いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

伊勢丹 隠れ名品#裏053 ソルティペッパー Raw-生- 〈アパッペマヤジフ〉

2023-09-15 11:14:17 | 食品

 伊勢丹 隠れ名品#裏052 ソルティペッパー Raw-生- 〈アパッペマヤジフ〉

料理上手を気取れます

スリランカ産の生胡椒を丸ごと塩漬け。料理の直前に包丁で砕くことでより香りが立ち、風味豊かなスパイスに。味付けに使えば、腕はなくとも料理上手になれたような気

が!目玉焼きもごちそうに早変わりします。(推薦人:FOODIE編集部・松岡真子)

80g 1,750円 レア度★
[シェフズセレクション]

 アパッペマヤジフ アパッペ株式会社 東京都台東区東上野3-15-2第二國際ビル5階

*https://www.mistore.jp/shopping/feature/foods_f2/isetan_ura100sen_60_f.html#anc_053 より

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イッピンNHK 「飛び出す!千年の模様~京都 絞り染め~」

2023-09-15 10:38:08 | イッピンNHK

 第145回 2016年12月13日 「飛び出す!千年の模様~京都 絞り染め~」リサーチャー: 知花くらら

 番組内容
 今日のイッピンは、千年を超える歴史を誇る京都の“絞り染め”。生地を1ミリ程度つまみあげ、細糸でくくり、それを十数万回も正確無比に繰り返す超絶技巧・鹿の子絞りの着物。バイ絞りという伝統技法を使いつつ、不思議な生き物のような形を作り上げ、今フランスやイタリアで大人気のストール。さらに近年復活した“幻の絞り染め・辻が花”など、多彩を極めた絞りの技と繊細で美しい染めの世界を知花くららが探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201612131930001301000 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみます。

 「絞り染め」

 ■日本最古の染色~絞り~

 絞り染はわが国でも6・7世紀頃には既に行われていた染織の代表的なもので、現代のわれわれの生活を美しく彩っています。 その技術は、糸で布地を強く括ることにより、「粒」や「しわ」を作る防染という簡単な原理によるものであり、昔から世界各地でも様々な絞り染めが行われていました。 現在でも日本の他、インド、アフリカにみられ、また中央アジアやペルーの遺跡からも絞り染が出土しています。このことはその技法が極めて簡単なものであるため自然発生的に各地で行われたものと考えられます。そしてわが国に伝えられて以来めざましい発達を遂げ、日本を代表する伝統染織となり現在も広く愛好されています。

 ■~近世(江戸時代)~

 日本の絞りは大きく二つに分類することができます。

 一つは絹地に精緻な絞りを施した「京鹿の子」です。「京鹿の子」とは、京都を産地とした「疋田鹿の子絞り染め」の総称です。 江戸中期以後は「疋田鹿の子絞り」以外にも多くの技術の開発、進展がみられ、後の京絞りをさらに発展させていきます。江戸時代の「鹿の子」の遺品は多く、特に、下絵も描かず、鹿の子針も使用せずに、指先の感覚だけを頼りに括った「本座鹿の子」の精巧な職人芸には驚嘆します。

 従来の絞り染めは、絞りのしぼ(しわ)のことは重要視していませんでした。防染の為の、また染め分けの手段としての絞り染めであったために、染め上がった後の特有の凹凸は伸ばしてしまうのが通例でした。 しかし江戸期に入ると、後述する「摺疋田」や「打ち出し鹿の子」などの模造品と区別するためにも、象徴的な布面のしわを大切にし、凹凸を残すことで手仕事であるという付加価値をつけ、高級品であることを強調したのです。

​ 一方、麻地や木綿に「藍」を用いた庶民的な絞りもあります。 これは元来、自家製自家用であったものが専業化して、技術的にも少しずつ洗練され、商品として扱われるようになったものです。 これが最も活発に行われたのが豊後(大分)、高瀬(熊本)、そして尾張名古屋の有松、鳴海を中心とする地区です。木綿の絞りは、江戸時代の初期、九州の豊後(大分)肥後の高瀬に存在したことが「毛吹草」という本に記されています。 「豊後絞り」は1600年の初め頃には既に括りはじめられていたらしく、江戸時代から明治末期までの紀行文や産物本、浮世絵などに多く記されていることから全国的に広く知られていたと思われます。

