いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<伝統野菜> 鹿児島 はやとうり -追記うり-

2024-06-21 09:10:50 | 伝統野菜

 「はやとうり」

 由来
 大正6年に日置郡永吉村の矢神氏がアメリカから持参し,試作したのが日本で最初の栽培とされ,大正9年頃から鹿児島県内に広く普及した。
 作物の特徴・特性
 白色種と緑色種がある。果実は,洋梨を思わせる果形であるが,果面に凹凸がある。果実の大きさは縦10~15cm,横7~10cm,重さ0.5~1kg程度である。
 段ボール箱に入れて寒さを防いでおくと翌春まで食べられる。
 味や料理法
 塩漬け,粕漬け,ぬか漬け,味噌漬けなどの利用が多い。
 生食用としては,炒め物,煮物,和え物に使われる。
  栽培カレンダー

*http://www.pref.kagoshima.jp/ag06/sangyo-rodo/nogyo/nosanbutu/dentou/hayatouri.html より

 

 「隼人瓜-はやとうり」

 【生産地】鹿児島全域

 【特徴】白色種と緑色種がある。果実は洋梨を思わせる果形であるが、果面に凹凸がある。果実の大きさは縦10~15cm,横7~10cm,重さ0.5~1kg程度。白色種の果実と葉は緑色種よりやや小さい。強健、豊産で加工用に向き、最近はこの緑色種の品種が多く栽培されている。段ボール箱に入れて寒さを防いでおくと翌春まで食べられる。

 【食味】白色種は果色が象牙色で、やや硬く感じる。緑色種は果皮・果肉とも淡緑色で、切るとやや青臭さがあるが、水分を多く含み、柔らかく感じる。

 【料理】塩漬け,粕漬け,ぬか漬け,味噌漬けなどの利用が多い。炒め物,煮物,和え物。

 【来歴】1917(大正6)年、日置郡永吉村(ながよしむら)の矢神隼氏がアメリカから鹿児島に持参し、試作したのが日本で最初の栽培。1920(大正9)年頃から鹿児島県内に広く普及した。「はやとうり」の命名は、当時の鹿児島高等農林学校長(現鹿児島大学農学部)であった玉利喜造氏が、薩摩の武士の美称である「薩摩隼人(さつまはやと)」にちなんで名付けられた。別名「千成(せんなり)」「インドメロン」がある。鹿児島県では瓜のことを「ウイ」と言うため「隼人ウイ(はやとうい)」と呼ぶ。

 【時期】10月

*https://tradveggie.or.jp/vegetableposts/46-kagoshima#index_DkwBzwZm より

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< 郷土料理 > 栃木 しもつかれ/シモツカレ

2024-06-21 09:00:58 | 郷土料理

 「しもつかれ/シモツカレ」

 主な伝承地域 栃木県全域

 主な使用食材 だいこん、大豆、塩引き鮭の頭、酒粕、ニンジン、油揚げ

 歴史・由来・関連行事
 栃木県を代表する郷土料理のひとつ。正月に食べた塩引き鮭の頭や、節分に煎った福豆の残りの大豆などの残り物を使った、先人たちの知恵が詰まった一品である。かつては旧暦2月初午(はつうま)の時に稲荷神社に供えるものとして作られ、その時期以外には作らないという禁忌が設けられていた。初午の頃は、野菜の端境期であり食材の調達が難しかった。残り物で作るしもつかれは、本来神様への供え物にはふさわしいものではない。そのため、普段は作らず神様への供物=「変わりもの」とすることで、稲荷神社への供物と昇華させたと考えられる。
 食材は地域によって様々である。栃木県央地帯から茨城県の鬼怒川下流域では、だいこん、大豆、塩引き鮭の頭、酒粕、ニンジン、油揚げを基本材料とする。埼玉県東部や千葉県北部、福島県南奥会津、但馬では、だいこん・大豆だけであり、その他、だいこん・大豆・塩引き鮭の頭の組合せや、だいこん・大豆・塩引き鮭の頭・酒粕のタイプもある。酒粕が用いられるようになったのは、造り酒屋が出現し、酒粕が流通するようになった江戸時代中期の頃といわれる。

