一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

1⃣-59.チェコ「プラハ編」(5/8)~市民会館、火薬塔、プラハ本駅など 6/29~7/2

2024-08-21 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 明日は、プラハからワルシャワへの移動日です。空港行きのバス停を確認すために、プラハ本駅近くの「空港行きミニバス発着所」へ。丁度、空港からミニバスが着いたので、運転手さんに始発時刻を聞いてみました。7:30発ということ。これでは間に合いません。やはり確かめに来て正解でした。まあ、折角プラハ本駅まできたのだから、プラハ本駅、プラハ市民会館及び火薬塔などを見ることにしました。


市民会館及び火薬塔 


 市民会館


 この場所にはかって歴代の王の宮廷があったのですが、17世紀後半の大火事で焼け崩れました。その後紆余曲折を経て1911年に、アールヌーヴォー様式の建物である市民会館が完成しました。1918年チェコスロバキアの独立宣言した場所であり、今はプラハの春音楽祭のメイン会場として有名。音楽祭は、1946年より始まり、毎年スメタナの命日5月12日に開幕します。チェコを代表する多数の建築家、芸術家によって造られた市民会館は、外観だけではなく、内装、ステンドグラス、スメタナホール、天井画などはみごとです。



 火薬塔、火薬門


 市民会館の隣のくすんだ黒が印象的なゴシック様式で、もともと1475年に建てられ、旧市街を守っていた城壁のひとつ。17世紀には火薬倉庫として利用されていたのでこの呼び方が。現在見られるのは、19世紀末に修復されたものです。塔の高さは65mあります。



 火薬塔と市民会館は隣り合わせです。









  

 







 プラハ本駅の様子 








 


今日中に解決しなければならない課題は、別ルートの空港行きのバス停です。 地下鉄A線に乗り、その終点の「デイヴィツカー駅」から119番のバスが出ている!と旅行案内書に書いてあるので行ってみることにしました。ホテル近くの地下鉄駅から4つ目の駅で、乗ってすぐ!、といった所です。バス停は路上にあるので、119番のバスはどこから出るのか聞かなくてはなりません。2度ほど時間調整している運転手さんに聞きながら目的のバス発見!「飛行場行き」と英語に似たチェコ語で書いてありました。

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1⃣-58.チェコ「プラハ編」(4/8)~プラハ城から旧市街へ 6/29~7/2

2024-08-20 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

  カレル橋からプラハ城を見て、再びヴルタヴァ川に戻ってきました。次は、ヴルタヴァ川から500mの所にある旧市街へ行くことにしました。 

 プラハの旧市街は、1992年にユネスコ世界遺産に登録されました。旧市街は、1232年にヴァーツラフ2世によって創設された町で、1253年にはその町を囲む城壁が作られ、城下町として発展しました。旧市街地の中心の場所にある広場には、旧市庁舎、聖ミクラーシュ教会、ティーン教会があり、それに中心にヤン・フスの像があります。ヤン・フスは、ボヘミア出身の宗教思想家、宗教改革者で、チェコの英雄で農民のために戦いました。



 カレル橋の全景です。 



  


聖ミクラーシュ教会

 旧市街広場の北西にあるこの「聖ミクラーシュ教会」は、18世紀に建てられたバロック様式の教会です。重厚な彫刻やフレスコ画が描かれた高い丸天井は、大変素晴らしいものです。クラシックコンサートが開かれるほど音響効果もよく、パイプオルガンの音色が厳かに響くという。


 






  
 旧市街広場で、後ろは「ティーン教会」です。




 旧市街広場はプラハ観光の中心ともいえる場所です。その広場の東側に特徴のある二つの尖塔をもつゴシック建築の教会がティーン教会です。正式名称はティーン(税関)の前の聖母マリア教会という。教会の裏に税関があったからと。当時ティーン教会は反カトリック系であるフス派穏健派(プロテスタントのさきがけ)の拠点でした。ビーラーホラの戦いの敗北により、この教会もカトリック教会に変えられることになり、抵抗したフス派穏健派の人達が中に入れないように教会の前に建物を建てて塞いでしまったとのことです。この今はカフェやレストランになっている辺りの土地までが教会の持ち物だったため可能となったようですがー。



ロール状のパンを作っているところ。何という
名前でしょうか?壁面に書いてありますがー。


タイ式のマッサージ店で魚に足の角質をとらせて
いるデモストレーション(バイトの若者らしいがー)


 旧市街広場の旧市庁舎にある中世の「天文時計」の紹介です。1410年に時計職人ミクラーシュとカレル大学の数学教授ヤン・シンデルが製作しました。太陽と月の位置、日の出・日の入りの時刻を示すほか、毎正時に十二使徒の像が現れます。旧市街広場と旧市庁舎は1992年、「プラハ歴史地区」の名で世界遺産に登録された。


