ねるまえとねおき

ねるまえみたいにいろいろ考える自分と、ねおきみたいになんもかんがえない自分の思ったことを、思いついたときにかきます。

心のそこからわき上がるもの

2013-11-11 22:21:09 | ねるまえ
ものづくりをする職業について仕事をしていると、
その「もの」を作ることについては誰よりも詳しくなるのに、
それを最終的に使うお客さんの気持ちを考えるのが難しくなる。

最近よく思います。


お客さんが商品を買うとき(=自分がつくっているもの以外のものを自分で買うとき)、

何を考えて買っているかというと、何も考えてないんですよね。


いや、そこまで言うと言いすぎかもしれないけど、

CMを見ていたり、お店で商品を見ていたり、友達が持っているのを見て、
「これ、欲しい!」と思う理由って、理屈で説明できるものではないと思います。

もちろん、最終的に買うかどうかは頭で考えるとしても。
(時に頭で考える前に買ってしまうことすらあります)


でも、ものをつくる立場になると、
この商品は競合に比べて何が負けているのか、とか、
ブラインド(商品名、ブランド、価格などを見せずに)で勝負すると一番評価が高いから売れるはずだ、とか。

いろんなことを論理で考えてしまう。


そういう論理で築き挙げられた商品開発の結果がお客さんの手元に届く頃には、
これとあれって何が違うんだろう、とか、
なんでこんな商品つくったんだろう、とか、
よくわからないことになってしまう。


お客さんが実際に商品を買うときに思う、
「なんかこれいい」、「なんかこれほしい」っていう感覚って、
商品の開発が進む過程できれいに削ぎ落とされてしまっている。


それが、いま自分が働いている会社の現状だし、
おそらく他業界のメーカーでもそういうところが多いのではないかと思う。

まぁ「なんかほしい」と思ってもらえそうなものできました、とか言われても、
決済者にとってはかなり辛いという気持ちも十分想像できますが笑


でも、もっとシンプルに、感覚的に、自分だったらこれ欲しいなと少しわがままに、
ものをつくる人がいてもいいんじゃないか。

最近、自分はそういう仕事の仕方がしたいと思うようになりました。




でね、無意識的に、心のそこからわき上がる感情って、
大人になるとどんどん少なくなるけど、とても大事だと思うんです。

先の例では、「なんかこれ欲しい」だったけど、


「なんか無性にこれ食べたい」
「なぜかうまく説明できないけど、自分はこういう人間になりたい」
「なぜかわからないけど、あの人のことが気になる」
「さっき旅番組でやっていた場所に、一生に一回でいいから行ってみたい」


こういう心のそこから湧き上がってくる感情は、
きっと自由で、その人の個性で、数字で測れるものでもなくて、論理で説明できるものでもない。


今の世の中で求められているのは、
お客さんの心のそこから湧いてくる無意識の感情スイッチをうまく押せる商品やサービスなんじゃないか。


奥さんに、「今日晩ご飯なにが食べたい??」と聞かれて、少し悩んだあと、

「うーん、、、、なんでもいいや」って言ってしまう事、自分もよくありますが、

自分が食べたいものですら思いつかないって、よく考えたら悲しいですよね。


じゃあその無意識の感情スイッチはどうやって押すんだよ、ということになりますが、
長くなってしまったし、疲れちゃったので、続きはまた今度書きます!!!!(ごめんなさい)


完全な答えではないけど、多少、ヒントは掴んでいるつもりです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