一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

1⃣‐22. ブルガリア「ソフィア編」(10/10)~市内散策 6/13~17

2024-03-11 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 「ツァール・オスヴォボディテル通り」という通りは、美術館や博物館が並び、国会議事堂、アレクサンダル・ネスキー寺院など見どころいっぱいの通りです。

国立美術館。オスマン朝時代は市庁舎として使用。
 
聖ニコライロシア教会






 アレクサンダル ネフスキー教会


 国会議事堂


 解放記念像


ソフィア大学


 聖ソフィア教会


 公園で、蚤の市をしていました。時間は午後5時30分ころ偶然通りかかりました。お客さんもマバラで、もう閉店の準備をしていたところです。人がたくさんいれば、見ながらじっくり写真も撮れるのですがー。ざーと見てきましたが、あまり興味がそそられるようなものは見当たりませんでした。










  



聖ソフィア像。屋根が見える建物が聖ぺトカ地下教会。


 旧共産党本部 


 街並みの様子




 モスク(オスマン朝支配時代の名残り)

 以上でブルガリア「ソフィア編」を終わり、次はベオグラードへ移動するために立ち寄ったミラノの様子を載せます。  

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1⃣‐21. ブルガリア「ソフィア編」(9/10)~ソフィア中央駅へ 6/13~17

2024-03-10 07:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

  ホテルからソフィア中央駅・中央バスターミナル方面に行きました。駅は、市の中心から離れているので、他の都市と比べきっと不便かな?と。ソフィアの人は、それなりの交通機関を使って移動するのだから、そんな心配もいらないか。駅の近くに行くと、「カジノ」がありました。ヨーロッパはカジノは一般的か?




 これは「カジノ」です。







 中央バスセンター。国内外のバスが発着します。



 ソフィア中央駅の正面です。




 駅構内の様子です。なんとなく静かです。


 


 駅前は大規模に開発されていますが、やはり市の
中心から外れているためか活用されていません。




 2人の青年が警察にしつこく職務質問されています。
不法移民でしょうか?









 トロリー電車イロイロです。




また中心部に戻ってきました。 




 この人は、噴水の池を掃除をする担当職員です。




聖ゲオルギ教会です。4世紀にローマ帝国に
  よって建てられ、ソフィア最古の教会。
内部の壁や
天井には10~14Cに描かれた宗教画が見られます。


   


 バルカン半島で最も美しいと言われるアレクサンダル・
ネフスキー寺院。
収容人数5000人、高さ60m、12の黄
金のドームをもつネオ・ビザンツ様式の豪奢な寺院で
す。
1882年に着工し、完成まで40年もかかりました。



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1⃣‐20.ブルガリア「ソフィア編」(8/10)~結婚式の写真撮り 6/13~17

2024-03-09 07:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

  土・日に市内を歩いていると花嫁衣装を着た新郎・新婦が写真撮りのため、ポーズをとっている微笑ましい場面に遭遇することがあります。教会の前のこともありますし、それなりの施設の前です。プロのカメラマンは、アレコレ注文を付け記念写真を撮っています。人生最高の瞬間です。みんな笑顔いっぱいでポーズをとっています。私も邪魔にならないように注意しながら、頼まれないのに撮ってみました。





このメガネをかけている人が新郎なんだろうネ・・・?




お友だち5人はおそろいのドレスを着てー。

 







 たまたま4組のカップルの花嫁衣装をみましたが、基本的には共通しています。ショーウインドーの花嫁衣装も白が多く、若干色ものもありです。また、今回みた花嫁さんは、全員細くて、美人であることも共通しています。いわゆる「ブルガリア美人」です。日本の女性にも似たような人もー。この人たちも、子供を産み、年齢を重ねて行くと心身とも逞しくなっていくのだろうなアと。 ところで、花婿さんの存在感があまりありません。日本でも一般にそうか。まあ、あまり詮索しないことにー。このような場面は、心楽しくしてくれるのでイイですね。











