いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<伝統野菜> 鹿児島 桜島だいこん -追記あり-

2024-06-15 17:41:04 | 伝統野菜

 「桜島だいこん」

 桜島大根(さくらじまだいこん)は、鹿児島県の伝統野菜でギネスブックに認定された、世界最大の大根である。重さは通常で約6kg前後、大きな物になると約30kg、直径にして約40 - 50cmほどにもなる。かつては桜島の特産品であったことから、この名が付けられた。地元では、島大根(しまでこん)とも呼ばれている。

 早生種と晩生種の2種類があるが、栽培されているものはほとんどが晩生種である。8月下旬から9月上旬に播種し、12月から2月にかけて収穫される。大きな大根に育てるためには火山灰質の土壌を用いて多くの手間をかける必要がある。

 味の特徴と利用法
 一般的な大根よりキメが細かく繊維が少なく甘味があり、大根おろしなどの生食や風呂吹きなどの煮物に利用される場合が多い。保存食として切り干し大根や漬物にも利用され、直径の大きな千枚漬けは鹿児島県の特産品として土産物店などで販売されている。

 健康に良いとされるトリゴネリンが青首大根より多く含まれることが鹿児島大学の研究で明らかになり、漬物以外の加工品開発や製薬会社などからの問い合わせが増えている。

 歴史
 品種の起源については次の3説がある。

 愛知県で栽培されていた方領大根を起源とする説。
 桜島に元々あった野生の大根を起源とする説。
 霧島市付近で栽培されていた国分大根(浜之市大根)を起源とする説。
 1804年(文化元年)の薩摩藩の文書に記載されており、少なくともそれ以前から栽培されていた。主産地は古くは桜島北西部であったが後に桜島北部へ移り、最盛期には約1200戸の農家で合計約200haの栽培面積があった。稲作に適さない桜島において貴重な商品作物の一つであり、鹿児島市市街地などに出荷されていた。また、毎年収穫期になると加治木町(後の姶良市)に「トイカエ市」と呼ばれる市場が立ち、稲藁などと交換する光景も見られた。

 しかしながら1914年(大正3年)の大正大噴火によって大きな被害を受け、より商品価値の高いミカンへの転作が進むなどして1955年(昭和30年)の栽培面積は約30haまで減少している。さらにその頃から2001年(平成13年)にかけて頻発した桜島の噴火による降灰被害などにより桜島島内の栽培面積は約1.5haまで減少した。

 現在の主産地は桜島島外の鹿児島市郊外および霧島市であるが、噴火頻度の減少とともに桜島島内の栽培面積も回復しつつある。従来は各農家が個々のこだわりをもって育ててきたが、互いの連携を深めるため2019年(令和元年)に鹿児島みらい農業協同組合で桜島大根部会が発足した。

*Wikipedia より

 

 「桜島だいこん」

 【生産地】鹿児島市桜島赤水町

 【特徴】通常は10kgほどであるが,大きい物になると20~30kgの物も見られる。胴回り119cm,重さ31.1kgの「桜島だいこん」は、世界一重たい大根としてギネスブックに認定されている。果肉は緻密で雪のように白い。

 【食味】苦みや筋がほとんどない。ほのかな甘み。あっさり上品な味。煮るとなめらかな触感になる。

 【料理】煮ても煮崩れしにくく,味がしみこみ易い。煮物、おでん,煮しめ,味噌汁,ブリ大根,漬物、乾燥大根(ぐるぐるまき)など。昔は年が明けて寒さが厳しくなると家族で切り干し大根を作って保存していた。

 【来歴】1709(宝永5)年に刊行された貝原益軒(かいばらえきけん)著の『大和本草(やまとほんぞう)』に「薩摩大根は常のより大なり」と記録されており,江戸時代には大きな大根として作られていたとみられる。起源には諸説有り、天和(てんわ:1681~1684年)年間に愛知県から入手した方領(ほうりょう)大根の中から変種を発見した選抜系統説や桜島に自生していた浜大根の中から生まれたという説、現:霧島市(きりしまし)の姶良郡(あいらぐん)隼人町(はやとちょう)で栽培されていた国分(こくぶ)大根を、西桜島で栽培していたときにできたという説等ある。「桜島だいこん」と呼ぶようになったのは約200年前と推測される。