 食習の機会や時季
 2月初午の前日に作り、初午に供え食していたものだったが、近年はそれに限らず、冬になると家庭で作られる。「七軒のしもつかれを食べると病気にならない」とまで言われ、だいこんに含まれるジアスターゼをはじめ、大豆のたんぱく質、塩引き鮭の頭のカルシウム、酒粕の糖分など、栄養価の高い食べ物で、日常のご飯のお供として親しまれている。

 飲食方法
 塩引き鮭の頭はよく洗い1度ゆでこぼし臭みを取る。圧力鍋で鮭の頭を煮たあと、厚手の鍋に材料を入れて1時間ほど煮込んでいく。味がなじんだら酒粕を入れ調味料で味を整える。
 鮭の塩加減により加える醤油、塩は加減し、塩鮭の頭は焼いて使用してもよい。
 また、煎り大豆の替わりにゆで大豆を用いるのもよい。温かい赤飯と一緒に食べると、ほどよい塩味と冷たさがよく合って、冷たいしもつかれは臭いも少ない。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 栃木県内の飲食店や道の駅、スーパーで販売されている。県を代表する郷土料理としてイベントも多数開催されている。また、宇都宮市の市民活動団体は、子ども向けの郷土料理教室を通じて、「しもつかれ」をはじめ、県に伝わる伝統料理の保存、伝承を行っている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/31_1_tochigi.html より

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<B級ご当地グルメ> 栃木 レモン牛乳

2024-06-21 08:54:50 | B級ご当地グルメ

 「レモン牛乳」

 レモン牛乳(レモンぎゅうにゅう)は、栃木県内の製乳メーカー2社が生産している乳飲料の通称である。無脂肪牛乳、生乳に甘味料、香料を加え着色料で黄色く着色した飲料である。

 レモン果汁は入っておらず、無果汁と表示されている。

 2000年に日本で発生した雪印集団食中毒事件をきっかけに、2003年から日本では生乳100%のものしか「牛乳」と表記することができなくなったため、商品名から「牛乳」が省かれている。

 概要
 宇都宮市の老舗製乳メーカー「関東牛乳」が第二次世界大戦後間もない頃に開発、「関東レモン牛乳」の名前で商品化したのが始まりである。発売当時は砂糖が貴重な時代で、砂糖を入れて黄色く着色したレモン牛乳は、すぐに人々に受け入れられた。

 主に宇都宮市内の牛乳販売店や小売店の他、学校の購買部や運動会など学校行事での販売を通し売れ筋商品となり、同市民にとって馴染み深い飲料である。2002年頃から宇都宮市内のセブン-イレブンで取り扱いが始まり、人気が再燃していた。

 関東牛乳の廃業に伴い2004年9月で一度生産中止となった後、栃木市の製乳メーカー「栃木乳業」が関東牛乳から無償でレシピ等を継承、2005年1月に「関東・栃木レモン」(かんとう・とちぎレモン)の名で復活した。「関東・栃木」の「関東」の部分の字が大きくなっている。紙パックの200mlと500ml[注 1]があり、栃木県内のコンビニエンスストアの一部店舗や一部のスーパーチェーン店、佐野SAをはじめとする栃木県内の東北自動車道のサービスエリアやパーキングエリア、県内各地の道の駅のほか、栃木県外でも一部地域にて購入が可能である。

 経緯、時期等は不明であるが、栃木乳業から発売される前にも、一時的ではあるが、宇都宮市の製乳メーカー永島牛乳より関東永島レモンとして発売されている。

 宇都宮市の製乳メーカー「針谷乳業」でも1940年代後半に開発し当初は「レモン牛乳」。現在は「針谷おいしいレモン」の名称で商品化していて、紙パックの200mlと500mlの2タイプがあるが、500mlの取扱店は少ない。

 なお、上述のとおり本製品はレモンの味はしない。通常、牛乳にレモン果汁(柑橘類の果汁)を加えるとタンパク質成分が分離・沈殿してしまうため、レモン果汁入り乳飲料を製造することは制約が多い。

 商品詳細

 関東・栃木レモン
 栃木乳業製。無脂肪牛乳、生乳(50%未満)。甘味料は砂糖・ブドウ糖。当初は着色料に黄色4号を使用していたが、2013年現在は天然着色料(紅麹・紅花黄)を使用している。

