オーソレ、何それ?

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戦国のヒールNo.1:松永久秀

2007-10-20 01:16:44 | 戦国時代
個性的な人材を多数輩出した戦国時代の中でも「悪役キャラ」でこの人に勝る人はいないのではないでしょうか。

松永久秀(1510~1577)の所業を最も端的に示すエピソードは信長の配下であった頃、信長が家康に「この老人は常人ができないことを3度やった、主家を滅ぼし、将軍を殺し、東大寺の大仏殿を焼き払った。」と久秀を紹介したことです。もっとも久秀は心の中で「おまえがいうな。」と思ったかもしれません。いずれにしても久秀は戦国の「梟雄」とか「奸雄」といった表現が多く、それにふさわしいのかもしれません。

久秀は初め室町幕府の実力者細川氏の重臣、三好長慶に仕えました。久秀は頭角を現し、三好氏の重臣となりました。主君の長慶が室町幕府の実権を握るようになるとそれに伴って幕府における久秀の位置づけも大きくなっていきました。

三好長慶は幕府の実権を握ったものの、嫡男の義興や実弟の十河一存が相次いで亡くなりました。これらは、久秀の暗殺とも言われています。これに伴い長慶の力が衰退していくと、久秀は主君の長慶に代わって実権を握るようになりました。長慶の死後は、同じく三好氏の重臣であった三好三人衆とともに、足利十三代将軍義輝を襲撃し、将軍を討ち殺します。そして義輝の従兄弟の義栄を傀儡として将軍に据えると今度は義輝殺害で団結した久秀と三好三人衆は仲間割れを起こします。その乱闘の舞台が奈良・東大寺です。

この乱闘の結果、東大寺の大仏殿が消失し、大仏の仏頭が落ちる(その後の大風によるという説もあります)という事態が生じます。大仏殿と仏頭が復旧するのは江戸時代に入ってからで、長い間無残な姿とさらすことになります。実際に奈良の大仏を見ると頭の部分と胴体の部分では光沢が異なります。胴体の部分もオリジナルではなく鎌倉時代に復旧されたものですが。

この戦いは大和の武将、筒井順慶が三好三人衆に加勢したこともあり、膠着状態が続きましたが、その頃上洛した織田信長の配下となり、大和一国の領有を安堵されます。ところがその後信長の傀儡になることを嫌った第15代将軍義昭の誘いに乗り、久秀は信長に叛旗を翻します。ところが信長の勢力が盛り返すと信長に降伏しますが、これを何故か信長は許しています。その後信長が石山本願寺攻めに手間取り、義昭、毛利の織田包囲網が形成され、さらに上杉も上洛の動きを見せ信長不利と見るや、再び信長に叛旗を翻します。

ところが、織田軍が居城の信貴山城を多勢で囲み久秀は配色濃厚となります。この時信長は久秀が茶釜の名器と誉れ高かった「平蜘蛛」を差し出せば助命すると申し出ましたが、久秀はこれを拒み、平蜘蛛の茶釜に爆薬を仕込み、茶釜もろとも爆死したと言われています。

主君殺しや貴重な仏像建築物である大仏を焼き払い、周囲の状況を日和って裏切ったり降伏したりするところが、戦国屈指の悪人と呼ばれ、評判の良くない所以ではないかと思います。ただ、信長が帰順を許すなど武将としても能力があり、また茶の湯に通じるなど当代屈指の文化人であったという一面もあったと思われます。
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