オーソレ、何それ?

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築城400年と招き猫

2007-11-11 23:29:13 | 戦国時代
日曜日に彦根城に行ってきました。彦根城では今年築400周年を迎え、記念イベントが行われていました。

1600年の関が原の合戦に勝利し江戸幕府を開いた徳川家康は、西軍の総大将石田三成の旧領であり、中山道と北陸の交通の要衝で関が原を背後に控えるこの地に、徳川四天王の一人井伊直政を配置しました。井伊直政は徳川四天王の中でも家康の信頼の厚い人物で、武具を赤塗りでそろえた井伊軍団は「井伊の赤備え」として徳川家の精強部隊として知られていました。井伊直政は三成の居城であった佐和山城に入場したものの、佐和山城が徳川にとって賊将である三成の居城であることから、佐和山城を廃し、新城の建築をすぐに計画しました。しかし直政は関が原の合戦の際に受けた傷が原因で1602年に亡くなると、息子の直孝が父直政の遺志を継ぎ彦根に新城を築城し、丁度400年前の1607年に天守閣が完成し、入城を果たしました。

その後明治維新まで彦根城主は井伊氏が務めることになりますが、最も有名なのは第15代彦根藩主の井伊直弼(1815~1860)でしょう。幕末の動乱期に徳川幕府の大老も務め、開国を決断し、日米和親条約を締結する一方で、開国に反対する尊皇攘夷派に対しては強硬な姿勢で臨み、吉田松陰や橋本佐内など尊皇攘夷の指導者を刑死させただけでなく、数多くの幕府重臣を処罰しました。井伊直弼は安政の大獄の遺恨から水戸藩浪士によって桜田門外の変によって暗殺されました。

その後、天守閣は取り壊しや空襲を免れ現在まで当時の姿を留めています。さらに彦根城そのものが近隣の城郭の遺構を転用した城で、天守閣は大津城の資材を使用しています。従ってその資材に関して言えば更に時代が遡るものと言えます。

400年ということでいろいろなイベントが行われていたようですが、その一つが招き猫に関する展示でした。招き猫の由来となっているとされる逸話に以下のようなものがあります。彦根藩2代藩主の直孝が井伊家の菩提寺である豪徳寺の近くを通りかかったとき猫が手招きをしたため、お寺に入ったところ丁度激しい雷雨が降りだし落雷の難を逃れたというものです。そのため彦根城の近くには招き猫を中心とした猫グッズ専門店がありました。また城内でも400周年記念として様々な招き猫(一番の変り種は「招き東国原知事」でしょう)の展示や由来の紹介が行われていました。ちなみに招き猫は右手で招くものと左手で招くものがあり、右手がお金を、左手が人(お客)を招くそうです。

彦根城築城400年周年の記念イベントは今月25日まで、それまでいろいろな催し物が行われるそうです。

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2 コメント

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ヒコニャンですか! (ミュジニー)
2007-11-12 21:36:37
まねき猫にはそんな逸話があるんですね、初耳です!
築400年ですか...
中にも入れるんですね。
良いなあ、歴史を感じましたか???
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ヒコニャンだらけでした (o_sole_mio)
2007-11-12 23:15:20
ヒコニャンは、城の売店は言うに及ばず高速道路のサービスエリアでもグッズが販売されていました。彦根城の周辺にヒコニャンの着ぐるみが出没しているという情報がありましたが、残念ながら遭遇しませんでした。

ヒコニャンは彦根のヒコと招き猫の逸話から創作されたそうです。招き猫の由来は諸説あり、その中の一つが井伊直孝を救った猫の話です。

彦根城の天守閣は江戸時代当時のまま残っており中に入ることもできます。頂上に上ると城下を見下ろすことができて殿様気分が味わえますね。
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