 針谷おいしいレモン
 針谷乳業製。無脂肪牛乳、生乳(50%未満)。甘味料はぶどう糖果糖液糖。着色料にはクチナシ色素を使用している。

*Wikipedia より

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うまいッ! NHK「香ばしくてほのかに甘いゴマ~鹿児島県・喜界島~」

2024-06-21 08:28:01 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「香ばしくてほのかに甘いゴマ~鹿児島県・喜界島~」 2016年10月09日

 番組内容
 日本で消費されるゴマのほとんどが輸入ものという中、貴重な国産ゴマを生産しつづけている鹿児島県喜界島。自然の恵みを存分に生かして育てられる白ゴマは、香り高く濃厚でコクのある味が極上。地元の人々がお祝いの時などに作るというゴマを使った菓子や、喜界島のゴマを愛する和食のプロがおすすめするゴマのうまみを堪能できるレシピもご紹介する。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201610090615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「喜界島のゴマ」

 喜界島は、ゴマの栽培に適した気候、土壌であることから、国内最大の産地となっています。5月中旬に播種(種まき)をして、7月から収穫が始まり9月ごろまで続きます。収穫時期は島の至るところで、ごまの天日干しの「セサミストリート」が出現し、ほかでは見ることができない風景をご覧いただけます。

 国内産ゴマのうち、喜界島産の占める割合 65%/令和3年度

 ゴマの植物的特徴
 ・ゴマ科ゴマ属の一年草
 ・原産地:アフリカ大陸(栽培ゴマが始まったのはインド)
 ・生育適温は、25℃~35℃
 干ばつ(乾燥)に強く、多雨(湿害)に弱い
 ・草丈は約1m。
 花が咲いた後に生じるさく果(鞘)の中に多数の実ができる。
 ・品種、系統の違いによって、黒ゴマ・白ゴマ・金ゴマ等がある。

 喜界島のゴマの特徴・魅力
 在来種
 喜界島のゴマは、島外の他の品種と交配されず、生産者が自ら種を残し、栽培されてきた在来種の白ゴマ。
 喜界島の風土に適応しており、病害虫に強いと言われ、無農薬・無化学肥料で栽培されてきた。
 品質
 通常の白ゴマより、小粒だが、香りが強いことが特徴。
 隆起サンゴ礁由来の土壌で育つため、ミネラルが豊富で機能性成分も多く含まれている。
 貴重な『夏場の換金作物』
 喜界町の基幹作物は、さとうきび。さとうきびの収穫は糖度が上がる冬に行われるのが一般的。
 夏場に現金収入の無い農家にとって、貴重な換金作物。

 喜界島のゴマの歴史
 100年以上
 『鹿児島縣大島郡統計書』(明治42年)
 「奄美群島のごま収穫高のうち約65%が喜界島産」との記述。
 さらに歴史がある可能性も

 『南島雑話』(名越佐源太:19世紀中頃)
 「奄美大島でゴマのお菓子が作られていた」という記述。
 喜界島のゴマが利用されていた可能性も!!
 注目され始めたのは近年
 製油業者の目に留まり、高値で取引されるようになり、平成16年頃から栽培面積・生産量が増加。

 喜界島における白ごまの生産状況①
 作付面積
 ・生産者増加による面積増加
 (平成31年栽培戸数は、250戸)
 ⇒買取価格の上昇が起因
 生産量
 ・天候(台風)により左右される。
 ・栽培方法の変化による単収の減少。
 (ばら播き⇒条播き)

*https://www.town.kikai.lg.jp/tougyo/sangyo/nogyo/nosanbutsu/documents/sesameinkikaiisland20231003.pdf より