 慶長年間から寛永年間(1600年初め)にかけては、徳川幕府による新しい社会体制の地固めの時代でした。その時代の着物は、慶長小袖、慶長紋様などと呼ばれ、黒地を多用し、紋様は絞り、刺繍、摺箔によって表現さものが多いことが特徴です。 このころの絞りについての話では、寛永十二年の正月、将軍家光が伊達政宗の招きに応じて踊り見物をした際、政宗は「ひわ鹿の子」の小袖を着用していたそうです。また、七月には徳川義直がやはり家光を招いて踊り見物をしていますが、このときの踊り子がちりめんの「紅鹿の子」の帯を締めていました。 徳川期の絞りは、裕福な町人の文化のなかで隆盛をみせます。手間の掛かる総絞りの着物は費用を惜しまない町人の財力の豊かさを示し、芝居と遊里は着物の流行の源泉となりました。

 その江戸時代の絞り染めの着物を支えてきた「芝居」と「遊里」を考えてみましょう。江戸時代の社会は厳しい管理社会で、衣食住の殆どが武家的な倫理で統制されていました。その中で唯一解放された世界が「遊廓」や「芝居見物」だったのです。士農工商の身分と職業の秩序で構成された封建社会の中で、この二つだけが秩序外の世界とみなされていました。幕府の巧妙な管理政策と言えるでしょう。 華麗な小袖は、幕府の大名、高級官僚、宮廷の公卿、裕福な町人、そして遊里の太夫たちに好まれました。そんななかで鹿の子がもてはやされたのは当然のことでした。 例えば太夫鹿の子というのがあります。麻の葉紋様などは、それを好んだ岩井半四郎にちなみ、半四郎鹿の子などと言われ、芝居役者の衣装は常に流行の源だったのです。

 やがて、鹿の子を用いた衣類は江戸、京、大阪などの大都市に限らず、地方都市でも広く用いられるようになりました。そのことは、当時の質入れの帳簿の記載に鹿の子が多くみられることでもわかります。 しかしこの様な華やかな流行に対して、幕府は価格の統制による倹約を試みます。 これが鹿の子の全盛に大きな打撃を与えることになります。

 天和三年二月に発せられた「總鹿の子禁止令」です。この禁令に伴って紋様の表現方法も変わらざるを得なくなり、「友禅染め」という、新しい紋様染めが現われることとなりました。新規の紋様染め「友禅」と禁令とがあいまって、以後は鹿の子による紋様の表現は、相対的にその地位を低下させていきます。 この禁令について「本朝二十不孝」(貞享三年)の中で、金沢の絹問屋の話があります。娘小鶴の嫁入り道具を揃えるについて「衣装は、御法度は表向は守り、内証は鹿の子類さまざま調べ」とあります。この御法度とは言うまでもなく天和三年の禁令のことですが、この文からすると、この禁令はさほど厳格なものではなかったようです。 婦女子の衣装が贅沢に流れることに対する禁令は、さきの天和三年のものが有名ですが、これに次いで享保九年にも倹約令が出されています。これは寛政元年に再度確認され、町触れとして通達されています。このあと天保十三年(1842年)後半、かの有名な水野忠邦の倹約令が発布されます。江戸には市中取締役が置かれ、町々を巡回し、風俗を調査させて、華美、贅沢を厳しく取り締まったのです。

 ■~辻ヶ花~

 十五世紀より室町末期から安土桃山、江戸初期まで流行した「辻ヶ花染」は、絞り染めを主体とした絵模様染めに描き絵や刺繍、摺箔などを加えたものを指します。 しかし、「辻ヶ花」という言葉がいつ生まれ、どのような染め織物なのかは正確にはわかっていません。 「辻ヶ花染め」の発生を歴史的にみてみると、従来、庶民や下層階級の武家の衣服であった小袖が、室町時代頃に上層階級の表着としても着用されるようになるところからはじまります。

