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< 郷土料理 > 茨城 うなぎの帆引き煮

2024-06-06 07:56:26 | 郷土料理

 「うなぎの帆引き煮」

 主な伝承地域 利根川、霞ヶ浦周辺

 主な使用食材 うなぎ

 歴史・由来・関連行事
 国内第2位の広さを誇る霞ヶ浦は、海との交流もあり、プランクトンが豊富なことなどから、ワカサギやシラウオ、うなぎ、フナなど、さまざまな淡水魚に恵まれた。天然のうなぎも例にもれず、霞ヶ浦や利根川流域でよくとれ、うなぎの名産地として知られている。龍ヶ崎市の牛久沼は、うな丼発祥の地ともいわれ、いまでもうなぎ料理の老舗店舗が軒を連ねる「うなぎ街道」と呼ばれる地がある。
 うなぎといえば贅沢な食材であるが、かつてはこの地域ではよくうなぎが取れたため、茨城県ではうなぎ料理は一般的によく食べられたという。このとき余ったうなぎを冷凍しておき、急な来客などがあったときに凍ったままのうなぎを手早く、豪勢な料理にできるようにと考えられたのが「うなぎの帆引き煮」である。
 「うなぎの帆引き煮」の“帆引き”とは、霞ヶ浦で漁業をおこなっていた巨大で真っ白な帆が特徴的な“帆引き船”を指す。平成30年(2018年)3月には霞ヶ浦の帆引き網漁の技術が国選択無形民俗文化財に選定されている。帆引き船は、風力を利用してひき網を引きながら漁をおこなう。白い帆を広げた何十隻もの帆引き船が湖上に浮かぶ様は、霞ヶ浦の名物であったという。しかし、風がない時は漁ができないことと、帆が非常に大きいため、突風に煽られたときに転覆する危険性も高かったことから、現在では、機械トロール船による漁になっている。その巨大で真っ白な帆が特徴的な帆引き船を模した笹の葉をあしらったため「うなぎの帆引き煮」と呼ばれるようになった。現在、帆引き船は、春から秋にかけて観光用に運用されている。

 食習の機会や時季
 急な来客があるときや、おもてなしの席などでつくられた。
 天然のうなぎは、6月から10月ごろまでが旬といわれている。霞ヶ浦のうなぎは川を下らず、海に出ない珍しいうなぎである。

 飲食方法
 鍋に酒を入れ、煮立ったところにうなぎを入れ、ひと煮立ちさせたら醤油、砂糖を入れてふっくらと仕上げる。煮汁が煮つまってきたら、うなぎを取り出してさらに煮つめ、煮汁をうなぎにかけていただく。多めの酒で煮ると、よりふっくらと仕上がる。大きめの笹を用意し、帆引き船に見立てて飾ってから食べる。
 ごはんにのせてうな丼として食べても良い。また、山椒などの薬味を加えて食べることもある。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 現在は、高級食材のため、昔ほどはつくられていないものの、特別な日につくって食べられることもある。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/unaginohobikini_ibaraki.html より

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<B級ご当地グルメ> 福島 会津ソースカツ丼

2024-06-06 07:50:44 | B級ご当地グルメ

 「会津ソースカツ丼」

 会津でカツ丼といえばソース味のカツ丼があたり前。
 ソースカツ丼とは戦後、洋食屋さんから広く作られるようになったと言われていますが、その由来はまだ解明されていません…。

 何故会津のカツ丼は醤油味でなくソース味なの?
 会津の人間が「カツ丼」と聞くと、ほかほかごはんの上にサクサクキャベツを敷き、揚げたてカツをオリジナルソースで絡めた『ソースカツ丼』を頭に浮かべて、おなかをぐーっと鳴らすはずです。
では、なぜ会津のソースカツ丼はソースカツ丼なのでしょうか?諸説を紹介しましょう!

