いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<伝統野菜> 鹿児島 花岡こしょう -追記あり-

2024-06-23 06:51:22 | 伝統野菜

 「花岡こしょう」

 由来など
 花岡こしょうは,鹿屋市花岡地区で栽培されている唐辛子。(鷹の爪群)

 九州では唐辛子を一般的に「こしょう」と呼んでいた。

 鹿屋市史によると,明治31年に伊藤民十郎村長が神戸の貿易商から教えられて種子を持ち帰ったのが始まりとされている。明治から戦後にかけて花岡地区で栽培され,最盛期は120ヘクタールの作付けがあった。アメリカやイギリスにも輸出され高い評価を得ていたが,収穫や乾燥に手間がかかるため栽培農家,生産量ともに減少していった。

 現在は,市販品種と交雑しないように配慮し,農家個々で守り抜いてきた種子を譲りうけた花岡胡椒研究会がかつての栽培農家と協力しながら栽培している。

 作物の特徴・特性
 果実は円錐型,長さ3センチぐらいである。(長さが短く,細い)

 味や料理法など
 香りが強く,辛みがまろやかでる。
 栽培カレンダー

*http://www.pref.kagoshima.jp/ag06/sangyo-rodo/nogyo/nosanbutu/dentou/hanaokakosyou.html より

 

 花岡こしょう

 【生産地】鹿屋市花岡地区

 【特徴】鷹の爪群の唐辛子の一種。果実は円錐型で、長さが3センチ程と短く、細い。

 【食味】香りが強く,辛みがまろやか。

 【料理】調味料

 【来歴】九州では唐辛子を「こしょう」と呼んでいた。鹿屋市史によると,明治31年に伊藤民十郎村長が神戸の貿易商から教えられて種子を持ち帰ったのが始まりとされている。明治から戦後にかけて花岡地区で栽培され,最盛期は120haの作付けがあった。アメリカやイギリスにも輸出され高い評価を得ていたが、収穫や乾燥に手間がかかるため栽培農家・生産量ともに減少していった。現在は,市販品種と交雑しないように配慮し,農家個々で守り抜いてきた種子を譲りうけた花岡胡椒研究会がかつての栽培農家と協力しながら栽培している。

 【時期】9月~11月

*https://tradveggie.or.jp/vegetableposts/46-kagoshima#index_JtLKO8OO より

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< 郷土料理 > 栃木 干瓢の卵とじ

2024-06-23 06:47:27 | 郷土料理

 「干瓢の卵とじ」

 主な伝承地域 栃木県全域

 主な使用食材 かんぴょう、卵

 歴史・由来・関連行事
 「干瓢の卵とじ」は、栃木県の特産品「かんぴょう」を用いた郷土料理である。 栃木県は国内の生産量の9割以上を占めるほどのかんぴょうの産地。その栽培の歴史は古く、江戸時代正徳2年(1712年)に下野国壬生藩(現栃木県壬生町)に伝わったのが始まりとされる。ゆうがおは火山灰台地と夏の高温気候に適し栽培地を拡大し、現在では、宇都宮市、上三川町、下野市、壬生町などで主に作られている。 かんぴょうはゆうがおの果肉の皮を細長く切ってから乾燥させて作る。この際、上手にむけなかったかんぴょうがもったいないと、汁物に使われたのが「干瓢の卵とじ」の始まり。どのような味付けにもなじむかんぴょうは、ほかにも補助食として多くの献立に使用されている。

 食習の機会や時季
 忙しい農家で、加工に失敗したかんぴょうを使った簡単かつ栄養のある料理として一年を通じて作られてきた。現在では、市販のかんぴょうが使って一般家庭で食べられるほか、学校給食の献立としても親しまれている。

 飲食方法
 切ったかんぴょうを溶き卵の中に入れよく混ぜ、だし汁と調味料で味つけをした中へ入れ軽くかき混ぜる。味付けは、醤油仕立てのほか味噌を使ってもよい。
 卵を入れる際は汁の温度を十分に上げて入れる。
 かんぴょうを漬け物や和え物にする場合は、たっぷりの熱湯につけ歯ごたえを残すとよい。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 一般家庭で食べられているほか、学校給食の献立としても親しまれている。 かんぴょうは食物繊維を多く含んでいることから、年見直されてきている。 宇都宮市内の市民団体活動で、子ども向け郷土料理教室の開催を通して、地域に伝わる伝統料理の保存、伝承を行っている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/31_3_tochigi.html より