 それまで内着として白無地が普通であったものに紋様がつけられるようになり、中世の武士や庶民の衣服に利用されていた絞り染めがまず取り上げられ、更に描絵などを加えることで、「辻ヶ花染め」へと発展していったのです。 そしてそれには、絞りのみで絵紋様を表現したものと、絞りに他の技術を加えたものの二種があり、後者においては絵紋様の描き方が更に二分化され、後の友禅や鹿の子を生む土台となるのです。

 十五世紀中頃には庶民の小袖に現われ、やがて武家の女房や子供、若衆へと広がっていきます。しかしこの頃はまだ、成人男子には特殊な場合を除いては着用されることはありませんでした。 そして、戦国時代をむかえ、政治の主導権が公卿から武家へ渡るときに、装いも織から染めへと移っていきます。武将たちの間でも着用されるようになり、「太閤記」では豊臣秀吉が明の使者の帰国に際して贈った品物の中に「辻ヶ花」が含まれていたと記されています。

 また、秀吉のほか、徳川家康や上杉謙信の遺品の中にも「辻ヶ花」をみることができます。この頃の「辻ヶ花」の絞りの中に墨絵が描かれており、その墨がぼかし込まれているのは、当時、宋から伝来してきた墨絵の掛軸の影響などもあるのでしょう。 そしてその後、江戸時代に入ってからの「辻ヶ花」は、金箔を置いたり刺繍加工が施されるなど、最初とは違った趣を見せはじめ、次第に豪華に、そして大いに発達していくのです。 こうして中世における絞り染めの発達を背景に、本来下着であった小袖が表着として使われるようになったのは大きな変革であり、近代着物のはじまりと言えるのではないでしょうか。またこのような小袖の表着化が一つの紋様加工技術として成立したことは、中世染織から近世染織への橋がかりとして大きな意義をもっているのです。

 本文は京都絞り工芸館館長 吉岡健治が、同志社女子大学の伝統工芸の講義用に作成したものです。

 

 本疋田絞り

 粒を一つつまみ出して、四つに畳み、絹糸を5~7周かけて、根元で2回しっかり括る。括る時、糸と紙の指ぬきが弾き合ってぱちんぱちんと大きな音が響く。

 針疋田絞り

 四つ巻き絞り、横引き絞りともいい、木製の絞り台に専用の針を設置して、その針に生地を引っ掛け、生地を折り綿糸で4回巻く。

 桶絞り

 染め分け技法の一種。模様を大きく染め分ける時に用いる。

 特殊なヒノキ製の桶を使用し、染色する部分を桶の外に出し、防染する部分は桶の中に入れ染め分けする。

 ​中帽子絞り

 模様の直径が3㎝以上になると柄が正確に出なかったり、生地の裏側から染液が入るので、芯を裏側に入れ浸透を防ぎビニールで防染する。

 現在では樹脂製の芯が多く用いられるが、以前は木芯、紙芯(新聞紙を硬く巻いたもの)が用いられた。

 ​縫い締め絞り

 最も基本的な絞り方。型通りに一定の針目で縫っていき、その糸を引き締めることで防染ができる。

 締め方が弱いと色が入り、強すぎても型通りに仕上がらない。縫い方、締め方の調節がポイント。

 古代石掛絞り

 木と竹で組んだスノコの中に生地を手で寄せ集め詰め込んだ上に小石を敷き詰め、じょうろで染料を流し込み染色すると、細かな色の濃淡のある模様になる。

 竜巻絞り

 鳥口状の絞り台を使用し、生地の裏に芯を入れ丸棒状にして、糸を螺旋状に巻き付けて絞る。柄が竜巻のように見えるためこの名がついた。

 ​ほたる絞り

 生地の裏表より、真綿で挟み込み染色する。輪郭のあいまいな可愛い水玉が特長で、ホタルの光のように見えることからこの名が付いた。ホタルぼかしとも言う。

*https://www.shibori.jp/ より

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< お米 > お米の品種・銘柄 鶴の舞

2023-09-15 09:55:46 | お米

 「鶴の舞」

プロが厳選した2品種をブレンド
パッケージは、ぐんまちゃん!