  




 縦に二つの円が並んでおり、それぞれ当時の宇宙観(天動説)に基づいた天体の動きと時間を表しています。上はプラネタリウムと呼ばれ、地球を中心に回る太陽と月、その他の天体の動きを示し、年月日と時間を示しながら1年かけて1周します。下はカレンダリウムと呼ばれ、横道12官と農村における四季の作業が描かれ暦で、1日に1メモリ動きます。





 プラネタリウムの両側にある人形は、虚栄心、貪欲、死神、異教徒の侵略という4つの恐れ、カレンダリウムの両脇の人形は、歴史記録者、天使、天文学者、哲学者を表しています。





 この時計を有名にしているのは、9:00~21:00の毎正時、窓に姿を現す仕掛け人形。時がくると、プラネタリウムの脇にいる死神が鐘を鳴らし、その音とともに塔の上にある窓にキリストの12使徒がゆっくり現れては消えて行く仕組みになっています。最後には、一番上でニワトリが一声鳴いて終わります。





毎正時が近くなると、大勢の観光客がこの仕掛
けを見るために天文時計前に集まってきます。




始まる前の様子です。 

  

キリストの12使徒がゆっくり現れては消えて行きます。







最後に、ニワトリが一声鳴いて終わりです。




旧市街広場の様子です。 

  







 日本に関する書物を発見!どんな人が買うのかなア?

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1⃣-57.チェコ「プラハ編」(3/8)~プラハ城で 6/29~7/2

2024-08-19 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 カレル橋から坂道を上がり、プラハ城に着きました。 ヴルタヴァ川の西岸の丘の上に建つプラハ城一帯にはいろいろな見どころがあります。まずプラハ城のことですが、9世紀半ばに城の建設が始まって以来、幾多の変遷を経て、14世紀のカレル4世の時代に現在見られるようになったとのことです。この城壁に囲まれた広大な敷地の中に、旧王宮、宮殿、教会などが建っています。



 第2の中庭から門をくぐって第3の中庭にはいると聖ヴィート大聖堂があります。尖塔の高さは96.6m、内部の幅60m、奥行き124mもあり、プラハにおけるゴシック様式の代表格。この聖堂は、もともと930年に造られた円筒形のシンプルな教会だったようです。幾度かの改築後、現在のゴシック式の工事に着手されたのが1344年で、最終的に完成したのは20世紀に入ってからです。









 プロの写真家による結婚式の記念写真を撮影をしていました。




 中世の生活体験のできるコーナーがありました。








 
 ここにも子供対象のイベントをやっていました。









   


 衛兵の交替は、正午の場合音楽隊の演奏に合わせてするということで見に行きました。12時近くになったので見に行った時は、時遅し!といった感じで観光客がいっぱいでした。








 後半、少し離れた所にいると、セレモニーが終
わった衛兵の一団が通過して行きました。 


 旧王宮は聖ヴィート大聖堂を左にして第3の中庭に立つと、正面に見えます。実際に歴代の王宮として使われたのは16世紀までとのことです聖イジー教会は、ロマネスク様式で、620年に完成した教会で、現存する城内最古の教会です。音響がよく、プラハの春音楽祭などのコンサートが催される会場ともなっています。





 聖イジー教会を通り過ぎ、坂を下るように歩いて行くと、「黄金小路」と呼ばれるところがあるます。1597年にできたもので、当時城に仕える従者などが住んでいたところ。やがてその一角に錬金術師が住むようになり、この名前が付けられたようです。






 


 この門にも衛兵がいました。 






要塞として使われた様子がわかります。


 ボヘミアグラスの工房がありました。






 


坂道は結構登るも下るも急な感じです。




 ブドウはちょうど開花が終わり結実した時期です。
旭川と同じくらいかナ?我が家のブドウは如何に?

丘から平地に至る斜面はブドウ畑になっています。
ワイナリーも近くにあるようです。




 ゆでトウモロコシ発見!懐かしく買ってみました。
ここ1軒の店だけでした。粒の揃い方、湯で方、塩味
など
マアマアで、コーン自体の甘みは日本の方があり
そうです。大きいので2回に分けて食べました。




 TVの撮影の準備のようですが、何か問題が発
生したような感じでした。只今打合せ中!