 【時期】12月下旬~2月

*https://tradveggie.or.jp/vegetableposts/46-kagoshima#index_NgjrdT2X より

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< 郷土料理 > 茨城 いもがらの炒め煮/いもがらの五目煮

2024-06-15 17:36:43 | 郷土料理

 「いもがらの炒め煮/いもがらの五目煮」

 主な伝承地域 県内全域

 主な使用食材 いもがら、れんこん、人参、油揚げ、こんにゃく

 歴史・由来・関連行事
 いもがらは、里芋などの葉柄の芋茎と呼ばれる部分を乾燥させたもの。呼び名は各県によってさまざまあり、芋茎のことをずいきと呼ぶことから、「ほしずいき」と呼ばれたり、または「割菜(わりな)」とも呼ぶ地域もある。いもがらは乾燥もののため、保存食としてつくられており、通年の常備菜にも活用されていた。
 茨城県は、1年を通じて温暖な気候と豊かな水質を活かして、古来より農業が営まれ、昔からさまざまな野菜が収穫されてきた。そうしたなか、豊富にとれる野菜を飽きずに美味しく食べるため、多くの料理のバリエーションや「いもがら」や「凍みこんにゃく」、「干しいも」などの長持ちさせるための保存食が多くある。
 「いもがら」は料理に使うときには水で戻してから使う。「いもがらの炒め煮」や「けんちんそば」など、さまざまの料理で使われている。

 食習の機会や時季
 常備菜として1年中通して食べられているが、「いもがらの炒め煮」は正月や祝い事などの人の集まるハレの時にも食卓に並ぶ定番料理。
 また、北部地域では冬の時期になると「けんちんそば」を食べる機会が増え、いもがらは「けんちんそば」の具材として多く使われている。

 飲食方法
 乾燥したいもがらは水で戻すとふっくらとした食感になり味が良く染み、煮物やきんぴら、酢の物などに良く合う。
人参、れんこん、こんにゃく、油揚げと合わせて、たっぷりの煮汁で時間をかけて煮ることで、材料に味が染み込み美味しくいただける。
 いもがらは味はないが、煮物や味噌汁などに入れることによって味が染みこみ美味しくなるので、さまざまな料理に合わせることができる。また、食物繊維が豊富で、食べるとシャキシャキとした歯ごたえが楽しめる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 いもがらは家庭で日常的に食べられている他、煮物や味噌汁などで学校給食として提供されている。また、茨城県教育委員会から行事食として情報発信されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/imogaranoitameniimogaranogomokuni_ibaraki.html より

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<B級ご当地グルメ> 群馬 伊勢崎もんじゃ

2024-06-15 16:32:38 | B級ご当地グルメ

 「伊勢崎もんじゃ」

 いせさきもんじゃとは???
 はい。いせさきもんじゃって何?っていう人。きっと沢山いらっしゃいますよね。今でこそ「もんじゃ」って言いますと、月島のもんじゃに代表される様な、具だくさんで、それこそお椀にてんこ盛りの様々な具が入ったもんじゃを連想される方が多いのではないでしょうか?
 「お好み焼きの固まらないやつ」とか、そんな風に思っている人もいるかもしれませんね。で、百聞は一見に如かず。下をご覧あれ。これは伊勢崎YEGが作ってみた「いせさきもんじゃ(YEG版)」です。

 まあ、これでもかなり具が多いほうですよ。

 そう、「いせさきもんじゃ」は具が少なくて、あんまり豪華じゃないのが本来の姿なんです。私たち伊勢崎YEG(伊勢崎商工会議所青年部)メンバーが子供の頃おやつに食べた「もんじゃ」が、我々が言う「いせさきもんじゃ」なんですよ。

 で、焼いたのがこれですね。どうですか?