名前の由来
群馬県ゆかりの人物や土地をテーマに記載されている県民であれば誰もが知っている「上毛カルタ」で詠まれている「鶴舞う形の群馬県」から名づけられました。

誕生エピソード
群馬県のお米を多くの方に食べてもらいたいという思いを込めて、群馬県で作られているいろんな品種のお米の中から原料を厳選し、プロのブレンド技術でおいしいお米に仕上げました。ゆるキャラグランプリ日本一に輝いたことのある「ぐんまちゃん」のパッケージが目を引きますね。

おいしさの特徴
さっぱりとした味の「あさひの夢」7割、甘みと粘りの強い「ひとめぼれ」3割の比率でブレンドされています。冷めてからもパサつきが少ないため、キャラ弁の素材としておすすめです。丼ものやつゆものとの相性も抜群!

*https://life.ja-group.jp/food/okome/detail?id=128 より

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<いろいろな異名-郷土富士> チルボン富士

2023-09-15 09:26:02 | 異名

 「チルボン富士 チェレメ山(インドネシア名)」

 インドネシア ジャワ島にある標高3078mの山。

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<難読漢字-動物> 騾馬

2023-09-15 09:01:56 | 難読漢字

 「騾馬 らば」

 ラバ(騾馬、英語: Mule、ラテン語: Mulus)は、雄のロバと雌のウマの交雑種の家畜である。北米、アジア(特に中国)、メキシコに多く、スペインやアルゼンチンでも飼育されている。

*Wikipedia より

 ラバの語源・由来
 ラバは、漢語「騾馬」の字音に由来し、本来は「騾」の一字で「ラバ」を表す。
 「馬」が加えられて「騾馬」になった理由は、「驢馬(ロバ)」と同様に、馬の一種であることを明確にするためか、文字を安定させるため二文字にしたものと思われる。

 ラバの漢字「騾」は、「馬」に音符の「累(ルイ)」からなる形声文字。
 「累」の字には「重ねる」などの意味があるが、音から当てているだけなので、「騾」の漢字の意味には一切関係なく、「ロバ」の音に関係するものであろう。

*https://gogen-yurai.jp/raba/ より

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<料理用語-和食> 埋み火焼き

2023-09-15 08:51:30 | 料理用語

 「埋み火焼き」

 埋(うずみ)とは火鉢や炉の炭火のことである。
 灰をかぶせる料理を「埋**」と呼ぶようになった由縁。
 豆腐を和紙で包み、熱灰に一日ほど埋めておき、それをみりん醤油で煮た「埋豆腐」が代表。

 これとは別に、薄味で煮た豆腐を器に入れ、その上に熱いご飯をのせて、餡や吸地をかけ、おろし生姜を天にのせる料理も「埋豆腐」または「埋飯」という。「埋粥」という献立もある。

 また、大分には「埋味噌」なる魚の焼き味噌がある。

*https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/2_C/013.html より

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<慣用句・諺> 背負い投げを食う など

2023-09-15 08:44:54 | 慣用句・諺

 「背負い投げを食う-しょいなげをくう」

 相手を信じていたのに、最後のところでだまされたり裏切られたりしてひどい目にあう。

 

 「小異を捨てて大同に就く」

 少しくらいの意見の違いがあっても、大ぜいの支持する意見に従う。

 

 「小寒の氷大寒に解く」

 小寒よりも大寒のほうがかえって暖かいこと。物事が必ずしも順序どおりにいかないことのたとえ。

 

 「性が合う」

 お互いの性格が合う。気が合う。馬が合う。

 

