オーソレ、何それ?

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戦国時代の弓矢の使い手

2005-03-28 00:01:46 | 戦国時代
戦国時代には数多くの武将・豪傑が様々な業物を振るって戦場を縦横無尽に駆け抜け、その名を馳せた。

その「様々な業物」のうち、戦国時代にはメジャーどころで「弓矢の使い手」が見当たらないところに気がついた。槍などでは本多忠勝、前田慶次郎などメジャーな使い手に容易に当たることができるのだが。また、他の時代であれば平安時代の藤原秀郷、源為朝、源平の那須与一、そして南北朝時代の足助重範といった弓矢の使い手が数多くいる。

しいて言えば徳川家康の家臣、内藤家長が弓の名手である。家長の使った弓はとくに強いものであったらしく、徳川家康が武田側の二俣城を攻撃した際、家長の矢に倒れるものが多く、守将の依田信蕃は家長の矢を射返して矢文でこの矢を射るものは誰であるかと聞いてきている。家長は関が原の合戦の折、鳥居元忠と共に伏見城を守り、西軍の攻撃を一手に受けたが敢闘空しく伏見城は落城し、そのとき自害した。

戦国時代に弓矢の名手が少ない理由は、この時代の戦闘がそれまでより大規模となり、弓矢の威力が相対的に低下したこと、更に「飛び道具」として同じ系統の新兵器として鉄砲が台頭したことが考えられる。織田・徳川連合軍の鉄砲部隊が最強と謳われた武田騎馬軍団を撃破した長篠の合戦が示すとおり「鉄砲を制するものが戦を制する」時代へと移り変わっていった。弓矢には源平の「那須与一の扇の的」の逸話のように戦場にも優雅さを醸しだす風情があるのだが、時代の流れだろうか。

もっとも「戦国時代に弓矢の使い手が少ない」というのも私が知らないだけなのかもしれません。ご存知の方がいらっしゃれば、ご教示頂ければ幸いです。

ちなみに空想上の人物を含めた私が選ぶ最強の弓矢の使い手は中つ国代表のレゴラス(ロード・オブ・ザ・リング)です。あの素早い身のこなしから速射砲のように矢を放つなんて信じられません(だからフィクションの世界なのですが)。

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11 コメント

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名もなき名手 (U-1)
2005-03-28 22:58:46
弓は、中世よりも、平安時代以前に活躍した兵器のように思えます。

東北地方の古代の「反乱」では、蝦夷側が、馬上から正確に、短矢を射掛けて政府軍を悩ませます。



迎え撃つ「政府軍」側は、城柵の櫓に、大型の弩を据え付けて、防戦しますが、10世紀ころには、撤退を余儀なくさせられようです。



当時の弩は、メートル級の矢を飛ばす、かなり大型の兵器であったようです。

映画『マッドマックス』の世界です(^^+
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古の兵器 (o_sole_mio)
2005-03-28 23:47:50
U-1さん、コメントありがとうございます。



確かに有名な弓矢の使い手は日本では平安時代に多いように平安時代以前に活躍した兵器だと思います。



また弓矢は中国でも三国志や項羽と劉邦の時代にも活躍していましたね。弩もその時代に活躍した(確か、劉邦は弩で重傷を負ったと思います。)と思います。
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Unknown (まさくに)
2005-03-29 12:18:24
日本の武将で弓使いの有名人がいないのは、きっといいエピソードが無いからではないのでしょうか。何となく離れたところから狙い撃ち、ってイメージで卑怯な感じがするのも、日本人に好まれないのかもしれません。しかしながら、武芸の披露や伝統行事での弓を考えると、やや「見世物」的ではありますが神聖な意味合いを持たせていたような気もします。



「もののけ姫」でもアシタカが弓で敵を倒すシーンがあるのですが(子供には、割と残虐なシーンです)、馬上からすばやく弓を射るのは難しいが華やかです。



三国志に出てくる黄忠(『苦肉の策』を残しました)は弓の名手として有名です。ウイリアムテルの如く、城郭の上から、はるか離れた敵将の兜の飾りを射抜くとか伝説的なエピソードがあります。そういう話があれば長く語り継がれるのでしょうか。
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弓の逸話 (o_sole_mio)
2005-03-29 23:08:56
まさくにさん、コメントありがとうございます。



弓の逸話といえば、調べればあるとは思いますが、ぱっと思い浮かぶのは那須与一の「扇の的」で、それ以外に思いつきません。



三国志にも弓の名手は出てきますね。黄忠の逸話は、武士道、騎士道精神に通じるものがあり、人の心に残るのだと思います。そういえば三国志史上最強と言われる呂布も弓の名手で、弓の腕を利用して劉備と紀霊の間を取り持とうとした逸話がありますね。
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弓取り (あおれん)
2005-03-31 19:44:17
戦国時代で言えば、

六角義治が有名ですね。

(出展:信長の野望←おいおい)

豊臣秀頼の弓の師範だったそうです。





そういえば、

グレムリンのギズモも

ランボーの真似して

火矢を放ってました。





ちなみに

苦肉の策は黄忠さんではなく

黄蓋さんですね。
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六角義治 (o_sole_mio)
2005-03-31 22:48:05
あおれんさん、コメントありがとうございます。



六角義治も豊臣秀頼の弓術師範だったそうですね。六角氏といえば、佐々木源氏の流れを汲む南近江の大名家ですが、義治の代で終わらせてしまったようですね。
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Unknown (鎮西八郎)
2005-05-04 11:04:35
やはり日本史上最も強かった弓の名人と言えば源為朝だと思います。あれほどの強弓を使えた武将は世界各国を探してもそうはいないのではないでしょうか。
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源為朝 (o_sole_mio)
2005-05-04 23:53:15
鎮西八郎さん、コメントありがとうございました。



源為朝は日本史上屈指の豪傑だと思います。戦場での個人的戦闘力では源氏最強で、その巨体や迫力から、保元物語などでは中国の英雄項羽になぞらえたような表現が用いられていますね。



その活躍が、馬琴の「椿説弓張月」といった小説や琉球で王になったという伝説になったのだと思います。
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そんな事はなく~ (ベタ藤原)
2005-05-06 21:38:57
 大井篤で検索していて、このブログに辿り着いた、ベタ藤原と云う物です。 ども。



>「戦国時代に弓矢の使い手が少ない」

 これは、弓が雑兵たちによって集団で使われるようになり、いわゆる「使い手(=名手)」を必要としなくなった点が大きいでしょう。



 戦国時代の軍忠状を元にして出した負傷率で言えば、弓矢によるものがダントツです。 あの長篠の合戦に於いても弓矢によって負傷したモノが多かったといいます。



 
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質より量 (o_sole_mio)
2005-05-06 22:37:46
ベタ藤原さん、初めまして。コメントありがとうございます。



なるほど、当時は調達できる鉄砲には限りがあるでしょうから戦闘が大規模になるとやはり飛び道具としての弓矢の存在はまだまだ必要なわけですね。



しかしながら戦国時代の弓矢は質より量になったということで、槍の使い手はたくさんいるのに弓矢の名手がこの時代少ないのは寂しい気がします。



今後ともよろしくお願い致します。
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