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<B級ご当地グルメ> 栃木 マヨ豚骨麺

2024-06-23 06:43:47 | B級ご当地グルメ

 「マヨ豚骨麺」

 都道府県 栃木県
 地域 那須塩原市
 推進団体 
 概要 マヨ豚骨麺は、栃木県那須塩原市のご当地B級グルメ。
 豚骨ダレ、醤油ダレに鶏ガラスープを加え、マイルドなマヨネーズを使って、さっぱりした味わいのスープ。「ヌードル みの作」が考案、提供したもので、那須塩原市でひそかな盛り上がりを見せています。

*https://b9navi.com/%e3%83%9e%e3%83%a8%e8%b1%9a%e9%aa%a8%e9%ba%ba%ef%bd%9e%e9%82%a3%e9%a0%88%e5%a1%a9%e5%8e%9f%e3%81%ae%e7%a7%98%e5%af%86%e3%81%ae%e3%81%94%e3%81%a1%e3%81%9d%e3%81%86/ より

*https://ameblo.jp/tm5193/entry-12623785282.html より

 麺 みの作 本店 那須塩原市西富山76-2

 それほどの反響はないのか?

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うまいッ! NHK「清流の恵みまるごと!モクズガニ~高知県四万十市~」

2024-06-23 06:24:37 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「清流の恵みまるごと!モクズガニ~高知県四万十市~」 2016年10月23日

 番組内容
 高知・四万十川で取れるモクズガニはプリップリの身が詰まっていて、濃厚なカニミソはほのかな甘みも味わえる。さらに、産卵を控えた秋は卵も楽しめる山のごちそうだ。50年以上のキャリアを持つ川漁師に密着し、モクズガニのおいしさの秘密に迫る。また、新鮮なカニを余すところなく味わう伝統的な料理も紹介。漁獲量が減少しているモクズガニを始め、四万十川の生きものを守るための流域住民の取り組みも合わせてリポートする。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201610230615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に知らべてみました。

 「モクズガニ」

 モクズガニ(藻屑蟹、学名:Eriocheir japonica)は、エビ目(十脚目)・カニ下目・イワガニ科に分類されるカニの一種。食用として有名な「上海蟹」(チュウゴクモクズガニ)の同属異種である。日本各地で食用にされている内水面漁業の重要漁獲種である。

*Wikipedia より

 【高知県・四万十川「ツガニ」】生きた川の証となる旨さ 

 濃厚なミソの味は絶品
 欄干のない沈下橋の光景で知られる四万十川。四国最長の大河であり、大きな特徴として豊かな川漁文化が残っていることが挙げられます。その中にはアユの火振り漁、ゴリのガラ曳き漁、ウナギやエビの柴づけ漁といった伝統的なものも見られます。代表的な川漁の対象はアユ、ウナギ、シジミ、川エビ、青のり、そして地元でツガニと呼ばれるモクズガニ。

 モクズガニはハサミの部分に密集した毛が、藻の屑のように見えることからその名が付いたといわれ、夏は川の上・中流域で生育し、秋は繁殖のために河口や海域まで降下して交尾、産卵を行ない、春に再び川をソ上します。つまり、アユ、ウナギ、川エビなどと同じで、天然物は海とつながった健全な川があってこそ育つのです。

 高級食材として有名な上海ガニは近縁種。日本のモクズガニも味のよさは劣らず、全国に生息していますが、四万十川は水質のよさとエサの多さから、なかでも型がよく味のよいものが獲れます。特に濃厚なミソの味は絶品。なお、モクズガニはきれいな水で育ったものでないと、茹でた時に鮮やかな赤色になりません。漁期は夏から秋まで。伝統的な筌(うけ)の代わりに現在ではカゴを仕掛けて捕獲します。

*https://www.ana.co.jp/travelandlife/article/000873/ より

 

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<料理用語-和食> 漉し器-水嚢

2024-06-23 06:11:48 | 料理用語

 「水嚢-すいのう」

 液体状のものを漉す漉し器である。
 寒天液を漉したり、粉を振るったりもする。

 曲げ物の底部に網を張り、内側に枠をはめて補強されている。網は裏漉しとほぼ同じ。
 網が馬の尾毛のものは出汁や味噌汁を漉す。

 外見は裏漉しによく似ており、昔はこれも「裏漉し」と呼ばれることがあった。

 しかし、使い方は裏漉しと反対に枠の内側を使用するものであり、すいのうを裏ごしとしては使えないし、裏ごしを水嚢の様に使うとすぐに網が緩んでしまう。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/026.html より