 ホテルを出て、カレル橋を通ってプラハ城に登り、そして下りヴルタヴァ川まできました。目前にカレル橋が見えますからちょうど一周した感じで戻ってきました。歩くことウンkm、少しでもたくさん見ようとすると、旅行は足腰が肝心だなアと思います。次は、これから旧市内の探索です。道路が入り組んでいるので迷わないように要注意!です。

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1⃣-56.チェコ「プラハ編」(2/8)~ホテルからカレル橋➨プラハ城へ 6/29~7/2

2024-08-18 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 6/30、今日は日曜日です。昨日も観光客がいっぱいでしたが、今日は一段と多い感じです。今日の散策コースは、カレル橋を通って、まずプラハ城まで行く計画です。9:30出発の時間は、似顔絵を描く画家やバンドの人たちは既に活動開始していました。橋の上は、観光客も動き出し活気があります。日本人ツアーにもいくつか出会いました。


 
宿泊したホテルの入口。繁華街の一角にあります。 







  
 ここをカレル通りといい、直進するとカレル橋です。






 カレル橋まできました。このヴルタヴァ川にかかるプラハ最古の石橋は、カレル4世の命によって1357年に着工し、60年近くかかって完成したゴシック様式の美しい橋です。全長約520m、幅は約10mのある大きな橋で、現在は歩行者のみ通行可です。




 










 

  





   


 対岸の小地区側の橋塔が見えてきました。


カレル橋を渡り、プラハ城へ向かいます。 

 












 プラハ城のある小高い丘フラッチャニからプラハ市内を見下ろしています。プラハ城まではもうすぐです。ここは、要塞にもなっていました。気温19℃、風があまりなく、薄い上着を着て坂道を上がって来ても汗のかかない気温です。ちょうど北海道の今ごろの気温でしょうか。暑からず、寒からずといった感じです。

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1⃣-55.チェコ「プラハ編」(1/8)~ウィーン➨プラハ 移動 6/29~7/2

2024-08-17 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 チェコはスロヴァキアとの連邦を1993年に解消し、一つの主権国家になりました。ドイツ、ポーランド、オーストリア、スロヴァキアと国境を接する内陸国です。ボヘミア地方の中央を南から北へ流れるヴルタヴァ川が流れ、首都プラハはその川沿いのほぼ中心部に位置しています。実に中世そのままの街並みを現代に伝え、美しい、洗練されたマチです。第1次・第2次大戦の間には先進工業国として発展し、現在でも航空機、自動車などが盛んに生産されているという。国内には小麦畑やブドウ畑、古くから残る街並みや古城、また温泉地が小さな国土の中に多彩な景観をもつ国です。



 6/29(土)、今日はプラハへバスでの移動の日です。チケットは既に購入済み。ユーロライン社のバスターミナルは、ホテルのある西駅(Westbahnhof)から地下鉄U3に乗り、11番目のErdberg駅のすぐ近くにあります。13:00出発ですが、1時間前行動でバスターミナルに着き、昼食としました。12:30、キップを買った所で聞くと、「チェック」というカウンターがあるというので行ってみました。手続きを終え、バスに乗り込みました。

 ほぼ満席の乗客を載せ、13:00出発です。やはり、観光客が多いようです。ウィーンからプラハの半分以上は普通の道路を走り、3分の1が高速道路です。運転手は4時間休憩なしで、走り続けました。日本のバスの運転手はどうなっているかわかりませんが、自分だったら、2時間も走ったら眠気覚ましにブレークタイムを入れたいところです。外は、ブダペストからプラチスラヴァに移動したときのような風景がどんどん移り変わって行きます。











 何の施設かわかりません。遊園地のようでもあるしー。


 昔懐かしいサーカス小屋がありました。




 いくつかのマチの中を通過しますが、途中一切休憩なしです。






 16:50、予定より早く最終目的地、「フローレンツバスターミナル」に着きました。遠回りになるが、バスターミナルからヴルタヴァ川沿いに歩いてみることにしました。ヴルタヴァ川まで行くのに、こっちの方向でいいのですかーと、聞いてみました。一人の人は、途中まで付いてきて、「あの道の方がイイ」と教えてくれました。ヴルタヴァ川にでました。今にも雨の降りそうな曇天ですが、いい光景がいっぱいです。ホテルは目の前の橋から数え5番目の橋、「カルル橋」のすぐ近くです。河川は整備され、遊覧船の発着場がたくさんあり、観光客も大勢います。





 左が、私が数えだした1番目の橋。右は中洲の中にある建物。




2番目の橋








結婚式の写真撮りをしていました。






3番目の橋


 中心の教会はゴシック建築の「聖ヴィート大聖堂」です。




4番目の橋










この橋が5番目の「カルル橋」で、大勢の人が渡っていました。


 カルル橋前の教会入口で、こんな光景がー。




   ホテルはすぐわかり、スムーズにチェックイン。今回は旧市内のド真ん中です。手続きが終わり、「今日は何人宿泊しますか?」ー、「あなただけです」と。5人部屋に一人か、ラッキー!今日は気楽にゆっくり寝れそうです。テーブルがあるので一人占め。これでブログの効率も上がるか!?