 道端や公園などで咲いている花を撮ったものをまとめました。ほとんどは日本にもあるものばかりですがー。

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1⃣‐19.ブルガリア「ソフィア編」(7/10)~国立美術館&街角のバンドマン 6/13~17

2024-03-08 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 6/16(日)、例のドイツ人と会った後、ブルガリア国立美術館に行きました。薄黄色の建物は、オスマン朝時代に市庁舎として建てられ、解放後は王宮として使われたものという。中が美術館かどうかよくわからないので、確かめて入りました。チケット売り場も入ってすぐの所にはなく、ドアをノックし左側の部屋で買います。この美術館も期待した内容ではなく、点数も多くはありません。今日は、日曜日だというのに、入場者数が少ないのは納得です。



 





 

 

 

 

 

 ひとつだけよかったのは、「NO フラッシュ」で写真OKということです。久しぶりの館内撮影OKなので感動して写真を取り出しました。ところが時々あることですが、うっかりして、ホワイトバランス設定をはじめ室内用に切り替えていなく赤っぽい写真になりました。また、青っぽい写真は、室内用にセットしたまま太陽光で撮ったものです。以後要注意!と。



  ソフィア市内のメトロの入口や地下歩行空間では、個人・グループのバンドを演奏しています。この年配の2人のバンドは、言葉は全くわからなくても、とても哀愁に富んだ雰囲気で演奏しながら歌っていました。私としては大変気に入りましたので紹介します。

 どこかのバールやそれなりの場所などで、長年演奏しているグループでしょう。アコーデオンもギターも上手で、しかも大変呼吸が合っています。心に響く歌を聴くことができました。

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1⃣‐18.ブルガリア「ソフィア編」(6/10)~ソフィアのホテル 6/13~17

2024-03-07 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 ソフィアの予約したホテルは、朝食付です。まず、ダイニングルームと朝食の様子を紹介します。 このホテルは築百年以上の古い建物を改装したもので、特にダイニングルームは、むき出しの荒壁やレンガの様子、木材の扱い方、ライトアップの仕方など、素朴でユニークでした。 




ダイニングルームは地下です。手すりの感じ、
ライトの色への配慮などもイイ感じです。




むき出しのレンガの壁の前に朝食が準備されています。
ヨーグルトは美味しく、さすが本場!の味です。


パン、ジャム、バター、ソーセージ、チーズ、トマト、キュ
ウリ。
飲み物は、コーヒーはじめ各種お茶、牛乳もたっぷり。




天井や壁の様子もイイ感じです。



 次は、このホテルの施錠解除の方法です。鍵は旧式ですが、それに付いているタブに秘密があります。解錠の場合、下でコールして開けてもらうのが一般的でしたがー。








 左下の写真のようにそのタブを、下のだ円形の
部分に当てるとピー!として鍵が開くのです。

このホテルは、エアコンはありませんでしたが、風が通り暑さをあまり感じませんでした。また、主要道路から少し奥まっているので車などの騒音がほとんどなく快適でした。更には、市の中心部に近いことも、交通機関をあまり使わなく移動できたこともよかったと思いました。中・高級ホテルならこのような条件のホテルがたやすく選べるかと思います。私のように安い!ことも大きな要件のホテル選びに当たっては、イイ条件の方だったと思います。

 この日の夜、ホテル近くの広場でライブがあるという。まだ、明るい時間帯に夕食がてらその広場に行ってみました。完全に若者対象のライブらしく、若者以外の姿は全く見当たりません。ライブの開始時間までは待てそうもないし、夜の外出はひかえるようにしているので、若者が集まっている雰囲気だけでもーと動画で。

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1⃣‐17.ブルガリア「ソフィア編」(5/10)~リラの僧院 その3.奇遇な再会 6/13~17

2024-03-06 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 6/16(日)、朝から快晴の天気です。ソフィア滞在も3日目、最後の日です。ソフィア中央駅及び中央バスセンターに行き、またホテル近くを通り、美術館へ行こうと計画しました。駅まで地下鉄で2区間です。

