限られたお金、時間のなかでも、
未来を発想し、それを活かす機会を得た人は、
どの時代でも、生き生きと強く生きていくことができる。



今の都会は、薄くて、制約ばかり目立って、
ものばかりあふれて、
何が幸せで何が豊かなのか、考える機会すら奪われている。

そして、日本が数十年か前に夢見た、
時間を惜しまずバリバリ働いて、
経済的にも物質的にも豊かになって、
目に見える速さで劇的に生活が豊かになっていった時代が、
もう訪れない可能性が高いことに気が付かないふりをしている。



たぶんこれからの時代は、
色んな制約がある中でも、
前向きに豊かに発想して、
他人頼みでなく自分たちで機会を創造して、、
何が本当の豊かさで何が本当の幸せなのかを一生懸命考えて、
能動的にポジティブに生きていくことが求められているんだろう。

そしてそういう人々が集まると、
どんなに世の中が変化しても、
集団全体として楽しく、幸せに生きることができるんじゃないか。


そんな生きる密度が濃い街に住んでみたい。