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<料理用語-和食> 漉し器

2024-06-21 08:11:33 | 料理用語

 「漉し器」

 素材を漉す道具。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/026.html より

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<異名-食べ物> 大地のリンゴ

2024-06-21 08:08:08 | 異名

 「大地のリンゴ じゃがいも」

 ジャガイモは、ナス科ナス属の多年草の植物。デンプンが多く蓄えられている地下茎を食品として利用します。

 ジャガイモは地下の茎の部分(塊茎)を食用にする。加熱調理して食べられるほかに、デンプン原料としても利用されます。

 ジャガイモの原産は南米アンデス山脈の高地で、16世紀には、スペイン人によりヨーロッパにもたらされました。このとき運搬中の船内で芽が出たものを食べて、毒にあたったため「悪魔の植物」と呼ばれました。日本には、1600年ごろにオランダ船によりジャカルタ港より運ばれた。日本では当時は観賞用として栽培されたといいます。

 そのほか、オランダ語のaardappel(大地のりんご)からきた「アップラ」「アンプラ」「カンプラ」という呼称も存在します。

*https://www.alias-food.com/crop/apple-of-the-earth より

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<難読漢字-鳥類> 黄鶲

2024-06-21 08:04:43 | 難読漢字

 「黄鶲 きびたき」

 キビタキ(黄鶲、学名:Ficedula narcissina)は、スズメ目ヒタキ科ノビタキ亜科に分類される鳥類の一種。

 樺太から日本列島全土とその近隣、中国の一部地域で繁殖し、冬期はフィリピンやボルネオ島などの東南アジアへ渡りをおこない越冬する。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 手を掛ける など

2024-06-21 08:00:34 | 慣用句・諺

 「手を掛ける」

 1 人手を費やす。手数をかける。手間をかける。

 2 自分の手で行う。手掛ける。

 3 手出しをする。盗みをする。

 

 「手を貸す」

 労力を貸す。助力する。

 

 「手を借りる」

 協力や助力を求める。手伝ってもらう。

 

 「手を切る」

 関係を絶つ。縁を切る。多く、悪い関係・男女関係を断ち切る場合にいう。

 

 「手を砕く」

 さまざまに工夫をこらす。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 山形 羽根田酒造

2024-06-21 07:51:07 | 日本酒

 「羽根田酒造」

 昔も今も変わらぬ酒造りの基本を守り、個性豊かな酒を造り続けて参ります。
 昔も今も変わらぬ酒造りの基本を守り、純米酒を中心に爽やかで個性豊かな酒を造り続けて参ります。
 羽前白梅を末永くご愛飲下さい。

 羽根田酒造 山形県鶴岡市大山二丁目1-15

*https://yamagata-sake.or.jp/pages/41/ より

 代表銘柄

羽前白梅 純米大吟醸

酒 別     純米大吟醸
アルコール度     16~
原料米     山田錦
精米歩合     40%
日本酒度     +3.0
酸 度     1.2

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<四国八十八箇所> 第82番札所 根香寺

2024-06-21 07:45:42 | 巡礼

 「根香寺」

 根香寺(ねごろじ)は、香川県高松市中山町にある天台宗単立の寺院。青峰山(あおみねさん)、千手院(せんじゅいん)と号す。本尊は千手観世音菩薩。四国八十八箇所第八十二番札所。

 本尊真言:おん ばさら たらま きりく そわか
 ご詠歌:宵のまの妙(たえ)ふる霜の消えぬれば あとこそ鉦(かね)の勤行(ごんぎょう)の声
 五色台の青峰(標高449.3 m)の中腹(標高365 m付近)に位置し霊場中10番目の高さ。紅葉の名所で、その期間は駐車場が渋滞する。

 歴史
 寺伝によれば、空海(弘法大師)が弘仁年間(810年 – 824年)にこの地を訪れ五色台の五つの峰に金剛界の五智如来を感得し密教の修行にふさわしい台地であるとし、その一つである青峰に一宇を建立し五大明王を祀り「花蔵院」と称し、衆生の末代済度を祈願する護摩供を修法をしたと伝えられている。その後、円珍(智証大師)が天長9年(832年)に訪れたさい、山の鎮守である市之瀬明神の化身の老翁に、蓮華谷の霊木で観音像を造り観音霊場の道場をつくるよう告げられた。すぐさま円珍は、千手観音像を彫像し「千手院」を建てて安置した。この霊木は香木で切り株から芳香を放ち続けたことから、この2院を総称して根香寺と呼ばれるようになったという。