 

 駅及びバスセンターを見て、来た道と1、2本隔てた電車通りを美術館に向けて歩きました。テーマは、カラフルな電車、バスなどを写真に撮ることです。リスボンの電車ほどではありませんが、レトロで懐かしさを感じます。時折、交差点などで電車の来るのを待ったり、音が聞こえたら振り向いて撮ったりといった感じで南に下がっていました。 
 ある小さな交差点で写真を撮っていました。その時です。信号が青になると、ショルダーバックを左肩にかけ、私を見ながら進んで来る人がいます。

 そう、リラの僧院の帰りのバスで会ったドイツ人なのです。僧院からリラ村までマイクロバスでしたが、リラ村で大型バスに乗り換えました。その間、ずーっと私たちと話していたのです(彼は途中のバス停で降りてしまいましたがー)。きっかけは、彼から私たちに英語で話しかけてきました。日本の文化や歴史、文学、日本人気質などについて大変造詣が深い!のです。日本に4回行ったことがあり、北は札幌、南は沖縄まで旅行しています。東京をはじめ、鎌倉、大阪、京都、成田などスイスイと地名がでてきます。文学では、三島由紀夫の世界に傾注し、切腹の話をしていました。関連し、日本兵がミンダナオ島で、最後は降伏しないで自害した話なども。スゴイ!「武士道」に心ひかれるようです。吉川英治の「宮本武蔵」は全巻呼んだとのこと。また大江健三郎氏のことも。 また、日本の習慣、食などもよく知っている、と感心したほどです。 

 2人で、感動の握手をし、お互いの再会を喜びあいました。彼曰く、「あの日途中でバスを降りたのは、家内を空港まで迎えに行ったのだ」と。駅近くのホテルにいること、今買物の帰りだなどなど。私の旅程の、明日ソフィアからベオグラードへ、ミラノ経由で行くことも覚えていてくれました。別れる時、彼日本語で「アリガトウ!」と。私は「ダンケ、ダンケシェーン!」と握手。ハブア ナイス トリップ!と声をかけ合いそれぞれの道をー。写真を、と考えました。呼び止めて正面から撮る必要はありません。私の心の思い出を少しでも長く持ち続けるためですからー。

 

 バスの中でズバリみんなの年齢を問われましたので、私も彼の歳を聞くと86歳。左足関節がイタイといっていたが、頭脳明晰、多言語明瞭、体の動きは緩慢になっているようですが、まだまだ元気で旅行ができることはすばらしいなあと思いました。この年齢は、第2次大戦で少年~青年時代、少年兵の経験もありヤ。私も彼と同年齢になっても、気力と体力を維持できたらなアと思いました。



 6/16(日)、6:00頃、夕食を食べに中心部に行きました。今日はデモがあるという。1か月前、ソフィアのデモのことが新聞に出ていました。ライブのやった広場を交通規制して場所にデモ隊が大勢集まってきていました。

 もちろん、私は遠くから観察するだけです。「君主危うきに近寄らず」で。周囲には、警察が要所要所にいますが、物々しくはありません。その国はその国の諸事情があって今日に至っているのですから何んともいえませんが、良い方向に改善・発展していくことを願うばかりです。

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1⃣‐16.ブルガリア「ソフィア編」(4/10)~リラの僧院 その2.内部の写真 6/13~17

2024-03-05 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

  今回の旅行で是非行きたかった「リラの僧院」に遂に来ることができました。市内から南に65kmにあるこの僧院は、ブルガリア正教の総本山と言うべき僧院とのことです。

 6/14、快晴の天気に恵まれ、絶好の写真日和ともなりました。手元の温度計で23℃。海抜1147mですから、日陰に入り風が吹くとヒンヤリします。ソフィア市内では30℃くらいかな?売店の売り子の人たちは、冬用のラックを着ているところを見ると朝夕はまだ冷えるナ。私も今回訪ねる場所で一番寒い場所対策として、薄手のダウンを持参してきましたが全く不要。ソフィア市内は積雪があり-20℃↓となることもあるとか(同行したソフィア大学の交換留学生の弁)。この場所は相当積雪もあり、寒さも厳しいことが考えられます。

 


 
本堂は撮影禁止。入口でもだめかな?


