オーソレ、何それ?

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適当に書きつづります。

京都の紅葉散策:寧々所縁の紅葉寺

2006-11-25 21:55:17 | 戦国時代
京都の紅葉がピークを迎えましたので、家族で京都へ行ってきました。

阪急電車で京都河原町まで行き、そこから徒歩で円山公園へ。阪急電車は通勤ラッシュ並みの混雑で、四条通りも人通りでごった返していました。円山公園の池の周りにはモミジが見事に色づいていました(写真上)。

円山公園を南に下がり、豊臣秀吉の妻寧々が開いた高台寺にも行きました。寧々は夫秀吉の死後出家し高台院を号し、菩提を弔うため1606年にこのお寺を開きましたが、当時の遺構が残っており国の重要文化財に指定されています。このお寺には陣羽織や馬印など秀吉ゆかりの品が保存、展示されていました。また秀吉の肖像画や像も展示され、秀吉と同様学校で「サル」と呼ばれている娘は興味深そうに秀吉像を眺めていました(秀吉にあやかって出世しておくれ・・・)。

ちなみに寧々は杉原氏の出身で、兄の家定も秀吉と同様木下を名乗ります。木下家定の5男は秀吉の養子となった後、小早川家に入った小早川秀秋です。関が原の合戦後、備前・美作57万石の太守となりますがほどなく世を去ります。父木下家定は、実子である秀秋が封じられた備前のすぐ隣の備中足守2万5千石の所領を得、木下家は幕末まで足守と豊後の日出で存続します。木下家の祖と言える木下家定夫婦の像も高台寺に安置されています。寧々(高台院)は大坂の役の豊臣家滅亡を見届け、この世を去ったのは1624年、元禄の世に入ってからでした。

高台寺のモミジも色づいていました。特に臥龍池を取り巻くようにあるモミジの木々が見事でした(写真下)。



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