 だれかな?「イマイチ…見た目が…」って言っている人は(笑)

 無理もないですけどね。我々だって実は「見た目はどうかなあ」って思っていたりしているんです。

 でもね、子どもの頃は、ソース色のもんじゃのベース(タレ)をジュージュー熱く焼けた鉄板にスプーンですくってたらすと、ソースが焼けるいい匂いがお店の中に立ちこめて、腹を空かせた食べ盛りの子どもにはたまらなかったんですね。見た目は関係なかった!

 ごあいさつ のところでも書きましたが、今でこそ市内に駄菓子屋さんも少なくなり、昔ながらの「もんじゃコーナー」もあまり見られなくなりました。が、我々が子供の頃(昭和30~40年代)は、駄菓子屋さんの片隅には必ず「もんじゃコーナー」があって、子供達のおやつの定番だったんです。まさに伊勢崎市民共通のノスタルジー覚える体験がそれなんです。

 だから、我々伊勢崎YEGは「もんじゃ」で街おこしを!って考えているのです。

 ではおさらい。

 いせさきのもんじゃは

 1.具が少なくて、チープな感じ

 2.昔は主に、駄菓子屋さんで食べさせた

 3.だから(昔は)子供のおやつ

 4.見た目はイマイチ(笑)

 以上 よろしいでしょうか??

 誤解無きよう書いておきますが、ここで我々が言っているいせさきもんじゃとは、あくまでも子どもの頃駄菓子屋さんの店先で食べたもんじゃのことです。我々伊勢崎YEGが独自作成しているいせさきもんじゃも、そんな子どもの頃食べた懐かしい味を目指して作りました。伊勢崎市にも現在では昔ながらの駄菓子屋さん的なお店から、チェーン展開しているお店まで色々な業態のお店があります。その中には月島風のもんじゃや、創意工夫をされてオリジナルの美味しいもんじゃを提供しているお店等もございます。いせさきで食べるもんじゃが、すべてこのサイトで述べられている様なもんじゃではございません。(佐野のラーメン、宇都宮の餃子を考えて頂ければよくわかりますよね。お店によって味は異なりますから)

*https://isesaki-yeg.jp/monja/what.html より

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うまいッ! NHK「完熟の甘み ブルーベリー~群馬県・前橋市~」

2024-06-15 16:14:51 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「完熟の甘み ブルーベリー~群馬県・前橋市~」 2016年07月10日

 番組内容
 群馬県前橋市で6月下旬から旬を迎えるブルーベリーは、完熟で濃厚な甘みが魅力。土壌やせん定など、栽培に独自の工夫を凝らす生産者を訪ね、その味の秘密に迫ります。一方、ブルーベリーは近年、都会での農業に適した作物としても注目を集めています。東京・練馬では、この9年間に摘み取り農園が急増。いまでは31か所を数え、シーズンになると家族連れでにぎわいます。ブルーベリー農園ならではの楽しみ方をお伝えします。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201607100615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「ブルーベリー」

 ブルーベリー(英: blueberry)は、ツツジ科スノキ属シアノコカス節に分類される落葉低木およびその果実(ベリー)の総称。果実は生食・加工いずれにも用いられる。別名(和名)はヌマスグリ(沼酸槐)。英名のブルーは果実の青紫色に由来し、ベリーは「小さな実」の意味である。いくつかの系統と品種があり、果樹や庭木として植えられる。

 ブルーベリーは大別して6系統(種・タイプ)あるが、食用として重要なのはハイブッシュ系・ラビットアイ系・ローブッシュ系の3系統(種・タイプ)である。そのうち、栽培種にはハイブッシュ系とラビットアイ系の2系統ある。細かい品種は数百種にも及ぶ。