レリョの塔。1833年に火災があり、この塔だけが焼失を
免れ、14世紀建てられた当時の
姿で残っているという。高さ
 23m、壁の厚さは1.8m。1階はお土産やさんになっています。

 

 

 



 

  


僧院の反対側の出口です。ここには、売店やレストランのあるエリアです。










左は僧院の壁ですが、車がスムーズに交差できる
ようにしたのか、
削ってあるのが面白い光景です。

滞在時間2時間は短い気がしましたが、精力的に動いたのでもう一回り回れるほどでした。恐らくレストランで食事をする時間はないだろうと考え、自分特製のランチを用意してあったので、川のせせらぎを聞きながら心楽しいヒトトキを過ごすことができました。この僧院のデザインや色彩感覚は、何か私たち日本人にとって懐かしく、好きな色合いかと思います。これをヒントに、陶芸の加装・装飾に生かすとしたらどうしたらイイだろうか、と思いを巡らせました。 

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1⃣‐15. ブルガリア「ソフィア編」(3/10)~リラの僧院 その1.行き・帰り 6/13~17

2024-03-04 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 リラ修道院は、ブルガリア最大で最も著名な正教会の修道院です。「リラの聖ヨハネ修道院」、または「リラの僧院」とも言われています。修道院はリラ山脈の北西、海抜1147mの高さにあるリラ川の深い低地にあります。10Cに創設されたリラ修道院は、ブルガリアにおいて最も文化的、歴史的、建築学的に重要な遺跡の一つであると評価され、1983年世界文化遺産に登録されました。現在の形になったのは14Cで、時の王の庇護下で僧院文化が花開いたという。その後、ブルガリアは約500年間にわたってオスマン朝の支配下になります。その間、キリスト教の信仰をはじめブルガリア語の書物さえ制限されましたが、この僧院だけは黙認されたということです。1833年の大火災で建物のほとんどが燃えましたが、その後復旧され現在に至っています。 


  6/14(金)、ソフィアに着いて2日目、リラの僧院に行くことにしました。15・16日は連休になるのでバスが混んでいたらーとの心配からです。

 起床6:30、朝食8:00(朝食込み)、ホテル出発8:40。まず、大きな通りまで出てきました。トラムの5番に乗ってバスセンターに行くことまではわかるのですがー。ホテルの人に聞いても、タクシーで10レヴァ位で行けると聞いたので、はじめからその計画でいました。10:20発ですから時間は十分あります。流しているタクシーはすぐつかまりました。

 「オフチャ・クペル・バスセンター」は、 それほど大きくないスペースです。建物も古く、実にローカル線、といった感じです。 さて、どのバスか?誰に聞いたら英語が通じ、的確に応えてくれるかー。大型バスに乗客が乗っていてこれから出発しそうな運転手に聞くことにしました。「あそこの人に聞きなさいー」と、指を指して教えてくれました。彼は英語ができ、リラ行きバスの運転手で、「7番にバスが来るから待つように」と。ひとまず安心、リラ行きがより現実味を帯びてきました。




 日本人の一人旅らしい青年がやってきたので声掛けをし、すぐ親しく情報交換です。更に、同席になったこともあり、久しぶりの日本語を使ってたっぷり話し合いました。




 バスに乗り込みます。大きなバスが来るかと思いキア20数名が乗れるミニバスです。乗れない人が5~6名いました。満席になったので予定時間より少し早く出発しました。




右の写真はピンボケ(距離をマニュアルになったま
までー)ですが、貴重なショットなので採用!




