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< 郷土料理 > 茨城 五目いなりずし

2024-06-01 08:02:29 | 郷土料理

 「五目いなりずし」

 主な伝承地域 県内全域

 主な使用食材 油揚げ、米、人参、ごぼう、しいたけ

 歴史・由来・関連行事
 茨城県では、1年を通じて温暖な気候と豊かな水質を活かして、古来より農業が営まれてきた。白菜、れんこん、ピーマンなど、全国トップクラスの産出額を誇るものも数多く、野菜から肉にいたるまで実にさまざまな食材がつくられている、まさに“農業県”である。地元でとれる農産物を使った郷土料理として「五目いなりずし」も長年親しまれている。
 特に笠間市では、日本三大稲荷の一つとしてあげられる笠間稲荷神社が鎮座していることから、古くから市民や参詣客に「五目いなりずし」を振る舞ってきた。現在もまちをあげて盛り上げている。「笠間いなりずし」の特徴は、”五目”といって想起する、人参やごぼう、しいたけといった具材に加え、地場産のそばやくるみ、舞茸など、幅広い食材を使うことで知られる。色とりどりの具材がのったいなりずしは、とても華やかである。

 食習の機会や時季
 年間を通して、さまざまなシチュエーションで食べられている。大人はもちろん、子どもにも人気の料理である。

 飲食方法
 油揚げは油抜きし、砂糖、みりん、醤油などの合わせ調味料で煮立たせ、味を馴染ませる。人参やごぼう、しいたけといった具材は食べやすく千切りなどにして炒め、味をつけたら、ごはんに入れて均一に混ぜる。油揚げの中に具材を混ぜ込んだごはんをしっかり詰め、口の部分を上にして中身が見えるようにお皿などに並べていただく。
 アレンジは非常に豊富で、米を炊く際にもち米を少し混ぜておこわのようにしたり、夏は枝豆、冬はぎんなんなどを入れて、季節感を味わうのも楽しい。また、茨城県は全国のそば職人から高い評価を得ているブランド品種、「常陸秋そば」の産地でもあることから、そばを使ったアレンジも人気である。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 笠間市では、「笠間いなり寿司いな吉会」という町おこし団体を発足し、笠間いなり寿司教室や笠間初午いなり寿司まつり、いなり寿司コンテンストなど、さまざまなイベントを通して、笠間いなりずしの魅力を発信している。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/gomokuinarizushi_ibaraki.html より

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<B級ご当地グルメ> 福島 クリームボックス

2024-06-01 07:57:32 | B級ご当地グルメ

 「クリームボックス~郡山だけの超有名パン~福島県郡山市」

 クリームボックスとは
 「クリームボックス」は、福島県郡山市のご当地グルメ。

 小さな厚切り食パンに、練乳ミルククリームをたっぷり塗ったパンで、郡山市ではスーパーやコンビニでも100円程度で普通に販売しています。

 地元の人たちにも長く親しまれていますが、郡山を離れると県内でもお目にかからないという超ローカルフードです。

 クリームボックスの発祥
 郡山駅前にあった「ベーカリーロミオ」だと言われており、1976年から販売されています。

*https://b9navi.com/%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%83%9c%e3%83%83%e3%82%af%e3%82%b9/ より

 クリームボックスは、福島県郡山市が発祥の菓子パンである。1976年(昭和51年)に市内のパン屋「ロミオ」で誕生したとされる。

 概要
 分厚い小型の食パンに、白いミルク風味のクリームを塗った菓子パンで、郡山市内では多くのパン屋や学校の購買で販売されている。販売価格はおおむね100円前後であることが多く、まれにパン生地が円形の場合もある。

 見た目がシンプルで、上から見ると通常の食パンとあまり変わらないため、クリームの上に何らかの加工が施されることがあり、アーモンドを乗せたり、チョコレートでキャラクターの顔を描いたりした物も存在する。

 郡山市では非常にポピュラーな菓子パンで、市内各所のパン屋だけでなくスーパーマーケットやコンビニエンスストア、高等学校の売店などでも広く販売されており、価格も手頃であることから人気が高い。

 その一方で、近隣の県はおろか、福島県内の他市町村でも販売されていることは少なく、郡山市外に出てはじめてクリームボックスがローカルフードであることに気がつく者も多い。

