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メモ2021.11.27 ― 文学作品の言葉の追跡 ② ―「円方体」から

2021年11月27日 | メモ
メモ2021.11.27 ― 文学作品の言葉の追跡 ② ―「円方体」から


 以前、吉本さんの以下の部分の文章を読んでいて、最終行で、あれと思ったことがある。「エレヴァス」?ここはドイツ語の「エトバス」ではないかな、といろいろ当たっていたら、なんと『言語にとって美とはなにか』には索引があったのであり、そこに「エトワ゛ス」が4回ほど使われていた。ウィキペディアによると、「ワ゛」は、現在は「ヴァ」を用いるとある。とするとこれは先に予想したようにドイツ語の「エトヴァス」(etwas、「何か」の意味)の誤植ではないかということになる。ささいなことかもしれないが、これで、ちょっとすっきりした。(註.1)


 ところで、武田泰淳、野間宏、石川淳といった第一次戦後派と呼ばれた作家たちがいる。彼らは敗戦直後の混沌の中で、一瞬の煌(かがや)きにも似た佳作を生み出しているが、太宰や坂口が彼らとも異なるのは、私なりの言い方でいえば、大それたことを考えていたということになる。大それたこと、つまり政治なり社会なり、あるいは人間存在について深いところで認識しながら、ある種の大きな普遍性を意図的に作品に繰り込もうと考えていたふしがある。こうした姿勢を持った作家は太宰と坂口だけであり、その後出ることはなかった。
 太宰治、坂口安吾の他、織田作之助、石川淳、檀一雄といった、いわゆる無頼派と呼ばれた作家たちは、それぞれ良質な作品を残しているが、彼らは、女、薬、酒といった表層的なデカダンスと裏腹に極めて強い大きな倫理観を持っていたように思う。これが一見無頼派的にみえる彼らの作品の奥底に流れていた、生涯をかけた大それたエレヴァスであった。 平成十五年三月
(「檀一雄『太宰と安吾 』」の吉本さんの解説の末尾の部分、初見は『吉本隆明資料集159』P79 )

 ※檀一雄の『太宰と安吾』(角川ソフィア文庫)に当たってみた。ここからの誤植であった。


 学校の教科書にはほとんどないが、本には誤植はつきものだということはわかっている。最近またしても、よく分からない言葉に出くわしてしまった。


「わたしたちは短歌的な表現を交響する音形で比喩してみるとする。いま意味の機能をまったく抜いておくとすれば、細長い葉巻の形をした密雲の塊りのように見做すことができよう。すると岡井隆の『神の仕事場』の交響する密雲は、わたしたちが短歌的な声調にみているものの倍増した円方体(2×2×2)に比喩することができる作品に出遭う。いわば意味句が、下句または上句の全体でメロディを発信している例に出遭うからだ。」(『吉本隆明 詩歌の呼び声 岡井隆論集』P302 論創社 2021.7)


 「密雲」は辞書で調べたが、この「円方体(2×2×2)」というのが何かがわからない。たぶん立体図形だろうと推測するが、中学・高校までの初等の算数や基本数学では習った覚えがない。そこで、この二月ほど暇を見つけては以下のように追跡してみた。

 吉本さんの文章で「円方体」という言葉に出会って、
1.耳にしたことがないから誤植ではないかと思った。(10月上旬)

2.もしかして、数学の初等か高等の立体図形にあるかもしれない。初等数学の図形であれば、少なくとも戦後のには「円方体」というものはない。おそらく各辺が「倍増した円方体」だから、「円方体」(2×2×2)は、「円方体」(1×1×1)が「倍増」したものか?この「円方体」は、「直方体」あるいは「立方体」の間違いではないか?

3.「円方体」をネット検索したが、1つもヒットしなかった。

4.ネットの質問コーナーに質問した。(2021/10/23 )
そうしたら、回答者がふしぎなことにネット内の使用例を2つ見つけて紹介してくれた。(「ふしぎなことに」というのは、まず普通の検索ではヒットしなかったこと。次に、目当てのpdfファイルとそのファイル内の「円方体」という言葉を検索できていること。)
 ① 関東辺りの旅行記を書いている人が、訪れた店の写真を載せて、その中でインテリアのハーバリウムのガラスビンを「円方体」や「角方体」と呼ばれていた。
 ②曲面体印刷を研究・発明した箱木一郎氏の『発明と私』(pdfファイル)の文章の中に、「円方体、あるいは円錐体」という言葉がある。

5.4.の①関連で、日本ガラスびん協会に「円方体」という呼び名があるかどうかホームページの「お問い合わせフォーム」より問い合わせた。(2021/10/27)
 そうしたら、ガラスびん製造会社にも尋ねたがそういう呼称は使っていないという回答をもらった。

6.4.の①の人に旅行記のネットの掲示板で尋ねたら、「円方体や角方体」は自分でも知らない言葉だから、何か勘違いしてそう書いてしまったと思うという返信をもらった。

7.4.の②曲面体印刷に関わった箱木一郎氏(明治29年1月神戸に生れる。 曲面印刷法を研究・発明した。 日本曲面印刷機社長)関連で、「箱木一郎とその家族」というブログに偶然出会った。「円方体」について何かご存じではないかと尋ねるコメントをコメント欄に記入した。(2021年11月6日)
しばらくして、箱木一郎氏のおそらく孫に当たる方から、祖父箱木一郎氏から「円方体」については聞いたことがないという返信をもらった。

