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1⃣‐14. ブルガリア「ソフィア編」(2/10)~聖ネデリャ教会 6/13~17

2024-03-03 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 聖ネデリャ教会は、ホテルの近くのすぐのヴェタ・ネデリャ広場に建つ石造りのブルガリア正教の教会です。なかなか重厚な感じの教会です。聖堂の初期の歴史は、大部分が謎に包まれているいるようです。約10世紀に建築されたとされ、市内にある他のほとんどの教会と違い石造の基礎と木造建築。この木造建築は19世紀半ばまで依然木造のままでした。


 1460年頃、セルビア王の遺品がブルガリアまで運ばれ、18世紀に司祭達の住居となる聖ネデリャ教会に移されるまでに様々な教会や修道院に保管されました。移された遺品の数々はその後も一定の期間まで教会に保管され、また教会自体も19世紀後半から20世紀初頭にかけて「聖キング」という別称を獲得しました。1856年、以前の建物は空間をより大きくし聖堂をより威圧的にする目的で取り壊されました。その後、同年夏に奥行き35.5m、幅19mの教会の建設を開始。まだ完成していなかった建物は1858年に地震の被害に見舞われ、結果的にそれが建設工事を遅らせ、完成が1863年まで延期となったということです。教会は1898年にドーム(丸屋根)状の建物を加えられて改築されました。


 1925年にブルガリア共産党による聖ネデリャ教会襲撃事件によって倒壊し、150人を超える人命が奪われました。襲撃後、1927年夏から1933年の間に教会は元の近代的外観へと修復。これはほとんど新築されたようなものとなり、長さ30m・幅15m50㎝、そして教会の特色である中央丸屋根のドーム部分は高さが31mもの高さになりました。また、戦争などで爆撃を免れた金箔の聖像が教会へと返還されました。 




聖ネデリャ教会襲撃事件で破壊される前の教会(1922年)







  


 夕方(19:30頃)散歩・食事に行ったとき撮った 教会内部の様子です。









かっては木造の小さな教会でしたが、オスマン朝からの解放後、周辺にあった教会や神学校を集めて造られ、このように巨大な教会になったようです。


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