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<異名-食べ物> 畑の肉 など

2024-06-23 06:09:16 | 異名

 「畑の肉 大豆」

 畑の肉とも言われる大豆。

 大豆が「畑の肉」と注目を浴びるようになったのは、意外にも日本ではなくドイツが始まりです。

 1885年に行われたウィーン万博で日本の農産物として出品されたもの中に「大豆」があり、大豆の栄養価が高く評価されたのがきっかけです。

 大豆には、たんぱく質が豊富に含まれていて、35%も含まれています。
 また、大豆に含まれるたんぱく質は、必須アミノ酸を豊富に含んでいるため、野菜や穀物よりも肉に近く、「畑の肉」と呼ばれるようになりました。

*https://www.alias-food.com/crop/meat-of-the-field より

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<難読漢字-鳥類> 水鶏、秧鶏

2024-06-23 06:06:00 | 難読漢字

 「水鶏、秧鶏 くいな」

 クイナ(水鶏、秧鶏]、水雉、Rallus indicus)は、ツル目 クイナ科 クイナ属に分類される鳥類。

 日本の古典文学にたびたび登場する「くひな」「水鶏」は、別属のヒクイナを指していることが多い。(→ ヒクイナを参照)

 ヒクイナ(緋水鶏、緋秧鶏、学名:Porzana fusca)は、ツル目 クイナ科 ヒメクイナ属に分類される鳥類。

 古くは単に「水鶏」(くひな)と呼ばれ、その独特の鳴き声は古くから「水鶏たたく」と言いならわされてきた(下記参照)。くいなとして、三夏の季語。

 湿原、河川、水田などに生息する。和名は鳴き声(「クヒ」と「な」く)に由来し、古くは本種とクイナが区別されていなかった。

 古くは単に「水鶏」(くひな)と呼ばれ、連続して戸を叩くようにも聞こえる独特の鳴き声は古くから「水鶏たたく」と言いならわされてきた。

 夏の季語]。古典文学にもたびたび登場している。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 手を締める など

2024-06-23 05:59:21 | 慣用句・諺

 「手を締める」

 商談・和解などの成立、会合の終わりなどを祝って、一同がそろって拍手する。手締めをする。

 

 「手を擦る」

 両手をすり合わせる。懇願・謝罪などをするときのようすにいう。もみ手をする。

 

 「手を袖にする」

 手出しをしないで傍観する。

 

 「手を染める」

 関係をもちはじめる。手をつける。

 

 「手を携える」

 ⇒携える3-(「手を携える」の形で)手を取り合う。また、協力する。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 山形 麓井酒造

2024-06-23 05:49:47 | 日本酒

 「麓井酒造」

 原料を厳選しぜいたくに使い、美酒造りにひたすら情熱を傾けています。

 弊社は、冬場の清らかな空気、清洌にして豊かな良水に恵まれた庄内平野・鳥海山麓にある小さな蔵元です。昔ながらの生酛造りで酒を醸しておりますが、お客様のご期待に最高の品質でお応えすべく、常により高度な酒造技術の研鑚を積み重ね、原料も厳選し贅沢に使い、さらなる美酒の探求を重ねております。

 麓井酒造(株) 山形県酒田市麓字横道32

 代表銘柄

麓井の圓 大吟醸

酒 別 大吟醸酒
アルコール度 17度
原料米 兵庫県産山田錦
精米歩合 35%
日本酒度 ±0
酸 度 1.4
華やかな香りと甘さがありながらさらりとした飲み口の大吟醸酒。フォアグラのテリーヌとの相性は抜群です。禅の言葉に「圓かなること太虚の如く、余れるも無く欠けたるも無し」というくだりがあります。そんな極致を目指した山形吟醸の代表格です。IWC 2018 SAKE部門大吟醸の部にてゴールドをいただきました。

*https://yamagata-sake.or.jp/pages/44/ より

 

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<四国八十八箇所> 第84番札所 屋島寺

2024-06-23 05:39:49 | 巡礼

 「屋島寺」

 屋島寺(やしまじ)は、屋島の南嶺山上(香川県高松市屋島東町)にある真言宗御室派の寺院。南面山(なんめんざん)、千光院(せんこういん)と号す。本尊は千手観音菩薩。四国八十八箇所第八十四番札所。

 本尊真言:おん ばさら たらま きりく
 ご詠歌:梓弓(あずさゆみ)屋島の宮(みや)に詣でつつ 祈りをかけて勇む武夫(もののふ)
 歴史
 律宗の開祖である鑑真が天平勝宝6年(754年)朝廷に招かれ奈良に向かう途中に当地を訪れて開創し、そののち弟子で東大寺戒壇院の恵雲がお堂を建立し屋島寺と称し初代住職になったという。ここから1 kmほど北の北嶺山上に屋島寺前身とされる千間堂遺跡がある。その後の時代の古代山城屋嶋城の閉鎖に伴い、南嶺の屋嶋城本部跡地に屋島寺を創設したとされる。すなわち弘仁6年(815年)嵯峨天皇の勅願を受けた空海は、お堂を北嶺から南嶺に移し、千手観音像を安置し本尊とした。天暦年間(947年 – 957年)明達が四天王像と、現在の本尊となる十一面千手観音坐像を安置した。