 1 大正起源説
 大正、カフェ全盛時代。洋食のコックさんが手軽に作れる賄ということで、残った肉片を当時人気のカツレット(今のカツレツ)にし、鰻の蒲焼きからヒントを得て、甘めのソースで絡めて、食べやすいようにさっと丼に盛ったのが始まりだったとか。

 2 昭和(戦前)起源説
 市内の食堂の店主が新たな味を求めて、東京から洋食のコックを招き、試行錯誤の末ソースカツ丼を生み出し広めていったとか。

 3 昭和(戦後)起源説
 戦後間もない物資が不足していた頃、手軽に食べれる庶民のごちそうを作ろうと考えていた市内の食堂の店主が、東京においしいものを求めて旅に出て、出会ったソースカツ丼をアレンジして、オリジナルソースで煮込んだカツ丼に仕上げたのが始まりとか。

 諸説はいろいろあるものの、お客様においしいものをお腹いっぱい食べて頂きたい!!というガンコな会津の料理人の心は、昔も今も変わらずに、この地に脈々と息づいています。
まずは、地図を片手に美味しい旅に出かけませんか!!

*https://aizu-katudon.com/source_katsu/ より

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うまいッ! NHK「春のキトキト 富山湾のホタルイカ~富山県・滑川~」

2024-06-06 07:50:13 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「春のキトキト 富山湾のホタルイカ~富山県・滑川~」 2016年05月08日

 番組内容
 富山湾に春を告げるホタルイカ。さっとゆでた桜煮、刺身に沖漬けなど富山を代表する食材だ。プリプリとした食感と濃厚なワタのうまみが魅力。ホタルイカの漁期は、3月から5月。産卵のために岸近くへ上がってくるホタルイカを定置網で捕える。この時期のメスは大きく太り、卵巣が成熟してふっくら。ホタルイカ漁船に密着しておいしさの秘密に迫るほか、ホタルイカの幻想的な光を見て楽しめるポイントなども紹介する。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201605080615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「富山湾のホタルイカ」

<プライドフィッシュ> 富山-春 富山湾のホタルイカ

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=9975ac17f408ee17cbd2e3cae29a817d&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTMlODMlOUIlRTMlODIlQkYlRTMlODMlQUIlRTMlODIlQTQlRTMlODIlQUImcD0x

こちらもご参考に

 安くて大粒! 富山湾のホタルイカが豊漁:能登半島地震の影響で不安視も、3月は前年比17倍の水揚げ
 旅と暮らし 暮らし 食 2024.04.16 川本 大吾

 春の味覚・ホタルイカのシーズン到来。名産地・富山湾では、2023年に過去最低の水揚げ量を記録し、元日に発生した能登半島地震の影響も心配されたが、3月から始まった定置網漁は絶好調だ。東京・豊洲市場(江東区)には連日、ホタルイカが大量に入荷し、手頃な価格で取引されている。
 大粒&濃厚な味で、前年の7割安!
 富山湾の春の風物詩「ホタルイカ漁」が記録的な豊漁だ。2023年の総漁獲量は418トンと、データの残る1953年以来最低の大不漁だったが、今年は3月1日に定置網漁が解禁になると、たった1カ月でおよそ1200トンを水揚げ。前年同月比(70トン)では17倍という好調な滑り出しとなった。

 今後、このペースを維持できるかは分からないが、富山県農林水産総合研究センター(滑川市)の水産研究所は、解禁前の他の漁における混獲状況や、調査船の結果などから、6月ごろまで続く今シーズンの漁獲量について、2200トン以上の豊漁と予想する。

 当然、流通価格も大幅に安くなっている。豊洲市場における4月上旬の富山産ホタルイカの卸値は、ボイルでトレー1枚(300~400グラム)当たりが400~700円(中心値500円)。昨年4月上旬は800~2300円(同1500円)だったので、7割安の水準となっている。さらに市場関係者の間でも「大粒でぷっくりとしていて、味も濃厚」と評判は上々だ。

 水揚げ日本一は兵庫、知名度は富山
 ホタルイカは日本海を回遊する群れを漁獲し、ボイルや冷凍してから各地へ出荷する。富山産が特に有名だが、実は兵庫県の日本海側、浜坂港や香住港など但馬地域での水揚げ量の方が多い。 

 なぜホタルイカといえば、富山産のイメージが強いのかというと、この時期に富山湾沿岸で見られる「身投げ」の影響が大きい。沖合の水深200メートルほどの海底付近に生息するホタルイカは、産卵のために夕方から夜にかけて浅瀬の海面近くまで上がってきて、名の由来である青色の光を放つ。一部は浜辺に打ち上げられるために「身投げ」と呼ばれ、沿岸部に無数の青い光が浮かび上がる景色は春の風物詩となっている。これを定置網で一網打尽にする富山湾の漁は、観光船による見学ツアーも人気だ。