 郡山市のご当地パンとして知られるようになり、2016年4月からはクリームボックスを通じた町おこし事業として同市のパン店18店舗を巡る「スタンプラリー」が行われている、同年5月には福島県の大型観光企画「アフターDC(デスティネーションキャンペーン)」の開催記念のオリジナル商品としてファミリーマートから東北6県と新潟県の約860店で発売され、福島県のPRに一役買っている。

 また、郡山市に出店しているポンパドウルが首都圏でもクリームボックスを販売したことなどから、販売地域も拡大。さらに2016年10月から放映されたテレビアニメ作品『フリップフラッパーズ』にはクリームボックスが好きという設定のキャラクターが登場。2018年12月には郡山市の酪王乳業の酪王カフェオレとクリームボックスを組み合わせた商品が沖縄県を除く全国のファミリーマートで販売されるなどして知名度を高めている。

*Wikipedia より

 山駅で買えて、お土産にもぴったりな元祖「クリームボックス」

 「クリームボックス」が郡山で初めて販売されたのは1976年のこと。「ロミオ」というパン屋さんによって生まれました。現在ロミオは「ままどおる」で有名な郡山のお菓子屋さん「三万石」のグループです。

 じわっとした弾力のあるミルクパンは厚み2cmほど。とろーりとした甘くてミルキーなクリームが厚めにのせられています。クリームはコクのある練乳入りです。

 郡山駅構内の商業施設「エスパル郡山」の「三万石」でも、この元祖「ロミオのクリームボックス」が販売されています。賞味期限は当日ながら、愛らしいキャラクター、クリームボッくんのイラストが目を引くボックスに入っているので、お土産にも最適。午前中に売り切れてしまうことも頻繁にあるそうです。

 「ロミオのクリームボックス」は新幹線で運ばれて、東京駅構内グランスタでも販売されています。

*https://pantena.jp/pankiji/%E6%96%B0%E7%9D%80%E8%A8%98%E4%BA%8B/3993 より

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うまいッ! NHK「シャキシャキした食感とほのかな苦み うど~東京・立川市~」

2024-06-01 07:26:03 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「シャキシャキした食感とほのかな苦み うど~東京・立川市~」 2016年03月20日

 番組内容
 春を告げる野菜、うど。光を当てずに栽培する真っ白な「軟化うど」は歯ごたえとほのかな苦みが魅力。産地の東京都立川市では、地下3mの穴蔵で栽培。独特の栽培方法に隠されているうまさの秘密を探る。立川市の商店街では、地元の食材・うどを愛する店主たちが、オリジナルのうど料理を開発。うどの消費拡大に懸命になっている。さらに番組では、外国人のシェフにうどを料理してもらい、うどの食材としての新たな可能性を探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201603200615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「立川のうど」


 「東京うど」地下で育まれる純白の山菜 THE ROOTS OF SHUN (May 2020) (取材月: April 2020)
 日本各地に自生する山菜の「うど」は、古くから春の味覚として親しまれてきた。江戸時代から栽培が続く東京都の北多摩エリアでは近年、表皮が白くやわらかい「東京うど」を売り出している。とりわけ栽培が盛んな立川市にある、うど農家「鈴木園」を訪ねた。
 戦後、うどの一大産地に成長した立川市
 立川駅から車でおよそ10分、五日市街道沿いを走ると「うど」と大きく書かれた「鈴木園」の看板が見えてくる。300年の歴史がある農家で、18代目を継いだ鈴木博秀さんが迎えてくれた。

 さっそく案内されて園内の小屋に入ると、毛布やゴザが重ねられた一角が目についた。毛布をめくると、鉄格子で蓋をされた直径約1メートルの縦穴が現われた。3メートルほどの深さだろうか。

 はしごを使って底へ降り、ヘッドライトを点けると横穴に密生する真っ白いうどが照らし出された。立川市の特産品「東京うど」である。「ちょっと不思議な光景でしょ?」鈴木さんが誇らしげな表情を見せる。

 うどは大きく「山うど」と「軟化うど」にわけられる。いずれも春先から4月ごろまでが“旬”の時期にあたる。しかし、その見た目は対照的で、青々として野性みのある山うどに対して、軟化うどは透き通るような白い表皮をしている。

 こうした見た目の違いは、栽培環境が関係している。市場に出まわる山うどは自生する天然物か、ビニールハウスや路地で栽培されたものだ。一方の軟化うどには、日光をさえぎる「軟化栽培」が用いられている。光合成を抑制することで、葉緑体に含まれる色素である葉緑素による「緑化」が促進されず、うどの茎がやわらかくなる。もやしのように真っ白いまま成長し、シャキシャキとした食感が楽しめるが、山うどよりもえぐみがなく、さっぱりした味わいになる。

