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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

最近のツイートや覚書など2022年4月 ②

2022年05月17日 | 覚書
 最近のツイートや覚書など2022年4月 ②


2022/04/21
中国もロシアも「共産主義」、共産党とは名ばかりで正体は古めかしい皇帝政治で、ほんとうは血塗られた事件や歴史とは無縁な、誰もが自由に生き生きと生きていくものとして構想された人類の理想のあり方を、そのような権力闘争と粛正との悪夢に変えてしまった。民衆は悲劇であり、その人類史的な罪は重い。

今でも使われる「西側、東側」という架空の対立概念をわたしは認めない。政治は民衆の迎合を組織化することもあるが、いずれの国においても、国家や有名人ではなく民衆自体にスポットライトが当てられるべきであり、民衆の物心両面の幸福をこそを第一の政治や改革・革命の問題と見なすべきであると思う。


2022/04/22
現代短歌bot@gendai_tanka
おしよせて来しかなしみはざくざくざんざくざくざんとキャベツを切りぬ  小島ゆかり


おしよせて/来しかなしみは/ざくざくざん/ざくざくざんと/キャベツを切りぬ
歌の意味は説明を要しないかもしれない。表現の場に降りてみる。かなしみ「に」なら滑らかに流れて「わたし」が主語で「キャベツを切りぬ」にかかる。

かなしみ「は」の場合は、二区切れでそこを断層と見なして、そのかなしみを背にして「わたし」は「キャベツを切りぬ」となる。あるいは、かなしみが擬音のように切りぬ(切らせた)という含みも考えられそうな気がする。するとちょっとコワイ感じが出る。助詞ひとつの重大さ。


noteに掲載されている坂口恭平「継続するコツ」を第7回の半分くらいまで読んできた。仏教で、心身を痛めつける修行をしながら少しずつ悟りへ上り詰めていくのが「堅超」(しゅちょう)、それが普通だと見なされていたことに対して、親鸞らの念仏して一挙に悟りに入ることを「横超」(おうちょう)。

「継続するコツ」は、表現世界や表現者の「横超」に当たるのではないかという気がしている。


2022/04/23
あがた森魚、あら懐かしい。歌の感じは覚えているけど題名は忘れている。今ネットで聴いてみたら、昔聞いて印象深かったのは、「赤色エレジー」だった。哀愁を含んだ「語り」調の歌のようだ。


2022/04/23
医学書院のHPで『驚きの介護民俗学』の「はじめに」の部分を読むと、ああそうだよなあという「おどろき」が湧いてきた。ひとりひとりの現在に、受け継いで歩んできた精神史やもっと大きく言えば人類史が内包されているから、やろうと思えば「発掘」できるということ。


2022/04/24
RT Sさん 戦略コンサル(防衛・安全保障)5年→ ジョージタウン国際関係論修士
NATO東方拡大は誤りに反対、という世論は、ロシアと領土問題を有する日本としては、当然の帰結なのかもしれませんね。

「NATO東方拡大は誤りに反対、という世論は、ロシアと領土問題を有する日本としては、当然の帰結なのかもしれませんね。」(戦略コンサル(防衛・安全保障)のツイート) 戦略コンサルには自然でも、わたし(たち)普通の生活者にとっては、NATOとかそういう文脈に自然に入ることはない。圏外を生きている。


今日の夕方、テレビでロシア正教会キリル総主教とプーチンとの関わりを取り上げていた。最近知ってはいたが、改めてプーチンは、ソビエトロシアを越えて帝政ロシアのツァーリ(皇帝)気取りのようだ。精神はいかようにも退行する、普通人なら別に問題ないが、大統領となると。なぜこんなのが評価できる?

たぶん、プーチンには近代発祥の人権も自由も平等も国家も国境も交渉もあり得ないのだろう。まるで無敵のカイドウ(『ワンピース』)だ。これは規模は違うが、退行思想の日本会議系と変態した自民党(ついこの間の安倍晋三を嚆矢(こうし)とする)とのタッグと同型である。


2022/04/25
録画していたNHKBS「数学者は宇宙をつなげるか?abc予想証明をめぐる数奇な物語」完全版を観た。加藤文元『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』を読んでいたから、少しは落ち着いて観ることができた。同じ数学的構造だが同質性と異質性を持つ宇宙Aと宇宙Bの間の関係の構造化か。

縄目の3巻きとりんご3個は、数学世界では同じ3として扱うが、縄目とりんごの違いがある。日常世界では、対象として前者後者が分離されたり、その両者が一体として捉えられたりする。数学は長らく対象を同じ3として抽出された数学世界の構造をのみ扱ってきたのか


RT James F. ガメ・オベール
1959年だと、ところどころ日本語がいまと違っている。
全体にていねいで、いちばん異なっているのは若い人同士の会話だが、
中古車が「ちゅうぶる」なのがおもしろい。

使いたいなあ、ちゅうぶる。

ルビがないとダメだね??
2022年4月24日


「ちゅうこ」も「ちゅうぶる」も意味としては同じものを指しているが、いわば心の肌感覚にそれぞれは滲みていて、語感が自然とイメージを羽ばたかせる。だから、「ちゅうこ」世代には「ちゅうぶる」は生命感を感じにくい。わたしの耳も「ちゅうぶる」に親しい。


2022/04/27
最近朝方のテレビコマーシャルで、「月々490円~で100万円の備え - SBIいきいき少短の死亡保険」がよく流れて来る。他人事で、素人計算で、そんなことで仕事になるのだろうかと思っていた。調べてみると、年齢などにより掛け金が違っていた。当然利益の確保はシビアーに考えているはず。