 日本の生産の歴史
 日本にブルーベリーが導入されたのは1951年で、当時の農林水産省北海道農業試験場が米国からハイブッシュ・ブルーベリー(比較的冷涼な気候を好む栽培種)を導入したのが始まりである。一方、暖地に対応するラビットアイブルーベリーは1962年に農林水産省によって導入された。このラビットアイ系品種は1962年に米国ジョージア州から導入され、1968年より東京都小平市で商業栽培が始まった。 「ブルーベリー栽培発祥の地」を掲げる島村ブルーベリー園経営者の島村速雄によると、東京農工大学時代の恩師で、「日本のブルーベリーの父」と呼ばれる岩垣駛夫(はやお)教授から約130本の苗木を託されたのが始まりだが、当初は日本での認知度が低く、青果市場に持ち込んでも取引を渋られたという。

 1971年、長野県にハイブッシュ系品種が導入され、栽培に適した高冷地のある群馬県、新潟県、山梨県、宮城県などを中心に各県で生産されるようになった。東北地方では、岩手県の岩手大学で行われた公開講座により経済栽培が広まった。石川県鳳珠郡能登町の旧柳田村域では、土地の事情からラビットアイ系品種が栽培されている。

 1990年以降、パン食文化の浸透や健康ブーム(健康食品としての宣伝効果のほか、外国産農産物に対する不安視)などを受け、関東近郊に摘み取り目的の観光農園や産地が急増した。都道府県別収穫量は、1981年から2014年まで長野県が首位を保っていたが、2015年から東京都が追い抜いている。東京都など関東でブルーベリー栽培が増えた理由としては、追熟で美味しくなる果物と逆に生食用は日持ちがしないうえ、観光農園での摘み取り体験向きであり大消費地に近いことが有利に働いたことが大きい。栽培に適した酸性土壌として火山灰土の関東ローム層が広がっていること、砂礫も含んでいるため水はけも良いことなども挙げられる。東京都練馬区では都市農業を残すために補助金で宣伝でブルーベリー栽培を支援している。

 日本の主な産地
 2015年以降は東京都が生産量首位となっている。2014年時点の収穫量国内1位は長野県、2位は茨城県、群馬県、東京都だった。神奈川県を除く1都5県が10位以内、神奈川県も15位以内と関東地方に産地が集中している。その他生産が盛んなのは岩手県を中心とした東北地方のほか滋賀県、兵庫県、愛媛県、熊本県など西日本でも高原地帯を中心に栽培が盛んとなっている。加工品は頭打ちだが、生食での人気で年々需要が高まっており、2014年の収穫量は1989年(平成元年)の6倍以上の約2700トンとなっている(輸入量の1970トンを上回る)。農林水産省では特産果樹として統計をとっている。