 軟化うどのなかでも、東京都内でとれたものだけが「東京うど」のブランド名で流通する。立川市をはじめ、武蔵野市、国分寺市、小平市などの北多摩エリアで栽培が盛んだ。軟化の手法も時代の移ろいとともに進化してきた。

 東京のうど栽培の歴史は、江戸時代にまでさかのぼる。文化年間(1804~1818年)、尾張地方からうどの根株が持ちこまれ、現在の武蔵野市を中心に産地が広がった。当時は、畑に植えたうどのまわりに土を盛って日光をさえぎる「盛土軟化」による軟化栽培が主流だった。しかし、うどの栽培に最適といわれる気温17~18℃を保ちにくいため、収穫期が安定しなかった。

 そこで「溝式軟化」が考案された。畑に掘った溝にうどを植える栽培方法で、むしろや土をかぶせて気温を調整する。手間はかかるが、季節による気温差を軽減できる。

 昭和20年(1945年)ごろ、武蔵野市の農家が試行錯誤を重ね、地下に掘った穴ぐらで栽培する「横穴式軟化」を確立させる。「室(むろ)」と呼ばれる穴ぐらの中は、気温が保ちやすく遮光性にも優れる。土で汚れにくいため飲食店や八百屋からの評判も良い。やがて、溝式軟化に取って代わるかたちで定着していった。

 横穴式軟化が立川市に伝わったのは、昭和30年(1955年)ごろ。ちょうど養蚕業が衰退を迎えていた時期で、うど栽培に鞍替えする農家が次々と現れた。

 土壌も栽培に適していた。一帯は、関東ローム層といわれる地質で土に粘り気があるため、室がくずれにくく、手入れに手間がかからなかったのだ。

 立川市でのうど栽培は瞬く間に活況を迎え、最盛期には500トン以上の収獲量をあげた。現在に至っても都内一位の収穫量を誇る。近年は、丈が短く持ち運びしやすい軟化うど「立川こまち」も開発し、さらなる販路拡大に取り組んでいる。

 山菜のイメージを覆す「東京うど」の滋味
 鈴木さんがうどを栽培するようになって、およそ20年になる。収穫期は12月から翌年4月まで。毎年11月末には、年末出荷のために根株を植える「ふせ込み」が始まる。

 室の中とはいえ、気温調節にも細心の注意を払う。冬場は室で薪を焚くこともあるという。数週間に一度の水やり以外は、人の出入りも極力控える。風が当たっただけで変色する、と言われるほどうどは繊細だからだ。白く美しい茎は、丁寧に育ててきた“証明書” のようなもの。だから「取材で人が出入りするときは、気が気じゃない」のだという。

 根株をふせ込んでから30日から40日が過ぎ、70センチメートルほどの高さに成長したら収穫する。

 「12月の出荷を終えたら、保管していた根株を新たにふせ込んで翌年1月の出荷分を栽培します。あとは2月、3月と生産量を調整しながら、栽培と出荷を繰り返す。少量ではありますが、春以外のシーズンも出荷しています」。

 うどが育てられている空間は、1メートルほどの高さしかないため、収穫作業も一苦労だ。かがんだままの作業が続くため、脚や腰を悪くする農家も少なくない。鈴木さんは体に負担をかけないよう、手際よくうどを刈り取り、木箱に詰めていく。木箱を引き上げるのは地上で待つ妻・和子さんの仕事。木箱を作業小屋に運びこむと、和子さんがうどの箱詰めに取りかかった。

 「日に当たるとすぐに緑化が進むので、収穫後は時間との勝負です。きれいな状態でみなさんに食べてほしいですからね」と、和子さん。

 鈴木園の年間出荷数は、およそ4000本。一部は直接契約先へ。残りは地元のスーパーや直売所に並び、家庭の食卓に春を届ける。定番料理は、天ぷらや酢味噌あえだが、和子さんはうどの炒め物をおすすめする。

 「食感を楽しむならシンプルな料理が一番。うちでは塩こしょうだけで味つけした炒め物をよく食べています。使い切れなかった分は、新聞紙にくるんで日の当たらない場所に保管するといいですよ」。

 山うどやわらびなどの山菜は、あく抜きするのが一般的だが、東京うどはあく抜き不要で生でも食べられる。鈴木さんにうながされて収穫したばかりのうどにかぶりついてみると、シャクっと小気味いい音がして、ほのかな甘みが口の中に広がった。瑞々しく、さわやかな香りが後をひく。