最近しばしば見かける「スナップエンドウ」は、最初「スナックエンドウ」と勘違いした。その初印象のため、「スナップエンドウ」には少し異和感があるようになってしまった。「スナックエンドウ」と「スナップエンドウ」は同じもので、正式名称としては「スナップエンドウ」らしい。

調べてみたら、wikiなどによると、「スナップエンドウ」は英語ではsnap beanと表記される。スナップとは、パキンと折れるという意味だ。「スナックエンドウ」は豆類の改良品種として、1970年代にアメリカから輸入されました。甘味があって食感がよく、スナック(軽食)感覚で食べられる。とのこと。


太宰治bot@osamu_dazai
人間なんて、そんなにたくさん、 あれもこれも、できるもんじゃないのだ。 しのんで、しのんで、 つつましくやってさえゆけば、 渡る世間に鬼はない。 それは信じなければいけないよ(太宰治「火の鳥」)

これは、少し安定した明るさの差している時期の太宰治の言葉のように見える。昔、新潮文庫だったかの太宰の日記を読んだことがあるが、反物に限らず知り合いからいろんな援助も受けていた。それも太宰が生のバランスを保つのにいくらか貢献していたろうと思う。

 「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。」(太宰治「葉」青空文庫)


RT
木村拓哉という人は自己肯定力が低い、と糸井重里。ふたりが出会ったころの話から、ずっと変わらないと言われる「魂の年齢」の話まで。
https://www.1101.com/kimuratakuya2022/2022-04-24.html


ドラマ『HERO』で検事役で出た「キムタク」には、私は割りといい印象の俳優さんというイメージを持っているが、若い頃吉本さんと会っていたんだ。(若いから、かしこまって聞き役だったかもしれないが、何話したんだろう。)


最近、時代劇チャンネルで観ている『暴れん坊将軍 Ⅱ』や『八百八町夢日記』を観ながらふと思ったことがある。ドラマも物語も人が生み出した、現実とは違ったバーチャルな世界である。そんなドラマや物語の世界で、全ての登場人物は平等であるという見方も可能ではないかと思った。

確かに、作者やプロデューサーは、あるモチーフを携えて仮想世界に主人公周辺にアクセントを置いて起伏のある線を引き世界を構成し展開させることは確かだろうし、端役の俳優さんも主人公みたいな役をいつかやりたいなと価値序列化することもあるかもしれない。

現実世界にも人々の内面や行動を制御しようとする社会の主流のような価値観(マス・イメージ)がある。しかし、社会内の誰もがその価値観(モチーフ)に縛られているわけではない。同様に、ドラマや物語の仮想世界でも、読者は、作者のモチーフに沿いながら、あるいは作者のモチーフを退けて、

平等な人間たち(登場人物たち)に出会うことが可能ではないだろうか。それに何の意味があるのかと言われても思いつきで即答しがたいが、ひとつ言えることがある。物語もドラマも太古においては、大いなる自然(神)が主人公であり、人間と神との対話が主要なモチーフであった。

歴史の大きな推移と共に、主人公は、大いなる自然(自然界の神)→人間界の神→人間界の貴人と変位していった。物語やドラマの世界で主人公を特別視するのはそうした歴史性に拠っているはずである。

まだまだ実質は伴っていないが観念やイメージの上では、平等が主流の現在において、私がふと思いついた、ドラマや物語の世界で、全ての登場人物は平等であるという見方も可能であり、そこから物語世界への還流もあり得るように思った。


2022/04/29
「どうして、捜索を尽くしたのに、なんで三年経って靴が見つかるんだろ?」とか、素人の思い描く現地の時空は、現実にはでこぼこやいろんな出入りや動きがあって、その山や捜索の専門家の言葉を仲立ちとしないととんでもない飛躍や思い込みなどになりそうに思う。ロシアのウクライナ侵略戦争状況に関してもまた。


2022/04/30
最近、テレビを観ていると「ウマ娘」という言葉(CM)が時々出てくる。競馬の宣伝かなくらいに思っていたが、やっと調べてみた。

『ウマ娘 プリティーダービー』(略称は『ウマ娘』)は、スマートフォン向けゲームアプリとPCゲーム。競走馬を擬人化したキャラクターである「ウマ娘」を育成し、レースでの勝利を目指すという内容、らしい。

なんか、馬が若い女の子で操作(育成)するというのが、別に作品評価を別にすればそれはいいんだけど、『月曜日のたわわ』(今無料版を少し見た限り)と同類の、人の欲情そのものを描ききるのではなく、人の欲情に媚びたり誘導したりしているような感じがする。


RT Jさん
ウクライナのことを「ウク」と略す人、大抵が陰謀論者なんですよね・・・彼らワクチンのことも「ワク」と略すから、そのノリなんでしょうけれど。
2022年4月30日

「ウクライナ」も、それを略した「ウク」も、何を指し示しているかという言葉の指示性は同一である。しかし、何かが違うという思いは誰もが持つだろうと思う。コロナのワクチンに関しても「枠珍」や「ワクチソ」などの表記に出会って何となく異和感を持った覚えがある。

対象指示は同一でもそういう変わった表記をすることでコロナのワクチンへの違和の思い(自己表出性)を込めているものと思われる。例えれば、「ウクライナ」という同一の部屋を指していても、「ウク」の場合は奇妙な飾り付けが施された仲間内の部屋みたいなものであろうか。
 

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3306-3309

2022年05月17日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3306
言葉に乗って下っていく
りらりらりらと
つまずかないぞ 言葉よ



3307
ネコみたいにいつも「はひふへほー」
としか言わなくても
言葉は駆ける飛ぶ笑う泣く



3308
次々に寄せ固まる圧圧に
(あ う)
言葉が発車できない



3309
見送りの電車が出るまでの
ことばは
言葉の無力に崩れそうになる