 一方、兵庫県は沖合での底引き網漁のため、ホタルイカは海底近くから引き揚げる間に弱ってしまい、水面近くで発光することは少ない。

 さらに兵庫産は雄雌が混在する状態で水揚げするが、富山湾の場合は産卵期のぷっくりと太った雌のみで、漁場と港が近いため、すぐにボイルして出荷できるのも強みだ。料理人からも「富山産は鮮度も味も抜群」と評価が高い。

 能登半島地震に負けず、過去最低の不漁から一転
 今年は元日に、最大震度7の能登半島地震が発生。富山湾の漁港施設にも地割れや地盤沈などの被害があったほか、海底の地形変化で定置網が破損した港もあった。「今年もホタルイカ漁は厳しいのでは…」と悲観する声も上がったが、ふたを開けてみれば大豊漁。その理由について、同県水産研究所は「日本海を回遊する群れが大きかったことや、海流・水温といった海洋環境が、富山湾への来遊に適していることなどが考えられる」と解説する。

 そもそも、富山湾のホタルイカは漁獲量が不安定だ。1990年代前半には、年間4000トン近く水揚げされたこともあったが、ここ10年の平均は1300トンほどで、豊漁・不漁を繰り返している。昨年が大不漁であっても、「今年も悪い」とは言い切れない状況だった。いずれにしろ、被災地には明るいニュースで、消費者にとっても朗報だろう。そして、なんとかホタルイカ漁ができるまで、港の機能や漁具を復旧させた富山の漁業関係者には頭が下がる。

 富山産が鮮魚店でも、手頃な値段で購入可能
 流通状況については、すでに鮮魚店に並んだホタルイカを見て「今年は大粒で安いな」と思った人も少なくないのではないか。

 兵庫産は例年、流通量や価格が比較的安定している。豊洲市場では今年4月上旬、トレー1枚当たり300~450円(中心値350円)で、前年と同レベル。富山産に比べて安価な上に、流通量も安定しているため、スーパーなど量販店に卸される場合が多い。

 富山産は主に料理店向けで、昨年みたいな高値なら、余計に量販店のバイヤーは手を出せない。ところが、今年のように豊漁だと、話は変わってくる。豊洲の競り人によれば「富山産の卸値が500円になったとたん、仕入れにくるスーパーの多くが、兵庫産から富山産に切り替えるようになった」と打ち明ける。

 大粒のホタルイカ、手軽においしく味わおう
 3月下旬、2つの産地のボイルホタルイカを購入して比較してみた。個体差はあるが、富山産が6グラム前後、兵庫産は3グラムとほぼ倍近い。さらに、はらわたがたっぷり詰まった富山産は、うまみも濃厚だった。

 ちなみに富山産のホタルイカが大粒な理由は、はっきり解明されていないのだそう。ただ、「富山湾の水温や餌となるプランクトンなどが、ホタルイカの成長に適している可能性はある」(同県水産研究所)という。

 酢みそやしょうゆと合わせるのが一般的だが、築地場外市場の鮮魚店に聞くと、「しょうゆをたらした卵黄にからめるのもおいしい」そうだ。なめろうや茶わん蒸し、炊き込みごはんなど応用範囲は広く、オリーブオイルでニンニクと一緒に炒めればパスタにも合うという。

 被災地応援の意味も込めて、豊漁の富山産ホタルイカを食卓の一品に加えてみてはどうだろう。

*https://www.nippon.com/ja/japan-topics/gu900276/ より

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<料理用語-和食> 香煎

2024-06-06 07:45:28 | 料理用語

 「香煎-こうせん」

 「麦こがし」の別名である。

 大麦を煎って粉末にしたもので、一般的には「はったい粉」と呼ばれることが多く、砂糖と混ぜ合わせて食べられるほか、製菓などにも使われている。

 もち米を同様にした「あられ香煎」や紫蘇の葉を粉末にした「しそ香煎」などもある。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/012.html より

