ライス米国国務長官は中東へ飛び、イスラエル、レバノン(ヒズボラ)へ停戦の働きかけを先週来続けていますが、停戦の兆しはほとんどなく、レバノン、イスラエル両国で民間人の被害が拡大しています。
特にレバノンでは、イスラエル軍の空爆により、多数の非戦闘員が犠牲となっており今日(7/30)もレバノン南部のカナで市民が避難していた建物をイスラエル軍が空爆し、子ども37人を含む54人が死亡しました。12日に戦 . . . 本文を読む
サッカーのドイツワールドカップも終わり、日本代表チームはオシム新監督のもと、2010年の南アフリカ大会に向かって新たなる挑戦を開始しました。
さて、ドイツ大会では残念ながら日本代表チームは予選突破することができませんでした。ヨーロッパや南アメリカの強豪チームですら毎回出場できるとは限らない厳しい戦いであり、前回の大会と同じ結果は当然クリアできるとは限らなりません。前回は開催国特権でかなり優遇され . . . 本文を読む
今年1月20日から停止している米国産牛肉の輸入の再開が27日、正式に決まったそうです。吉野家の牛丼フアンにとっては朗報だと思いますが・・・。
3年前のクリスマスにアメリカでBSEが発生し、食品、化粧品、医薬品業界と農水省ほか監督官庁を大混乱に陥れました。そして昨年末に一旦輸入が再開されましたが、年明け早々日本に危険部位である脊椎付の牛肉が輸入され再び輸入が中止されました。
今回の輸入再開に際し . . . 本文を読む
倭の五王の内、最後の王「武」ということがほぼ確実と言われているのが第21代の雄略天皇です。
雄略天皇は、第19代允恭天皇の第5皇子で兄の安康天皇が暗殺された後、兄の皇子を次々を殺して天皇の座に就いたと言われています。また安康天皇の暗殺にも関与していたという説もあります。「雄略天皇」は後世つけられた諡名ですが、当時は大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)という呼称が残っており、また熊本県の江 . . . 本文を読む
ロシアサミットでは、北朝鮮のミサイル問題だけでなく、さまざまな問題について討議されましたが、めざましい成果が上がったとはいえないようです。
その中で目についた話題を紹介したいと思います。
中東議論不満で一時退席 米大統領、サミットで (共同通信) - goo ニュース
中東情勢は、イスラエルをゲリラ的に攻撃するシーア派武装組織ヒズボラを掃討のため、隣国レバノンの空爆を続けていましたが、この週 . . . 本文を読む
今週の週末は、夏休み初の週末でした。
土曜日は、小学校の行事があったので子供達は午後から小学校へ行きました。久しぶりにまったりした午後を過ごすことができました。うちの嫁さんはといいますと、熱心にPCに向かっていました。最近始めたブログのチェックです。一念発起して始めた英検準一級受験の励みにとブログを始めました。こちらがサイトですので興味のある方はご訪問頂ければ幸いです。
日曜日は、箕面公園にあ . . . 本文を読む
一昨日、昭和天皇のA級戦犯合祀に対する不快感を記録したメモが発見され波紋を呼んでいます。A級戦犯分祀、国立の追悼施設の建設に関する論議に影響を及ぼしそうです。
このメモは1988年当時の宮内庁長官だった故富田朝彦氏が昭和天皇のご発言を記録したもので、「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが」、「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」 . . . 本文を読む
ヤマトタケル伝説に代表される大和朝廷の日本統一の後、古墳時代は全盛期を向かえ、日本最大の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を中心とした巨大前方後円墳が4~5世紀に河内・大和を中心に築かれます。
堺市の百舌鳥古墳群にある大仙陵古墳は、全長500m近い威容を誇り、三重の濠を従えています。延喜式の記述から仁徳天皇の陵墓として指定され、他の皇族の陵墓参考地同様宮内庁の管理下に置かれています。日本第2位、第3位の大 . . . 本文を読む
日米と中露の間で綱引きが続けられていた、北朝鮮へのミサイル発射に対する国連安保理への対応ですが、16日に北朝鮮への非難決議を全会一致採択しました。
最大の争点となっていた国連憲章第7条を入れた形の「制裁決議」にするか外した「非難決議」にするかでしたが、結局英仏の仲介により、第7条を外す代わりに「国際平和と安全の維持への安保理の特別の責任」という表現によって、今後の制裁の含みをもたせる形にして日本 . . . 本文を読む
高校の時、古典の授業でヤマトタケルノミコト(日本武尊)の最期について習ったことを憶えています。もっともヤマトタケルノミコトは古代史における英雄の一人ですが、実在の人物ではないと考えられています。
2~3世紀に発生し、4世紀ごろに崇神天皇と推定される大王の代で確立したと考えられる大和朝廷ですが、崇神天皇から雄略天皇の代にその勢力圏を広げ、ついに日本の大部分を支配したと考えらてれます。この時期に大和 . . . 本文を読む