 北海道 余市町、仁木町
 青森県 中泊町(旧中里町)
 岩手県 …国内5-8位。歴史の古い産地で、1976年に長野果樹試験場より苗木が送られ、冷害対策の作物として広まった。以後、関東地方でブルーベリー栽培が盛んになる以前は長野県に次ぐ国内2位の産地となっていた。加工品が主流で、他県への出荷も多い。
  岩手町、奥州市(旧胆沢町)、一関市
 宮城県  栗原市(旧若柳町)、大崎市(旧鳴子町)、蔵王町
 山形県 鶴岡市、寒河江市
 福島県 三春町、棚倉町
 茨城県 …収穫量国内2-4位。つくば市は三大産地と呼ばれる国内有数の産地で、「ブルーベリーシティー」宣言を行っている。
  つくば市、かすみがうら市(旧千代田町)、小美玉市(旧美野里町)
 栃木県 佐野市、大田原市、日光市
 群馬県 …収穫量国内2-4位。1990年以降は、長野県に次ぐ主産地の一つで、桑畑からの転作で広まった。高原の気候を利用したハイブッシュ種のほか、県独自の品種も育成している。
  川場村、沼田市、前橋市
 埼玉県 …国内5-8位。美里町は荒廃した桑畑を利用したブルーベリー栽培で注目された町であり、多彩な品種を育成している。
  美里町、熊谷市(旧江南町)
 千葉県 …国内5-8位。木更津市が中心産地。木更津市では市場出荷も多く、ハウス栽培も行われている。
  木更津市、富津市、睦沢町、千葉市
 東京都 …収穫量国内1-4位。小平市は国内ブルーベリー栽培発祥地で、土壌が適性であること、スプリンクラー、噴霧器などの農機具の制限も受けないことで、1990年代以降他作物に代わり、次第に農地が増加し、2010年以降は国内上位となり、2015年の収穫量は1位となっている。また、小平市は三大ブルーベリー産地と呼ばれたが、近年は都内の他産地の方が収穫量が多い。
  多摩地域(八王子市、日野市、小平市、国分寺市、立川市や練馬区など
 神奈川県 小田原市、相模原市
 新潟県 …かつての主要産地で100トンを超す収穫量があったが、2015年の収穫量は十1数トン程度となっている。
  新潟市南区(旧白根市)、新発田市など
 長野県 …収穫量国内1-3位。ハイブッシュ種の主産地で、収穫量はほぼ毎年国内トップ。全県で生産しているが、信濃町が一大産地となっている。
  信濃町、大町市、長野市
 山梨県 …北杜市(旧明野村)はつくば市、小平市とともに三大ブルーベリー産地と呼ばれたが、2014年の収穫量は十数トンと後発県より少なくなっている。
  北杜市(旧明野村)
 滋賀県 高島市(旧マキノ町)、米原市(旧米原町)
 兵庫県 丹波市(旧氷上町、旧市島町)
 愛媛県 …国内6-8位。
  松山市、砥部町、内子町、西条市
 熊本県 山都町(旧蘇陽町)
 鹿児島県 霧島市ほか

*Wikipedia より

 

 「前橋市のブルーベリー」

 ブルーベリー農園一覧
 田中農園 嶺町1580
 木村農園 嶺町1200-184

 有限会社はなぶさ有機農園 嶺町1097-5
 前橋ブルーベリー生産組合 新堀町231 
 株式会社ワタナベファーム 粕川町深津984-1 
 深澤農園 苗ヶ島町1967-1

*https://www.city.maebashi.gunma.jp/soshiki/noseibu/nosei/gyomu/4/3/29879.html より

 

 前橋のブルーベリーがなぜいいのか?調べても見つからなかった。

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<料理用語-和食> 黄金

2024-06-15 07:23:14 | 料理用語

 「黄金 こがね」

 黄金和え、黄金煮、黄金焼き、黄金蒸し、黄金造りなど。
 卵黄を利用する場合が多く、「黄身・・」という献立とほぼ同じものである。

 ケースや季節に応じて「菜の花」「山吹」などと呼び方を変え、一年中作られる料理だが、本来は秋の献立である。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/019.html より

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<異名-食べ物> 森のアイスクリーム

2024-06-15 07:21:40 | 異名

 「森のアイスクリーム アテモヤ」

 「森のアイスクリーム」とも呼ばれるアテモヤ。

 あまり聞き馴染みのない果物ですが、アテモヤは釈迦頭とチェリモヤを掛け合わせフロリダで品種改良された品種です。

 名前は釈迦頭のブラジルでの呼び名アテ(Ate)と、チェリモヤ(Cherimoya)のモヤから付けられました。

 また、台湾では、食感や風味がパイナップルに似ていることから、鳳梨釋迦と呼ばれています。

 アテモヤは、食べると甘みが強く、とてもクリーミーでジューシーな果物で、その食感から「森のアイスクリーム」と呼ばれるようになりました。

*https://www.alias-food.com/mountain/forest-of-ice より

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<難読漢字-鳥類> 雁、鴈

2024-06-15 07:14:28 | 難読漢字

 「雁、鴈 かり、がん」

 雁(がん、かり、異字:鴈)は、カモ目カモ科ガン亜科の水鳥のうち、カモより大きくハクチョウより小さい一群の総称。

 *Wikipedia より

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<慣用句・諺> 手に入る など

2024-06-15 07:07:46 | 慣用句・諺

 「手に入る-てにはいる」

 自分の所有となる。手にいる。

 