 「うどのイメージが変わったでしょ? どんな人でもやみつきにさせる自信がありますよ」と、鈴木さんがその日一番の笑顔を見せた。

 立川のうどを世に知らしめた「うどラーメン」
 「東京うどは、繊細な味わい。その魅力を壊さないよう料理するのが腕の見せどころかな」。

 そう話すのは、立川市にある中国料理店「五十番」の高橋昌裕さん。創業は昭和38年(1963年)、高橋さんが店を継いでから、東京うど料理も提供するにようなった。きっかけは、平成5年(1993年)に五十番で開かれた「東京うど生産組合連合会」の総会だった。

 「立川には東京うどが食べられる店が一軒もない」。

 そんな組合員の嘆きを聞いた高橋さんは、うど料理の開発に名乗りを上げた。ところが、メニュー開発は一筋縄には進まない。うどを安定供給する体制は整えられるのか、季節によって変動する仕入れ値に対応できるのか――、さまざまな問題に直面する。

 「高級料理にはしたくありませんでした。かといって、採算度外視というわけにもいかない。組合員や生産者、料理人仲間と協力しあって、課題をクリアしていきました」。

 2年に及ぶ開発期間を経て、完成したのが「うどラーメン」だ。これは広東麺をアレンジしたもの。ラーメンにかかっているあんには、東京うどをはじめニンジンやタケノコ、さやえんどうなど色とりどりの野菜を使用する。

 販売するなり、雑誌やテレビで大きく取り上げられ、立川のうどを一躍世に知らしめた。その後も、イカの炒め、サラダ、衣揚げといったうど料理を次々と開発。食材の可能性を切り拓いていった。

 「お客さんの“美味しいなあ”とか“面白いなあ”って反応が原動力になっています。うどに限らず、これからも地元農家を応援していきたいですね」。

 うどラーメンが誕生しておよそ25年、市内でうど料理を出す店もそれほど珍しくなくなった。スーパーや直売所には、惣菜や調味料、スイーツといったうどを使った商品が並び、地域をあげて東京うどを盛り上げている。これからも世間をあっと驚かせるような、新たなうど料理が現われることだろう。

 情報提供:鈴木園 鈴木博秀さん
 “旬”の時期 12~4月

 目利きポイント 白くまっすぐ伸びているもの

 美味しい食べ方 食感を楽しむならシンプルな食べ方がおすすめ。塩こしょうで味付けする炒め物など。

*https://shun-gate.com/roots/roots_89/ より

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<料理用語-和食> 甲州煮

2024-06-01 07:17:07 | 料理用語

 「甲州煮」

 ・ぶどう酒(ワイン)を使った煮物。

 ・色や形をブドウに似せた料理。
 (黒豆のぶどう煮、小ナスのぶどう茄子など)

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/07.html より

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<異名-食べ物> 海の朝鮮人参

2024-06-01 07:15:23 | 異名

 「海の朝鮮人参 なまこ」

 ナマコ(海鼠)は棘皮動物門のグループの一つで、ナマコ綱に分類されます。
 世界に約1,500種、日本にはそのうち200種ほどが分布し、食用になるのはマナマコなど約30種類あります。

 そんなナマコですが、「海の朝鮮人参」と呼ばれることもあります。

 というのも、ナマコは蛋白質、カルシウム、ゼラチン分に富んでおり、そのうえ、海草と同じように多量のヨードを含んでいます。

 また、動物性食品としては珍しく、アルカリ性食品です。長く水に浸しすぎたり、煮すぎたりすると、溶けて形がなくなってしまうほど消化がよく、そのため、消化管や解毒器官に無理な負担をかけることもありません。

 そのため、栄養価が高く、身体に良い朝鮮人参になぞらえて、「海の朝鮮人参」と呼ばれるようになりました。

*https://www.alias-food.com/seafood/sea-of-ginseng より

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<難読漢字-鳥類> 鶉

2024-06-01 07:09:15 | 難読漢字

 「鶉 うずら」

 ウズラ(鶉、Coturnix japonica)は、鳥綱キジ目キジ科ウズラ属に分類される鳥類。

 ウズラの家禽化は日本発祥で、肉や卵が食用にされる。フランス料理などに肉が使われるヨーロッパウズラも日本では「ウズラ」と呼ばれることがある。

*Wikipedia より

 