 リラ村までの途中は丘陵地帯が多くこんな雰囲気です。




リラ村でこれまた長い休憩です。アジサイやラベ
ンダの花の開花は北海道と同じ季節かナ。

 


 リラ村→ 僧院へ。この区間は道路はあまりよくありませんが、ソフィアからリラ村は問題なしです。さあ、帰りのバス午後3時まで約2時間、見学開始です。


リラ僧院の写真は大量なので今回は3コマのみ

以下、バスセンターからの帰り方を紹介しておきたいと思います。
 


 トラム5番で来た埼玉県出身のM氏に、トラムの乗り方を伝授!してもらいました。バスセンターのすぐ近くにトラム5番の停留所があります。老婆心ながら、帰りの方向はバスセンターを背にして左側です。道路を渡って向こう側の電車に乗ります。





この写真はトラムの停留所から撮っています。
右の写真の中央の建物がスーパー345で、

その裏手がバスセンターです。
左の写真は道路を挟んで左の角地の建物です。




その周辺の様子です。

  


1レヴァを握って乗ると車掌さんがいて、コインを料金箱に入れます。
乗ること20分位か。「聖ネデリャ教会」近くの終着停留所で降ります。



 まあ、もちろんのこと行きはその逆のバージョンでトライするということになります。やはり、1レヴァはダントツに安い。リラの僧院に行く時は参考にしてください。


 実は、日本を出発前、バスセンターまでの行き方をブログや案内書で調べましたが、なかなかイメージがつかめないでいました。これをコピーして持って行けば間違いなしです。


時間も6:30過ぎだったしょうか、意気投合してM氏と一人旅同士私のホテルの近くのレストランで夕食会としました。地元料理を食べたいネ、をテーマに。 まずは、地元?だと思うビールで無事日帰りリラツアーに乾杯!。and、これからのナイス・トリップに。このビールの味、イイ感じでした。「一期一会」に感謝してー。 





 この他に、トマトとパセリのサラダも。食べることに集中すると写真、忘れる事ありですネ。これを一人全部食べたのでなく、2人でシェアしました。味付けもよく、とても美味しく食べました。満足、満足・・・。彼の旅程が私がワルシャワを訪問しているのと重なりそうなので、「遭えたらイイね」と、別れました。今日はイイ出会いと、旅ならではのイイ体験満載の1日になりました。

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1⃣‐14. ブルガリア「ソフィア編」(2/10)~聖ネデリャ教会 6/13~17

2024-03-03 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 聖ネデリャ教会は、ホテルの近くのすぐのヴェタ・ネデリャ広場に建つ石造りのブルガリア正教の教会です。なかなか重厚な感じの教会です。聖堂の初期の歴史は、大部分が謎に包まれているいるようです。約10世紀に建築されたとされ、市内にある他のほとんどの教会と違い石造の基礎と木造建築。この木造建築は19世紀半ばまで依然木造のままでした。


 1460年頃、セルビア王の遺品がブルガリアまで運ばれ、18世紀に司祭達の住居となる聖ネデリャ教会に移されるまでに様々な教会や修道院に保管されました。移された遺品の数々はその後も一定の期間まで教会に保管され、また教会自体も19世紀後半から20世紀初頭にかけて「聖キング」という別称を獲得しました。1856年、以前の建物は空間をより大きくし聖堂をより威圧的にする目的で取り壊されました。その後、同年夏に奥行き35.5m、幅19mの教会の建設を開始。まだ完成していなかった建物は1858年に地震の被害に見舞われ、結果的にそれが建設工事を遅らせ、完成が1863年まで延期となったということです。教会は1898年にドーム(丸屋根)状の建物を加えられて改築されました。


 1925年にブルガリア共産党による聖ネデリャ教会襲撃事件によって倒壊し、150人を超える人命が奪われました。襲撃後、1927年夏から1933年の間に教会は元の近代的外観へと修復。これはほとんど新築されたようなものとなり、長さ30m・幅15m50㎝、そして教会の特色である中央丸屋根のドーム部分は高さが31mもの高さになりました。また、戦争などで爆撃を免れた金箔の聖像が教会へと返還されました。 