 明徳2年(1391年)の西大寺末寺帳に屋島寺と屋島普賢寺の名があり、当時は奈良・西大寺(真言律宗)の末寺であったことがわかる。高松藩主生駒一正は慶長6年(1601年)に屋島寺の寺領25石を安堵。近世を通じ、当寺は高松藩の保護下にあった。現在も国有林部分を除いて、屋島山上の敷地のほとんどは屋島寺の所有である。

 江戸時代初期まで本土と離れた島であったが、寛永14年(1637年)高松藩主・生駒高俊により陸続きとなった。その後、藩主・松平頼重が旧跡を惜しんで、正保4年(1647年)本土との間に水路(相引川)が復元された。

 伽藍
 山門(仁王門):二王像が安置。
 四天門:向かって前に増長天・持国天、後に多聞天・広目天の四天王像(東大寺型)が安置。
 東大門:駐車場からの入口。
 本堂:昭和時代に宝物館ができて本尊を遷座したとき、レプリカの前仏を造り本堂には前仏がいるが見ることはできない。
 大師堂:大師像を拝顔できる。
 三体堂:鑑真が祀られていて拝顔できる。
 千体堂:中央に千手観音、その背後に千体仏。
 熊野権現社
 蓑山大明神:祭神は日本三大名狸に数えられる屋島太三郎狸、蓑笠をつけた老人の姿で現れて弘法大師を案内したとされる。
 宝物館:有料で拝観可能、本尊など多くの仏像が安置されている。
 鐘楼堂
 本坊
 御成門
 庭園:宝物館の中からガラス越しに眺めることができる。白い凝灰岩が露出してるため雪の庭という。
 瑠璃宝の池(血の池):弘法大師がお経と宝珠を納めて池にしたとの伝説がある。その後、源平合戦の武士たちが血の付いた刀を洗ったことから血の池と呼ばれるようになった。
 可正桜:寛文5年(1665年)に高松藩士松平半左衛門が植えた7株のうち枯れずに残った1株を移したもの。
 源平屋嶋合戦八百年祭供養碑:寿永4年(1185年)早春に繰り広げられた合戦の戦没者を800年後の昭和60年に弔ったもの。
 句碑:芭蕉「夏艸やつはものどもの夢の跡」が四天門の右前にあり、その前に「濱風尓(に)かしげ傾(かし)げて遍ろ笠」がある。梶原芭臣「松に月古き景色を時雨け里」と刻まれた球石を龍が銜える石碑が本坊の右前にある。
歩き遍路は山門を通り、四天門を通って正面に本堂、本堂の手前を右に進むと右手に納経所、正面に大師堂がある。車遍路は東大門から入って行くことになり、千体堂、三体堂、大師堂の順になる。

 宿坊:なし
 駐車場:山上大駐車場あり

 遍路登山道にある霊跡

 加持水(かじすい):登山途中に喉が渇いた空海が衆生も渇くだろうと加持祈祷で清水を湧かせたと云われる伝説。

 不喰梨(くわずのなし):空海が農夫に梨を所望したが食べられない梨と断られた、その後、本当に食べられない梨になったという伝説。
 畳石(たたみいし):讃岐岩質安山岩(サヌキトイド)の板状節理の露頭。
 遍照院の堂から約500 m直進すると右側に駐車スペースが数台分あり、歩き始めてすぐに加持水があり、中程に不喰梨、そして畳石があり、全行程約30分整備された遊歩道を登ると山門に達する。

 文化財
 重要文化財

 本堂(附:厨子) - 入母屋造、本瓦葺き。鎌倉時代の前身堂の部材を用いて元和4年(1618年)建立された。昭和30年6月22日指定。
 木造千手観音坐像(本尊) - 榧の一木造漆箔、像高94.3cm。平安時代中期、10世紀頃の作。像の保存状態がよく、左右の脇手や光背の二重円相部分なども大部分当初のものが残る点が貴重である。宝物館で拝観できる。昭和30年2月2日指定。
 梵鐘 - 貞応2年(1223年)の銘がある。総高102 cm、口径64 cm、厚さ6 cm、青銅の鋳物。昭和42年6月15日指定

 屋島寺  香川県高松市屋島東町字屋島峯1808番地

*Wikipedia より

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