《復刻》・印刷史談会〈12〉
htt★ps://www.jfpi.or.jp/files/user/pdf/printpia/pdf_part3_01/part3_01_012.pdf
(URLに★印を加えています)
曲面体印刷の発明と グーテンベルグ博物館へ資料寄贈の想い
箱木一郎氏『発明と私』

 この『発明と私』の、「(2)同一陶器」の文章の19行目に「円方体、あるいは円錐体」という言葉がある。その一部を引用してみる。


 私の曲面印刷は、とかくよく間違われますが、私の言う曲面印刷は、
3次形面を有する物体に対する印刷のことに限りたいと強行に主張
してきたのですが、円方体、あるいは円錐体、これは解体してしま
えば結局、平面にある。ということは2次形面であって、曲面印刷
と同類にしては困るということをよく議論してきました。円錐体に
しても、円筒にしても切って開けば平になり、で、紙の輪転機と全
く同じになるので、ぜひ区別をしてくれと強く主張しました。



 箱木一郎氏のおそらく孫に当たる方が指摘されていましたが、「円方体、あるいは円錐体」と、次にあるその言い換えと思われる表現「円錐体にしても、円筒にしても」から、「円方体」は「円柱」(円筒)ではないかという指摘をもらった。ただ、それだと円方体(2×2×2)の2×2×2が、それぞれどこを指しているかわからない。
 また、「明治時代、大正時代、昭和初期には使っていた言葉なのかもしれません」という指摘から、当時の尋常小学校、高等小学校、旧制中学の算数や数学の教科書を調べようとしたら、ネットで以下の所でpdfファイルとして見ることができた。 
 「国立教育政策研究所教育図書館 近代教科書デジタルアーカイブ」です。
 htt★ps://www.nier.go.jp/library/textbooks/ (※ ★印を加えています)
 しかし、ここで、立体図形や多様体の項目をいくつかチェックしたが、円柱はあっても残念ながら「円方体」には出会えなかった。
 
8.以下のように「円方体」という言葉を使った二人に共通するのは印刷関係だから、ということで、東洋インキのホームページの問い合わせにコメントしようとしたが、書き込んだ内容の確認の画面でエラーが出て、かなわなかった。
① 吉本隆明さん(大正13年 1924年生まれ) 戦後の若い頃東洋インキで数年技術開発部門にいた。
② 箱木一郎氏(明治29年 1896年生まれ) 曲面印刷法を研究・発明、事業化した。


★まとめ
 ということで、「円方体」という言葉を使った二人がいるから、誤植とは考えられず、「円方体」という言葉はネットで検索してもヒットせず、昔の算数や数学の教科書にもおそらくなく、今のところ出所不明と見なすほかない。途中で、「円方体」は、「前方後円墳」の名付けのように上部が円筒形で下部が直方体、すなわち上から見たら(上)円(下)方体ではないかと想像した。しかし、これも2×2×2が不明になる。ただし、上部を省略すると、直方体で縦・横・高さの2×2×2にはなる。
 古墳の形からくる名前には、「上円下方墳」もある。「前方後円墳」みたいにその墳墓の立体的な形を余すことなく伝えようという呼び名のようだ。この墳墓の形を立体と見なして言いやすく省略すると、「円方体」になりそうだが。
 なお、箱木一郎氏には、『箱木一郎「曲面印刷」を語る』(日本曲面印刷機株式会社発行 141P 1983年)という本があるが、アマゾンの古書で高価すぎて見ていない。


★最後に
追跡の意味について

 それにしても。今のところ二人しか「円方体」という言葉を使っていないなんてふしぎな気がする。学校教育の知識で獲得した言葉や概念以外では、人が使う言葉にはその人の具体性の世界との接触の経験が含まれることがある。例えば、何かの製造会社で現場で勤めた経験のある人なら、一般にはほとんど使われていないような製造工程での言葉があるかもしれない。それはおそらくその小社会でのみ流通し、ほとんどその外に出ることはないだろう。こういうことは、現在の均質化された社会では「方言」がずいぶんと壊れてしまっているが、まだイントネーションにまで退化しても地域社会に残っているという事態と似ているような気がする。もし、吉本さんが使った「円方体」という言葉が、学校教育から学んだものではなく、ある具体性の世界との接触の経験から来るものなら、きちんとそのことをたどってみたいということからこのような追跡になってしまった。
 ささいなことのように見えて、ほんとうに他者の言葉をたどるということには、こういう〈触れる〉という言葉の行為が大切ではないかと思える。
 わたしは、自分がどうでもいいと思うことにはあんまりこだわらない、根はいいかげんな性格もあるけど、今回はこだわりすぎてしまった。だいたい意味は通るからいいとそろそろ終わりにしようかと思っている。


(註.1)
「エレヴァス」問題再び 2017年02月24日
 

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