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<慣用句・諺> 手が込む など

2024-06-01 07:06:40 | 慣用句・諺

 「手が込む」

 手間がかかっている。物事が複雑である。

 

 「手が下がる」

 1 腕前が鈍る。

 2 字がへたになる。

 3 飲酒の量が減る。

 

 「手がすく」

 「手が空 (あ) く」に同じ。-仕事が一段落するなどして暇ができる。

 

 「手刀を切る-てがたなをきる」

 相撲で、勝ち力士が土俵の上で、行司から懸賞金を受け取るときの作法。右手を手刀にして中央・右・左、または左・右・中央の順に切る。造化 (ぞうか) の三神 (さんじん) に対する尊敬の念を表すものとされる。

 

 「手が付かない」

 「手に付かない」に同じ。-心が他に奪われてその事に集中できない。

 

*goo辞書 より 

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<日本酒メーカー> 山形 秀鳳酒造場

2024-06-01 07:02:24 | 日本酒

 「秀鳳酒造場」

 米の価値を引き出し、多様な味の酒造りを求める酒蔵
 山形市にて1890年より酒造りを営んでいる酒蔵。
 多種多様な米を用い、多様な味の酒造りを追求しております。

 (有)秀鳳酒造場 山形県山形市山家町一丁目6番6号

 代表銘柄

秀鳳 純米大吟醸 吟酔匠

酒 別 純米大吟醸
アルコール度 17度
原料米 山田錦
精米歩合 35%
日本酒度 -1(※製造ロットにより異なります)
酸 度 1.4(※製造ロットにより異なります)

*https://yamagata-sake.or.jp/pages/69/ より

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<四国八十八箇所> 第62番札所 宝寿寺

2024-06-01 06:57:39 | 巡礼

 「宝寿寺」

 宝寿寺(ほうじゅじ)は、愛媛県西条市小松町にある真言宗善通寺派の寺院(元高野山真言宗→単立を経て)。天養山(てんようざん)、観音院(かんおんいん)と号す。本尊は十一面観世音菩薩。四国八十八箇所第六十二番札所。なお、元札所の一之宮神社もここで記述する。

 本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
 ご詠歌:さみだれのあとに出たる玉の井は 白坪なるや一宮かわ
 納経印:当寺本尊、四国(東予)七福神・布袋尊
 縁起と歴史

 聖武天皇の勅願によって天平年間(729年 – 748年)大国主大神の信託により大国主大神ら三神を白坪の里(現在地より約1km北に中山川があり、その北岸あたり)に奉斎したという、その際、道慈によって、その法楽所として傍らに建立され金剛宝寺と名付けられた。

 大同年間(806年 – 810年)空海(弘法大師)が逗留し光明皇后を模写した十一面観世音菩薩像を刻んで本尊とし、寺名を宝寿寺に改めた。またこの頃国司だった越智氏の夫人が難産で空海に祈念を頼み、空海は境内の玉ノ井(現存しない)の水を加持し越智夫人に与えたところ、夫人は玉のような男子を無事出産したことから、喜びの余り2首の歌を詠じて献納した。その1首が今も伝わる御詠歌である。これにちなみ、本尊は安産の観音として信仰を集めるようになった。

 たびたび中山川の氾濫に遭っており、1145年(天養2年)に堂宇を再建した際に山号を「天養山」と改めている。

 天正13年(1585年)羽柴秀吉による四国攻めで荒廃した。寛永13年(1636年)宥伝上人によって当寺だけ新屋敷の現在地付近に移されて再興されたので、巡拝者は白坪の神社に札を納めた後、当寺で納経を行うこととなった。この際に本尊と同じく安産の仏として在家信者より奉納された布袋尊像が現在も本堂に合祀されており、四国(東予)七福神霊場の本尊となっている。その後の延宝7年(1679年)藩主の命により洪水を避けるために今度は神社が当寺の横に移転された。その後に残っている納経帳によると、納経は本尊名ではなく「伊豫國一宮大明神 別當寶壽寺」と書かれていた。

 明治初期の廃仏毀釈によって当寺は神社と分離され廃寺となったが、大石龍遍上人によって1877年(明治10年)に神社の南隣に移し再興され、大正10年(1921年)には予讃線鉄道工事にともない、さらに南側の現在地に移転した。

 霊場会退会と再加入
 2015年3月に四国八十八か所巡りの寺院(札所)でつくる「四国八十八ヶ所霊場会」(以下「霊場会」)は宝寿寺の住職に対して同会の運営要領を遵守することおよび未払いの会費の支払を求めて民事提訴した。訴状では宝寿寺側が参拝者への暴言などで遍路巡礼を妨害したと霊場会が主張する一方、宝寿寺側は妨害行為は無く、退会しているため運営要領を順守する必要は無いと主張していた。