 「正月は冥土の旅の一里塚」

 ⇒門松 (かどまつ) は冥土 (めいど) の旅の一里塚-《一休の狂歌で「めでたくもありめでたくもなし」と続く》めでたい門松も、それを立てるたびに年を重ねるから、次第に死に近づく標示ともみられるということ。正月は冥土の旅の一里塚。

 

*goo辞書 より

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<国産ワイナリー> シャルマンワイン

2023-09-15 08:26:29 | 国産ワイナリー

 江井ヶ嶋酒造(株)/シャルマンワイン

 シャルマンワインは冷涼な郷、南アルプスの麓でヨーロッパ系ワイン専用ブドウを自社農園で45年間、栽培からワイン熟成まで、本格熟成ヴィンテージワインに取り組んで いる栽培醸造ワイナリー(ドメイヌ)です。南アルプスの麓、冷涼な素晴らしい環境条件のもと、ワイン専用のヨーロッパ系ぶどうを栽培し、シャトーシャルマン、シャルマン、更に特別限定のヴィンテージワインを作り、販売しています。

 江井ヶ嶋酒造(株)/シャルマンワイン 山梨県北杜市白州町白須1045-1

 商品リスト

カベルネフラン白須

山梨県北杜市白州町の自社農園で栽培した「カベルネフラン種」のみを使用。仕込みの時、ぶどうの茎を機械ではなく人の手で取り除くことで、非常にクリーンで滑らかな味わいに仕上がりました。色は透明感のあるルビー色。ミネラル感があり、ボディを伴った熟成感と余韻の残る甘みがアクセントです。
柔らかく繊細、穏やかなタンニンとふくよかな味わいがバランス良く調和したワインです。

シャルドネ白須 

*https://www.winery.or.jp/winery-map/2568/ より

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<大阪製ブランド-玩具・ベビー用品> 懐話ふだ

2023-09-15 07:50:36 | 大阪製ブランド

 「懐話ふだ」

色とテーマから紡ぐ懐かしい思い出が社会問題解決の一翼を担う。

世界で最も高齢化が進む日本。それに伴い、認知症も大きな社会課題となっているが、そんな現代社会に役立つユニークな製品が大阪の老舗印刷会社から誕生した。その名は「懐話ふだ」。「私のおばあちゃん認知症なんだよね」という1人の学生の声から企画が始まった本製品は、過去の記憶を振り返り、思い出話をすることで脳の活性化を促す“回想法”という手法を取り入れた新感覚のカードゲームだ。神経衰弱の要領で、たくさん並んだカードの中から2枚を裏返し、同じ色のカードがそろうと自分の札になる。そして、そのカードに記されたテーマで思い出を語るというルール。最終的に一番多くのカードを手に入れた人が勝ちとなる。

製作した明成孝橋美術は、世の中の動きに合わせて柔軟にチャレンジを続ける印刷会社。「社会課題を解決する印刷商品」というテーマを掲げ、商品開発インターカレッジに参加。学生のアイデアを元に、初めての自社商品開発を開始した。試作品ができると介護施設などで現場の声を集め、約1年間試作・検証・改良を繰り返した。結果、その後に実施したクラウドファンディングでは、当初2カ月かかると想定していた目標をたった1週間で達成。最終的な達成率は150%に上った。現在は認知症予防に限らず、企業の研修時のアイスブレイクにも使用されるなど、コミュニケーションを円滑にするためのツールとしても活用されている。

カードは光沢の少ないマットな質感を意識し、どの角度からも見やすくした。また、カード裏面は座布団をイメージしたデザインを採用。「座布団をたくさん集めた人が勝ち」という、高齢者になじみのある演芸番組を彷彿とさせるユーモアも忘れない。  

テーブルや床にカードを並べ、青座布団と赤座布団を一枚ずつめくる。カード表面の色がそろうと、そこに書かれたお題に沿った思い出話をする。「幼少期+住んでいた所」、「大人になってから+の旅の思い出」など、様々な年代の懐かしい話が場を盛り上げる。

 株式会社明成孝橋美術 大阪市天王寺区清水谷町12-7

*https://osaka-sei.m-osaka.com/product/2112/ より

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