聖ネデリャ教会襲撃事件で破壊される前の教会(1922年)







  


 夕方(19:30頃)散歩・食事に行ったとき撮った 教会内部の様子です。









かっては木造の小さな教会でしたが、オスマン朝からの解放後、周辺にあった教会や神学校を集めて造られ、このように巨大な教会になったようです。

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1⃣‐13.ブルガリア「ソフィア編」1/10)~ソフィアへの移動日 6/13~17

2024-03-02 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 ブルガリアといえば、日本ではヨーグルトの産地として有名ですね。それ以外に、バラのエッセンシャル・オイルは世界の70%を生産しているという。バルカン半島の要地であるこの地は、常に異民族の干渉を受け、オスマン朝には14C後半から約500年間も支配を受け続けていました。現在でもトルコ系住民も多く、イスラム寺院と教会が立ち並ぶというような異文化が混在した独特な雰囲気があります。国土の中央にはバルカン山脈が横たわり、山と丘陵に富んでいます。

 
 ソフィアは、ブルガリアの首都で人口は135万人程です。ヴィトシャ山のふもとに位置し、ブルガリアの政治・経済・文化・教育の中心地です。ヨーロッパ最古の都市の一つであり、その歴史は7千年以上に及びます。有史以前の集落跡が現在のソフィアの中心や王宮の付近、オベリャ、スラティナなどで見つかっています。トラキア人が最も重要視していた、鉱泉の周囲に町を築いた紀元前7世紀にさかのぼる城壁はよいコンディションで保存されています。その鉱泉は現在も湧水があるということです。時代の変遷とともに幾つかの異なる名前で呼ばれてきたソフィアの数千年にわたる歴史の痕跡は、今日でもその一部を見ることができます。 

 6/13(木)、5時に設定してあったアラームが鳴る前に起床。外は、少し明るくなり、近くを通るトロリーバスをはじめ、車の騒音がだんだん大きくなります。気温24℃、昨夜は雷雨でしたが、今朝は快晴です。イイ1日になりますように。
 5:40、ガラ・デ・ノルド駅のバス停に行きましたが、空港へ行く乗客はいません。バスは5時から動いているし、停留所の場所も地図と現場確認済みです。1組の若いカップルが小さなスーツケースを引いてやってきたので一安心です。5:45、空港から乗ってきた「280番」がやってきました。ちょっと感動!です。空港へは35分で着き、チェックカウンターに行き手続き完了です。空港は意外に大勢の人たちで朝から活気があります。朝だからかも知れません。セキュリティ検査も無事通過し、1時間の待ち時間です。やることがあります。現在約20レイほど残っています。何買おうか⁉



 
水8レイ+OREO(ビスケット)5レイ
+TUC(クラッカー)6レイ=19レイ也 



 オトペニ空8::20発、タロム・ルーマニア航空RO239便は双発のプロペラ機です。この「ターボブロックATR42型」に乗るのは初めてです。機内が狭いが、騒音はそれほどでなく、「安定しているナ」と感じました。 

 






 朝の早い便ということで、サンドウィッチなどの軽食付




 ソフィア国際空港に着きました。曇天で肌寒さを感じるほどでした。 バス停で「84番」を待ち、市内に向かいます。






耳に鑑札を付けた犬が放し飼いにー


一人の青年にバスに乗る直前に、「キップはどこで買うのか?」と尋ねてみました。空港内のバスチケット売り場で買うという。運転手からキップを買うことができないと。即座に彼は自分の回数券らしいものを出し、私にくれるという。私がキップ代を払うといってもいらないと。こんなときどのように対応すべきか当惑しました。市内近くなると彼は降りるという。丁寧にお礼はいったものの、なんとテレくさいものか⁉ 初っ端からこんなことがあり、いっぺんにブルガリアファンになりました。

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