内装したばかりで新鮮そのものでした。

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🅿‐125.ゴス下絵付四方皿 5点

2024-08-16 09:00:00 | 🅿My陶芸作品&手法

 今回の窯で染付四方皿が焼き上がりました。電動タタラ機で4mmの粘土板を石膏型に張り付け形を整えた後、ロクロで付高台を付けたものです。粘土は白信楽上、焼成は酸化焼成(1250℃、19.5時間)です。



 ① 染付四方皿    高4、17.5×17.5


 ②染付四方皿    高4、17.5×17.5


 ③染付四方皿    高4、17.5×17.5


 ④染付四方皿    高4、17.5×17.5


 ⑤染付四方皿    高4、17.5×17.5


ゴス下絵付は、今までも作成してきましたが、今回は土灰釉を掛けました。3号透明釉と比較すると、少しくすんだ色になって見えるかも知れません。ま、落ち着いた雰囲気になったかーとも。  

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🅿‐124.グアンチェ文様細長皿(小) 4点

2024-08-15 09:00:00 | 🅿My陶芸作品&手法

 4点電動タタラ機で4mmの粘土板を作り、石膏型に貼り付けて作った細長皿です。装飾は、ゴスでグアンチェ(ラス・パルマスにいた原住民)文様のアレンジです。粘土は白信楽粘  土、焼成は電気窯による酸化焼成(1250℃、19.5h)です。



 ①ゴスグアンチェ文様長皿(小)    H2.0、8.5×26.3


 ②ゴスグアンチェ文様長皿(小)    H2.0、8.5×26.3


 ③ゴスグアンチェ文様長皿(小)    H2.0、8.5×26.3




 ④ゴスグアンチェ文様長皿(小)    H2.0、8.5×26.3



 グアンチェ文様を陶板に描いた作品


 
 洞穴生活のグアンチェ族の住居跡 inスペインのラス・パルマス


 この細長い皿は、窯詰のときのすき間に置くために合理的な大きさです。なお、ゴスで描いた作品の釉掛けは、3号釉を使うことが多いのですが、今回は市販の土灰釉を使いましたが、ゴスの色も問題なく出ています。 

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🅿‐123.陶人形 1点

2024-08-14 09:00:00 | 🅿My陶芸作品&手法

 陶芸教室のとき、見本として一緒に作っていたMy陶人形です。今回は、新しく調合した伊羅保釉をコンプレッサー掛けしました。粘土は白信楽粘土、焼成は15KWの電気窯による酸化焼成(1,250℃、19.5時間)です。








 My陶人形       H28.5、底部径10.0


コンプレッサーの掛け方で濃淡ができ、表情の変化に期待できます。伊羅保釉は、薄掛けの場合は黄土色、厚掛けの場合は焦げ茶色になります。今後は、さらに動きのある人形作りにもチャレンジしたいと思いますがー。

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🅿‐122.下絵具各種文様小判型小鉢  13点

2024-08-13 09:00:00 | 🅿My陶芸作品&手法

 電動たたら機で5mm厚の粘土板をつくり、小判型小鉢石膏型で型起こししたものです。乾燥してから750℃で素焼きした後、アイヌ模様と木の葉の文様をゴス(下絵具)で描きました。粘土は白信楽粘土、釉薬は3号透明釉、焼成は酸化焼成(1250℃)です。



 小判型小鉢の石膏型




 下絵具各種文様小判型小鉢         H5、17.5×11


石膏型で作るメリットは、同じ形のものを効率よく作ることができます。とれわけ、平たい皿のようなものは、慣れるとすぐ作れますが、このように底の深いものを作るのには、それなりの工夫が必要です。彩色は、まず細い筆を使って、ゴスで骨描きし、その後、ダミ
筆を使って薄いゴスを塗る作業=ダミという手法で描いています。
  

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🅿‐121.ゴス下絵付あゆ皿 9点

2024-08-12 09:00:00 | 🅿My陶芸作品&手法

 ゴスで骨描き後、ダミをし、3号透明釉を掛け焼成した器です。粘土は信楽白粘土、焼成は酸化焼成(1250℃、19.5時間)です。



 ①ゴス下絵付あゆ皿      高1.1、25×10.5


 ②ゴス下絵付あゆ皿      高1.1、25×10.5

 ③ゴス下絵付あゆ皿      高1.1、25×10.5

 ④ゴス下絵付あゆ皿       高1.1、25×10.5

 ⑤ゴス下絵付あゆ皿       高1.1、25×10.5

 ⑥ゴス下絵付あゆ皿       高1.1、25×10.5

 ⑦ゴス下絵付あゆ皿       高1.1、25×10.5
 
 ⑧ゴス下絵付あゆ皿      高1.1、25×10.5

 
⑨ゴス下絵付あゆ皿      高1.1、25×10.5

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