 「手に渡る」

 その人の所有物となる。

 

 「弖爾乎波が合わない-てにをはがあわない」

 助詞・助動詞が正しく使われていない。言葉の用法がおかしい。文脈が整わない。また、話のつじつまが合わない。弖爾波が合わない。

 

 「手の内に丸め込む」

 ごまかしたりだましたりして、思うとおりに従わせる。

 

 「手の内の珠-てのうちのたま」 

 「掌中の珠」に同じ。-手の中の珠。最も大切にしているもの。特に、最愛の子。

 

*goo辞書 より

 

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<日本酒メーカー> 山形 杉勇蕨岡酒造場

2024-06-15 07:04:16 | 日本酒

 「杉勇蕨岡酒造場」

 あくまで昔ながらの造りにこだわった、飲み飽きない味わいをお楽しみください。
 霊峰鳥海山のふもとで、氷河に源を発する水で仕込んだ酒です。あくまで昔ながらの造りにこだわった、飲み飽きない味わいをお楽しみ下さい。

 (資)杉勇蕨岡酒造場 山形県飽海郡遊佐町大字上蕨岡字御備田47-1

 代表銘柄 

雪女神 純米大吟醸 杉勇

容 量 720ml
酒別  純米大吟醸
アルコール度 15
原料米 雪女神
精米歩合 40%
日本酒度 ±0
酸 度 1.5

*https://yamagata-sake.or.jp/pages/72/ より

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<四国八十八箇所> 第76番札所 金倉寺

2024-06-15 06:57:47 | 巡礼

 「金倉寺」

 金倉寺(こんぞうじ)は、香川県善通寺市金蔵寺町にある天台寺門宗の寺院。鶏足山(けいそくざん)宝幢院(ほうどういん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第七十六番札所。

 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
 ご詠歌:まことにも神仏僧を開くれば 真言加持(かじ)の不思議なりけり
 納経印:当寺本尊、七ヶ所参り弁財天
 概要
 入唐8家で、讃岐5大師であり、延暦寺第5代座主を868年より24年間務め、天台寺門派の宗祖である円珍(智証大師)の生誕地として知られ、また、乃木希典が明治31年(1898年)から3年間当寺の客殿を仮住まいにしており、客殿には乃木ゆかりの品々が展示され、境内には銅像もある。

 歴史
 宝亀5年(774年)景行天皇の子孫の和気道善(円珍の祖父)が金輪如意(如意輪観音)を祀って一堂を建立し自在王堂と呼ばれていた。仁寿元年(851年)道善の子である和気宅成の上奏により、自在王堂を官寺とし道善寺と名付けた。その後、宅成の子である円珍が承和13年(846年)に入唐、天安2年(858年)帰朝した後、故郷の当寺に訪れて長安の青龍寺に倣した伽藍を造営、薬師如来を彫像して本尊とした。861年伽藍の造営を終え、落慶の斎会に円珍が再訪する。延長6年(928年)醍醐天皇の勅命により金倉郷(かなくらごう)から名前をとり現在の「金倉寺」[注 3]、山号は釈迦十大弟子の迦葉尊者が入定した山名の「鶏足山」と改め隆盛をきわめた。

 その後、幾多の兵火により重要文化財の自画像と本尊などの宝物以外は焼失、慶長11年(1606年)それまで無住寺になっていたが、近くの真言寺院に後見してもらい一時期真言宗になるが、窮状を知った高松藩主の松平頼重により、天台宗に戻り再興、慶安4年(1651年)には、智証大師御影堂を始め、諸堂や客殿、庫裏にいたるまで再建し現在に至る。