 後白河天皇から勅願所として帰依も厚く繁栄したが、寺記によると永正以来海賊が大蜂起し、伽藍ほか焼かれたとされる。しかし、慶長年間に高松城主・生駒一正が復興、さらに寛文4年(1664年)高松藩初代藩主松平頼重が再興した。なお、このとき真言宗から天台宗に改宗された。

 牛鬼伝説

 江戸時代の初め頃、この地には牛鬼がいて人や家畜に危害を加えていた。そこで弓の名手であった山田蔵人高清に退治を依頼した。高清は3本の弓で見事に牛鬼を退治した。高清は退治した牛鬼の角を切り取り、根香寺に奉納し菩提を弔ったと伝えられている。現在、根香寺にはその牛鬼の角と呼ばれるものと、牛鬼の姿が描かれた掛け軸が伝わっている。

 境内

 山門(仁王門)
 本堂 - 本尊は33年に一度開帳の秘仏、次回は令和18年(2036年)の予定。左脇陣は非公開の智証大師坐像、右脇陣は毘沙門天立像で拝観できる。
 大師堂 - 大師像を拝観できる。
 五大堂 - 五大尊の像を拝観できる。
 六角地蔵堂 - 延命地蔵石像を安置。昭和54年建立。
 龍宮地蔵堂 - 海中より網で引き揚げられた地蔵石像を安置。
 白猴欅(はっこうけやき) - 樹齢1,600年とも言われるケヤキの老木であり、香川県の天然記念物に指定されていたが枯死した。名の由来は智証大師が寺院創建の折にこの樹を伝って下りてきた白い猿が大師を手助けしたと言われる伝説に由来する。平成3年(1991年)に株を生えていた場所に置き、屋根を付け保存されている。
 はらくわり地蔵(弘治2年・1556年)- 本堂後ろの山中より本堂回廊に移動。地蔵の周辺の木を伐採するとおなかが痛くなるという言い伝えあり。
 水かけ地蔵(青銅製) - 大正14年に安置。中興の龍海和尚200回忌記念。先代の陶器製牛鬼像はここに設置されていたといわれる。
 役の行者石像 - 昭和6年に安置。当寺に役の行者の直接的な謂れはない。、
 牛頭観音石像 - 昭和60年に安置。
 牛鬼像(青銅製)- 山門外左側の林の中に安置。
 山門の左側の林の中に牛鬼像がある。山門をくぐり25段下り進むと今度は上りの石段があり、上がって行くと右に大師堂、左に納経所がある。さらに石段を上がり上り詰めると正面に本堂が見えるが左の薄暗い回廊の中を巡って合計135段上がると本堂に至る。

 宿坊:なし
 駐車場:山門の前にあり(無料)

 文化財
 重要文化財
 木造千手観音立像 - 桜材の一木造りで漆箔、163.3 cm、平安時代の作。当寺の本尊で、33年に一度開扉の秘仏。昭和30年2月2日指定
 史跡

 讃岐遍路道 根香寺道 - 白峯寺から根香寺へ向かう遍路道約5 kmのうち、以下の区間の総計2.234 km(そのうち約1.2 kmが坂出市)が対象。平成25年10月17日指定
 根香寺まで50丁の白峯寺本坊前から石組祠のある41丁まで
 遍路道分岐の19丁から県道出合いの足尾大明神手前の14丁まで
 県道出合いの9丁辺りから仁王門前上駐車場の1丁まで
 序盤区間には摩尼輪塔や下乗石や白峯寺歴代住職墓地や石畳や毘沙門窟灯籠が、2丁辺りには根香寺歴代住職墓地が残っている。
 香川県指定有形文化財
 五大明王像 - 向かって左より大威徳夜叉明王、金剛夜叉明王、大日大聖不動明王、降三世夜叉明王、軍荼利夜叉明王の5躯。不動明王は1286年(弘安9年)元寇調伏祈願のため造られる。他の4躯は1683年(天和3年)高松藩主が京都の仏師に造らせた。平成16年から20年にかけて修復される。昭和44年4月3日指定
 木造智証大師坐像 - 本堂の向って左脇陣に安置。制作仏師は上野法橋政覚、彩色は大輔法橋隆心、元徳3年(1331年)作。平成25年3月29日指定

 根香寺  香川県高松市中山町1506番地

*Wikipedia より

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