 2017年3月22日に高松地方裁判所丸亀支部において霊場会の請求は棄却され、宝寿寺の霊場会からの退会が認める判決となった。同年3月30日に霊場会が控訴を断念して判決が確定した。

 納経時間は判決確定後しばらくは、納経時間が8時~12時・13時~17時、納経料+白黒御影料(1体200円)の負担となっていたが、2018年6月1日から、納経時間は8時~17時(昼休み無し)で、白黒御影は納経帳と納経軸へ納経した場合は従来通り無償での授与であった。

 ただし、カラー御影は霊場会のものではなく、従来の白黒御影を黄色で着色して印刷した宝寿寺オリジナルのカラー御影であり(1体200円)、納経料は、納経帳:600円、掛軸:800円、白衣:300円だが、納経をしない場合は拝観料(車遍路の場合は駐車料金)として、300円の徴収であった。

 なお、霊場会は宝寿寺が退会して空き番になった62番札所について、納経や朱印の拒否を防ぐことを目的として、61番札所の香園寺の駐車場に「六十二番礼拝所」として納経所を設置していた。

 2019年12月1日より宝寿寺の全ての運営を86番札所の志度寺(真言宗善通寺派)が当面の間の仮措置として引き継ぐ(住職籍も志度寺の住職が兼務する)ことになり、改めて霊場会に再加入した。それに伴って霊場会は同年12月15日をもって「六十二番礼拝所」を閉鎖した。これにより霊場会に再加入後の参拝時間や納経料は他の札所と同様になり、駐車料金は無料となった。

 境内
 本堂内陣正面:本尊・十一面観音立像(総高約二尺、玉眼)秘仏※平成30年(2018年)1月~令和元(2019年)年12月1日まで特別開帳された。本尊前仏・十一面観音立像、地蔵菩薩立像、内陣左:脇侍千手観音立像、布袋尊立像(四国(東予)七福神)他。内陣右:脇侍・不動明王立像(長い間正面に鎮座していた時期があったが、元の位置へと移された)。
 大師堂:大師坐像(木造彫眼彩色。像高36.0 cm。木造素地の厨子(宮殿)に安置されており、右手に金剛杵を逆手にとり、左手は数珠をとって膝上におく通例の像容である。足元の水瓶と沓は固定しないで台上に置かれており、厨子と大師像は江戸時代初期のものといわれている。)、修行大師立像。※大師堂の開帳は不定期であるが、平成30年(2018年)1月~令和元年(2019年)12月1日まで終日開帳された。連なって大師堂右隣は仏像収蔵庫となっている(非公開)。厄除けに霊験があるといわれており、年齢の数だけ「南無大師遍照金剛」と唱えると良いとされている。
 香炉:天井に風鈴を吊れるようになっており、願い事を書いた風鈴を奉納できる。1個1,000円。
 一宮稲荷社(祠): 明治10年(1877年)に大石龍遍上人によって寺が再興された際、京都の伏見稲荷・岡山の最上稲荷・愛知の豊川稲荷を護法神として勧請し、寺門の興隆・人々の護世安楽を祈願して建立された。「失せ物」・「合格祈願」にご利益有り。
 厄捨て場:投厄玉の穴に願いを一言云って厄石に投げて割れたら願いが叶う。一回200円。
 真念遍路道標(愛媛県歴史文化博物館に長期展示中)
 石碑:本堂の対面に昭和期に立てられた前佛奉納記念碑があり、前田伍健の川柳「佛縁の宝寿大寿の観世音」が同氏の筆により刻まれている。また、この石碑の傍に四国(東予)七福神霊場にちなんで布袋尊像が新たに置かれている。
 庫裏
 東側から境内に入ると右手に手水舎、稲荷社、大師堂が、その先に本堂が建っている。納経所は正面奥にあり、その背後は元本堂。

 宿坊:なし
 駐車場:あり(無料)

 文化財
 県指定有形文化財
 孔雀文磬(けい)1面 – 肩幅17.2 cm、裾張り18.8 cm、中央高7.8 cm、縁厚0.8 cm、鋳銅製、鎌倉時代初期、昭和40年(1965年)4月2日指定。

 宝寿寺  愛媛県西条市小松町新屋敷甲428

*Wikipedia より

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