 大正14年(1925年)、龍川村の地主が差し押さえた農地の競売をめぐり小作争議が激化。金倉寺の伽藍に地主、小作人、警官が集まり仲裁が行われた。

 境内
 山門(仁王門)
 本堂 - 本尊薬師如来のほか、不動明王、阿弥陀如来を安置する。現在は西明寺をヒントに1983年11月に再建している。毎年、正月三が日、本尊が開帳される。
 祖師堂(大師堂) - 元の金堂で慶安4年(1651年)建立されたものを移築。智証大師(円珍)像が中央に弘法大師(空海)像が右脇陣に神変大菩薩(役の行者)が左脇陣に安置されている。智証大師の両脇仏として伝教大師と天台大師が大きな宮殿に納まっている。四国八十八箇所の寺院で、大師堂に弘法大師以外の「大師」を中央に祀るのはここだけ。大師堂の奥に続く奥殿にもその三尊の仏像が祀られている。
 訶梨帝堂 - 享保元年(1716年)奥殿、明治14年(1881年)拝殿を建立。訶梨帝母(鬼子母神)を祀る堂。円珍が5歳の時に現れたことから、「訶利帝母日本最初出現之地」とされる。「おかるてんさん」と呼ばれ、子授け・安産のご利益がある。
 観音堂 - 秘仏の十一面観音を祀る堂。
 大聖歓喜天堂(小堂)
 弁財天(祠)
 天満宮(祠)
 忠魂社(祠) - 昭和22年8月、現在地に移転。
 乃木将軍妻返し松(二代目)
 巡礼七福神 - 境内に点在している七福神の石仏を巡りながら参拝する。
 牛の石像 - 昔、牛の市場として栄えていた。
 お砂踏み道場 - 88の札所の本尊仏画の掛け軸と大師像。駐車場側にある。
 客殿 - 乃木将軍遺品展示室など。
 円珍初湯の井戸 - 東へ約3 kmの境外にある。下に記述。
 新羅神社(神仏分離以前は新羅明神社) - 山門の西隣り。智証大師を園城寺へ導いた老翁(新羅明神)と唐へ行くことを勧めた山王権現を祀っていたが、神仏分離により現在は素戔嗚尊を祀ることとなる。
 句碑歌碑 - 北原忠司「お遍路の鈴の法楽誕生寺」裏には「妻返し松・・お里し百舌」が鐘楼堂の左にあり、芭蕉「名月や門にさし来る汐かしら」がさらにその左にある。弁財天の池の手前右に句碑「人乃世能・・」がある
 山門から入り、参道を進むと正面に本堂、本堂の右手に納経所、左に進むと大師堂がある。

 宿坊:なし
 駐車場:あり、普通車で200円(午後5時で閉門)

 文化財
 重要文化財
 絹本著色智証大師像 有賛 - 明治34年(1901年)3月27日指定。
 善通寺市指定有形文化財
 絹本著色両界曼荼羅 - 昭和62年(1987年)7月21日指定。
 (参考)県指定無形民俗文化財
 シカシカ踊り(シカシカ踊り保存会) - 昭和48年5月12日指定
 シカシカの意味は「然り然り」とも、「しっかりしっかり」とも言われている。当寺で行われる円珍・乃木まつりで奉納される。
 行事
 円珍・乃木まつり:9月第1土日。土曜日午前10時~午後4時まで「乃木将軍の部屋・遺品公開」(有料200円)、日曜日午後1時30分より採燈大護摩供。
 訶利帝母例祭:5月第2土日。訶利帝母の開帳が2日間ある。
 石土入峰修行:札所番号にちなみ毎年7月6日石土山(瓶ヶ森)への登山。神変大菩薩が開山した四国の修験道の聖地へ入峰修行。
 坐禅会:毎月10日午前10時からと、25日午後7時から。誰でも予約なしで参加可。

 金倉寺 香川県善通寺市金蔵寺町字本村1160番地

*Wikipedia より

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