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<難読漢字-鳥類> 鴛鴦

2024-06-06 07:44:05 | 難読漢字

 「鴛鴦 おしどり」

 オシドリ(鴛鴦、学名:Aix galericulata)は、鳥綱カモ目カモ科オシドリ属に分類される鳥類。

 和名のオシは「雌雄相愛し」に由来すると考えられている。漢字標記は鴛が本種のオス、鴦が本種のメスを指す。雌雄の仲が良いと考えられ、本種を用いた夫婦の仲が良いことを指すことわざとして「鴛鴦契」「鴛鴦偶」などがある。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 敵は本能寺にあり など

2024-06-06 07:33:36 | 慣用句・諺

 「敵は本能寺にあり」

 《天正10年(1582)明智光秀 (あけちみつひで) が備中の毛利勢を攻めると見せかけて出陣し、京都本能寺の織田信長を襲ったところから》本当の目的・目標は別にあるということ。

 

 「敵もさる者引っ掻くもの」

 敵もなかなかどうして油断のならない者だ、の意で、「さる」に「猿」をかけて続けた言葉遊び。

 

 「敵を見て矢を矧ぐ-てきをみてやをはぐ」

 敵を目前にして、ようやく矢竹に羽根をつけて矢を作る。必要が迫ってあわてて準備すること、手遅れの処置のたとえ。

 

 「手癖が悪い」

 盗みをする癖がある。また、女癖が悪い。

 

 「手薬練引く-てぐすねをひく」

 1 十分用意して待ちかまえる。準備して機会を待つ。

 2 滑りをとめて弓返りを防ぐため、弓手に薬練を塗る。

 

*goo辞書 より 

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<日本酒メーカー> 山形 和田酒造

2024-06-06 07:31:49 | 日本酒

 「和田酒造」

 和田酒造(わだしゅぞう)は、山形県西村山郡河北町にある清酒製造業を行う酒蔵である。

 概要
 1797年(寛政9年)創業。創業から酒造業と並行して呉服店、石油販売なども行っていたが、昭和初期から酒造業を専業としている。河北町は幻の酒造好適米である改良信交の栽培地と知られ、その改良信交を使用。酒造用水は月山の伏流水である。

 製造数量はそれほど多くなく、生産量のほとんどが地元消費である。

 和田酒造 山形県西村山郡河北町谷地甲17

*Wikipedia より

 地元密着型、少量高品質の酒を手造りで守り続ける酒蔵
 寛政9年の創業以来、地元の酒米を原料に、地元密着型の酒造りを続けてまいりました。主要銘柄である『あら玉』『月山丸』の他に『啓翁桜』『和田屋』など、製造数はごく僅かですが、飲んだ方々が酒蔵の風景が広がるような、この土地でしか出せない味わいを醸しだしています。伝統の味を守り続ける一方で、新しい技術開発にも取り組み、全国新酒鑑評会において平成より18回の金賞を受賞しております。良質な原料に、熟練の蔵人の技術と感性が融合した酒を、どうぞご賞味ください。 

 代表銘柄

雪女神 純米大吟醸 あら玉

酒 別 純米大吟醸
アルコール度 15~16度
原料米 雪女神
精米歩合 40%
日本酒度 -1
酸度 1.4

*https://yamagata-sake.or.jp/pages/52/ より

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<四国八十八箇所> 第67番札所 大興寺

2024-06-06 07:30:12 | 巡礼

 「大興寺」

 大興寺(だいこうじ)は、香川県三豊市にある真言宗善通寺派の寺院。小松尾山(こまつおざん)、不動光院(ふどうこういん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第六十七番札所。

 本尊真言 : おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
 ご詠歌 : 植えおきし小松尾寺(でら)を眺むれば 法(のり)の教えの風ぞふきぬる
 沿革
 寺伝によれば、天平14年(742年)に東大寺の末寺として建立された。その後、最澄の影響で天台宗となる。火災により焼失していた諸堂を、嵯峨天皇の勅願によって空海(弘法大師)が弘仁13年(822年)に熊野三所権現を鎮護する霊場として再興し、また、本尊に薬師如来と脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで堂宇を建立し安置したという。その後も東大寺の末寺として真言宗24坊、天台宗12坊の僧堂が連ね、空海と最澄の教えを修行する道場として栄えた。

