オーソレ、何それ?

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適当に書きつづります。

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戦国時代を生きた三姉妹の激動の生涯

2007-07-19 00:04:16 | 戦国時代
娘が社会の授業で、戦国時代の天下人、信長、秀吉、家康の家系がつながっていることを習ったそうです。豊臣と徳川の家系には織田家の血を継いだ「三姉妹」が深く関わっています。

その三姉妹とは、近江の戦国武将、浅井(あざい)長政と織田信長の妹で戦国時代屈指の美女の誉れが高いお市の方の間に生まれた、お茶々、お初、お督です。この三姉妹は織田家の血を引いています。お市が浅井長政に嫁したのは信長の近江平定のための布石であり、典型的な政略結婚と言われています。しかしながら長政とお市の夫婦仲は極めてよく、二人の容姿も手伝って「戦国のベストカップル」であったかもしれません。しかし、浅井家は織田家の同盟を破棄し、義兄の信長に叛旗を翻します。これは浅井家の古くからの盟友関係にあった越前の朝倉氏を信長が無断に攻めたためと言われています。そして浅井・朝倉連合軍は織田・徳川連合軍との姉川の合戦に敗れ、やがて小谷城は落城し長政は自害します。浅井家の滅亡によりお市と三姉妹は織田家に引き取られます。

しかしながら戦国の世は更に激動の度合いを増して行きます。織田信長は、天下統一を目前にして、本能寺の変で家臣の明智光秀に討たれ、その明智光秀も羽柴秀吉に天王山で破れます。世の流れが秀吉に向かう中、お市は織田家の重臣柴田勝家に再嫁します。三姉妹も母のお市と共に越前へと向かいます。しかし、ポスト信長の地位を確かなものにした秀吉と対立する勝家は、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、その後羽柴軍に攻め込まれて自害します。この時お市の方は勝家とともに自害しました。一説によるとお市の方は、成り上がり者の秀吉を毛嫌いしており、秀吉の側室になることを拒み自害を選んだとも言われています。

実母と義父を落城により失った三姉妹は、「仇敵」である秀吉の庇護を受けることになります。そして三姉妹は成長し嫁いでいきます。長女の茶々は時の人である秀吉の側室となり、山城の国の淀城を与えられ淀の方(当時は「淀殿」や「淀君」とは呼ばれていなかったようです)と呼ばれるようになります。次女のお初は京極高次に嫁ぎます。三女のお督は佐治一成に嫁いだ後離縁、その羽柴秀勝再婚し死別、三人目の夫が後に2代将軍となる徳川秀忠でした。長女の淀の方は秀吉の嫡男である秀頼の母となります。ところが更に運命はこの三姉妹に過酷な運命を与えます。淀の方の夫秀吉が亡くなると五大老の筆頭徳川家康が台頭します。その後家康と豊臣方は1600年に関が原で激突します。家康がこの合戦に勝利した結果、秀頼は天下人から一大名へと追いやられます。時代が豊臣から徳川へ移る中、淀の方は息子秀頼を支え、豊臣家のプライドをかけて家康と対立しますが、ついに1615年、難攻不落といわれた大阪城が落城、淀の方は秀頼とともに自害したと言われます。

淀の方が対立した徳川には、秀忠に嫁した妹のお督がいます。大阪の役では、夫京極高次を亡くして出家し、常高院と名乗った次女のお初が和睦に尽力したと言われています。子供の頃仲のよかった三姉妹には余りも苛酷な運命だと言えます。お督は2代将軍秀忠との間に、三代将軍家光を初め三男五女に恵まれます。長女の千姫は、姉淀の方の息子豊臣秀頼に嫁いでいます。こうした姻戚にありながら、徳川と豊臣は戦いを避けることができませんでした。大阪城落城の際千姫は救出され、夫秀頼や義母であり伯母の淀の方と運命を共にすることはありませんでした。また、お督の五女の和子は後水尾天皇の中宮になっています。織田、豊臣、徳川を結ぶ家族の輪はなんと天皇家まで及んだわけです。お督は嫡男の家光よりも次男の忠長の方を可愛がったといわれています。家光が幼少のころ病弱だった(疱瘡を患い生死の境をさまよったとも言われています)ためと言われていますが、一説によると忠長はお督の伯父である織田信長に良く似ていたためとも言われています。これが本当だとすると徳川の世継ぎ争いにまで織田信長が影響したということで、これは血がなせる業なのでしょうか。
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7 コメント

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お茶茶しか知りません (ミュジニー)
2007-07-20 21:18:16
なるほど、そんなドラマがあったとは勉強になります。
そういえば、以前、徳川家家系図をネタにしたんですが11代将軍は凄かったですね(笑)

偶然ながら(?)明日は伝通院に行こうかと思ってます。
余力があれば麟祥院にも...
三姉妹だったんです (o_sole_mio)
2007-07-20 23:39:21
この3姉妹は戦国時代を象徴する女性たちだと思います。
徳川家斉は子だくさん将軍として有名ですね。
昔の大名は嗣子がいないと改易でしたから子作り=サバイバルだったようですが、
将軍は関係ないし何より度が過ぎますね。

東京には徳川家ゆかりのお寺がたくさんあるようですね、
またそちらの記事にアップしてください。
浅井三姉妹 (giants-55)
2007-07-22 02:29:21
書き込み有難う御座いました。

学生の頃、浅井三姉妹の生涯を書物で知り、その余りにも過酷な運命に同情を禁じ得ませんでした。三姉妹は二人の父親(実父&養父)、そして実母を幼くして失ったばかりで無く、最後は「敵同士」&「仲介役」という立場に置かれたのは、運命の悪戯と言ってしまうには余りにも過酷。

お初(常高院)が亡くなる際、「亡き夫・京極高次と暮らした小浜の地に墓所を設けて欲しい。」と依頼したという話が在りますよね。過酷過ぎる生涯の中で、ほんのひと時でも平安な気持ちを持てたのが、この小浜での日々だったのかもしれません・・・。
三姉妹の悲劇 (o_sole_mio)
2007-07-22 22:46:00
本当にこの三姉妹の生涯はドラマティックというには余りにも苛酷ですね。
一番の栄華を得たお江も後に幕府の実権を握った春日局に毒殺されたという説もあります。
おそらくこの三姉妹の悲劇は権力に近いところに居続けたことなのだと思います。
姉妹のきずな (sk)
2007-07-25 22:12:28
淀殿が立てた養源院が火災で焼失してしまい、妹の小督が養源院再建したのです。やはり小督も浅井家の家族を思う気持ちは強かったと思う。何せ彼女は両親や姉らを戦争で滅ぼされてしまうという過酷な運命を背負っている。やはり養源院を再建して安堵したと思う。
Unknown (o_sole_mio)
2007-07-27 00:39:16
skさん、コメントありがとうございます。

戦乱の世に翻弄された姉妹ですから、きずなは深いものがあるのですね。
エピソードのご教示ありがとうございました。
Unknown (にゃんにゃん)
2007-08-03 11:32:52
近江の武将をモデルにしたキャラクターが出てるみたいです。
http://ameblo.jp/7kenshi/

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武将オタ“戦国時代ショップ” (高沢 ブログ)
確かに、興味がないわけじゃないけど… それにしてもなんと9割女性…。すごいですね。私も見てみたいな