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グラハム・ハンコックの「創世の守護神」という、9年前に書かれた本を今手にしている。
この本によるとピラミッドとスフインクスは、10500年前に造られたとほぼ確定的な証拠を提示しつつ、語っている。
それは天文学と地質学などの異なる分野から明らかにされることであり、歴史学、特にエジプト学者は頑なに、それを拒んでいる。
ピラミッドの時代に鉄が出るはずない!
そんな時代に文明があるはずがない!
どんな証拠も彼らの信念を変えることはできないし、そのためには証拠を隠滅すらする。
彼らはそれで生活しているのであり、既に確定した彼らの考えが覆ることは、生活(精神・経済・習慣を含む)を脅かすことでもある。
故に、それは既に学問ではなく、彼らの生活を支え、生活に根ざした宗教となっている。
であるから、間違いであろうが、何であろうが断固として認めるわけにはいかないのであり、不都合な意見や見解、証拠は断固として排除されなければならないのである。
さて、翻って、我々の周辺をみると、ぁあ~、こうした宗教化現象は沢山あるではないか。
例えば、UFOの話をしようじゃないか。UFOについては国家機密であり、語る者はアホ扱いだが、見た者は世界に山ほどおり、ブラジルの大統領ですら認めている。むしろ、真実でないという方がおかしいことは確かなのだが・・・。
しかし、かの国では学問的に取り扱われず、否定され、アホ扱いされるのが現状だ。
相当昔の話になるが、日本航空の機長がUFOを確認し、それを話してしまった(新聞に掲載された)ばかりに、降格された話は有名である。
見たものを見たと正直に話せない社会、それが我々の社会の現実であるし、必要とあれば、村八分、証拠隠滅、所属組織からのパージということにもなる。
組織が大きくなるほど無言の規律、見えない監視がなされ、個々人を縛りつけていくのである。
もし、あなたが”私は無宗教です”というなら、”あなたが生きている証となっている何ものか”を直視してみて欲しい。
あなたは知らず知らずのうちに、何ものかを信じ生きているはずだ。もし、そうでないなら、あなたの”心”にはポッカリと穴が開いてるはずだ。
あなたが信じる何ものかが、今、現在のあなたの神であり、宗教を形作るものである。
私はあきあこ氏のブログ(反学会と学会の友好的場?)を見てて感じるのだが、学会員を批判するその矛先は、常にわが身に向かっていることを覚えておいて欲しいと思う。
創価学会のありようは、単に日本社会のありようであり、それが宗教という形をとっているが故に、忌み嫌われているだけであるのかも知れない。
単なる経済行為を行う組織体であり、末端信者はボランティア、営業マン、かつ消費者であるとすると、生協組織と何が違うのだろうか?
今日は、第3弾目だから、疲れた。 散歩に行くとしよう。
今日の話は、また、改めて話すとしょう。では、また明日。
グラハム・ハンコックの「創世の守護神」という、9年前に書かれた本を今手にしている。
この本によるとピラミッドとスフインクスは、10500年前に造られたとほぼ確定的な証拠を提示しつつ、語っている。
それは天文学と地質学などの異なる分野から明らかにされることであり、歴史学、特にエジプト学者は頑なに、それを拒んでいる。
ピラミッドの時代に鉄が出るはずない!
そんな時代に文明があるはずがない!
どんな証拠も彼らの信念を変えることはできないし、そのためには証拠を隠滅すらする。
彼らはそれで生活しているのであり、既に確定した彼らの考えが覆ることは、生活(精神・経済・習慣を含む)を脅かすことでもある。
故に、それは既に学問ではなく、彼らの生活を支え、生活に根ざした宗教となっている。
であるから、間違いであろうが、何であろうが断固として認めるわけにはいかないのであり、不都合な意見や見解、証拠は断固として排除されなければならないのである。
さて、翻って、我々の周辺をみると、ぁあ~、こうした宗教化現象は沢山あるではないか。
例えば、UFOの話をしようじゃないか。UFOについては国家機密であり、語る者はアホ扱いだが、見た者は世界に山ほどおり、ブラジルの大統領ですら認めている。むしろ、真実でないという方がおかしいことは確かなのだが・・・。
しかし、かの国では学問的に取り扱われず、否定され、アホ扱いされるのが現状だ。
相当昔の話になるが、日本航空の機長がUFOを確認し、それを話してしまった(新聞に掲載された)ばかりに、降格された話は有名である。
見たものを見たと正直に話せない社会、それが我々の社会の現実であるし、必要とあれば、村八分、証拠隠滅、所属組織からのパージということにもなる。
組織が大きくなるほど無言の規律、見えない監視がなされ、個々人を縛りつけていくのである。
もし、あなたが”私は無宗教です”というなら、”あなたが生きている証となっている何ものか”を直視してみて欲しい。
あなたは知らず知らずのうちに、何ものかを信じ生きているはずだ。もし、そうでないなら、あなたの”心”にはポッカリと穴が開いてるはずだ。
あなたが信じる何ものかが、今、現在のあなたの神であり、宗教を形作るものである。
私はあきあこ氏のブログ(反学会と学会の友好的場?)を見てて感じるのだが、学会員を批判するその矛先は、常にわが身に向かっていることを覚えておいて欲しいと思う。
創価学会のありようは、単に日本社会のありようであり、それが宗教という形をとっているが故に、忌み嫌われているだけであるのかも知れない。
単なる経済行為を行う組織体であり、末端信者はボランティア、営業マン、かつ消費者であるとすると、生協組織と何が違うのだろうか?
今日は、第3弾目だから、疲れた。 散歩に行くとしよう。
今日の話は、また、改めて話すとしょう。では、また明日。
逸脱した団体です。
宗教とは又別問題です。
あきあこさんのプログの参加者である
絶叫アンチあややでぇす!!
わからんでもないですが、<昔は→><←今>、顔が泣いてます。
私も良い団体だとは思っていませんが、ベクトルの向きが変っただけの生き方から早めに抜けられるといいなぁ~、と思います。まだまだ、時間がかかるのかも知れませんね。
私が言いたいことは、学会という組織の持つ<負>の部分はその辺にごろごろしてて、たまたま学会のように<増大した負>になってないだけのように思うからです。
注意しないとアンチの<負>に落ちかねない部分があるかも知れないと感じる訳です。
正義の戦争、戦いがいつの間にか、悪魔の戦い、集団に脱することは多々あったことですからね。
ふと、そのことが気になりました。
まぁ、自分で掘った落とし穴に、落ちないよう注意しましょうということかな。