 寺の説明では、天正年間(1573年 – 1592年)に長宗我部元親の兵火によって本堂以外を焼失したとあるが諸記録では1596年に大破(理由は未記載)したとあり長曾我部元親は関係ないと思われる。慶長2年(1597年)に南東約1 kmの現在地である小松尾の末坊(泉上坊や乗林坊)があった所に移転し仮本堂が建てられ、寛文9年(1669年)に本堂が建立されたものの再び焼失、現在の本堂は寛保元年(1741年)に再建された。 なお、境内南側の熊野三所権現は明治の神仏分離までは当寺住職が別当を兼ねていた。また、昭和の末までは地元でもっぱら、地名から小松尾寺と呼ばれていたが、現在は正式名の大興寺に統一されている。

 境内
 山門(仁王門):文保2年(1318年)建立され、寛政8年(1796年)に8年かかって現在地に再興。仁王像は鎌倉時代中期に造られ寛政2年(1790)に彩色修繕されたもので四国で一番大きい。
 本堂:寛保元年(1741年)に再建されたもの。宮殿には本尊および脇仏・不動明王立像と毘沙門天立像が扉は別であるが同じ空間に入れられている。また両脇陣には十二神将(堪慶の作)が6体ずつに分けられ置かれている。また宮殿背後の左側には閻魔大王とその脇侍がいる。60年に一度、本尊の御開帳が行われており、近年では2017年3月26日から5月8日まで行われた。なお、前回御開帳時に本尊修復が行われたが今回は修復の必要はなく、御開帳後は本堂後ろに新設された収蔵庫に置かれる。
 大師堂:脇陣には、胎蔵大日如来坐像と如意輪観音。春秋の彼岸の日開帳される。
 天台大師堂:天台大師坐像を祀る。
 石造五輪塔:正面からの石段の中段にある。元はここに大師堂があった
 相生の松:三鈷の松は本堂側の前にある。
 熊野三所権現:向かって右に熊野三所権現、左に少し小さい荒魂神社の祠がある。
 鐘楼
 本坊
 句碑:石段を上り切った鐘楼前に「へんろ笠さぬき路となり古びけ里」がある。
 小さい川をわたり仁王門をくぐると石段があり、94段上り詰めると右に鐘楼左に手水舎、正面に本堂、本堂の左奥に弘法大師堂、右奥に天台大師堂がある。本堂の向って左側が納経所になっている。なお、本堂の裏側からなら階段を登らずに本堂に至ることができるが、納経をお願いすると仁王門から入り直しなさいと断られる。熊野三所権現は、境内の東側に一段高くなっていて祀られている。

 宿坊:なし
 駐車場:山門の横に無料で、普通車10台。大型5台。

 文化財
 香川県指定有形文化財
 木造薬師如来坐像(本尊):檜の寄木造り、像高84 cm、平安時代後期作、昭和44年4月3日指定。
 木造天台大師坐像:像高77.2 cm、檜の寄木造り、天台宗第三祖智顗の像、1276年法橋佐慶作、昭和44年4月3日指定。
 木造「大興寺」扁額:縦76.3 cm、横45.4 cm、厚さ5.2 cmの桧材、文永四年(1267年)藤原経朝の書、昭和49年6月15日指定。
 木造金剛力士像:3.14 m、伝・運慶作(実際の作者は不明)、鎌倉時代、昭和51年6月29日指定。
 木造弘法大師坐像:像高74.0 cm、1276年佑慶作、平成29年4月4日指定(木造天台大師坐像に追加指定)。
 三豊市指定有形文化財
 梵鐘:貞享2年 (1685年) 鋳造、昭和45年11月6日指定。

 三豊市指定史跡
 あみだ地:大興寺の草創期の仏堂跡と伝えられ、近辺に大興寺、大円坊などの小字名がある。昭和60年12月山本町教育委員会が石碑を建立。昭和4年11月3日指定。

 香川県指定自然記念物
 小松尾寺のカヤ:樹高20 m、胸高幹周3.92 m、樹齢およそ1,200年、山門を入ってすぐ右にある。昭和51年3月23日指定。
 香川県保存木
 小松尾寺のクス :樹齢700年余、樹高24 m、胸高幹周7.5 m、昭和55年3月11日指定

 大興寺  香川県三豊市山本町辻字小松尾4209番地

*Wikipedia より

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