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残堀川(狭山池から昭和記念公園)

2022-01-13 | 都内散歩

残堀川は昭和記念公園を歩いて初めて知った。狭山池のわきを通った時この池が残堀川の源と知った。玉川上水を歩いた時サイホンの原理で残堀川と交差しているのを知った。ということで何となく気になっていた川、狭山池から昭和記念公園まで歩くことにした。

今日は少し距離が長く12.5㎞、4時間15分のお散歩でした。

狭山池の最寄り駅は箱根ヶ崎。キレイな駅になっている。

駅から10分ほど歩いて狭山池に着く。ここが残堀川のスタート。

狭山池を一回りすることにした。

蛇食い次右衛門の像。昔次右衛門が池の大蛇を退治したとき大量な蛇の血が堀に流れたのでこの川を蛇堀川(じゃぼりがわ)とよび、それが訛って残堀川になったという。

狭山池は手入れが行き届き、よく整備された公園になっている。瑞穂町は豊かなのかな?

カルガモ以外のカモも沢山泳いでいた。

池の先にあった調練橋。幕末に韮山の代官だった江川太郎左衛門が周辺の農民を集めてここで鉄砲の訓練をし、農兵にしたという。

小川に沿って上流に向かう。遊歩道にムシロガ敷いてあった。霜解け対策だと思うが瑞穂町は親切だね~!

5分ほどで最端に。この先は川がないのでここの湧き水が源流のようだ。

狭山池公園の案内図があったが小規模だが気持の良い公園だと思う。高齢者が日向ぼっこをしていました。

ここから残堀川がスタート。上流端表示で多摩川合流点まで14㎞。一級河川だそうだ。

出だしの遊歩道が国道の下を通るが最初だけ。

上に上がって車道を横断する。

源流から280mの距離表示が親切。橋ごとに源流からの距離が表示されていた。

瑞穂町は家並みも低く、車も少なく静かな町で川沿いに休憩用のベンチが所々に置かれていて親切。

河原にも下りられるようになっていた。

線路の跡のようだ。多摩湖、狭山湖建設時に線路が敷かれたと聞いたことがある。

冬で水が殆ど流れていないが一面の葦。こんな感じもいいね~!

河原が公園になっていた。武蔵村山に入ったかな?

雑木林も出てきた。

池から1時間近く歩いてきた。ここで小休止。

これは残堀川名称の由来碑で大蛇を退治した次右衛門のことが書いてあった。

 

「うさぎちゃんの赤ちゃんが生まれたら、かわいがってくださる方に差し上げます」。ウサギもかわいいね~!

気持ちよく歩ける道が続く。

この辺りは残堀川親水緑地広場と書いてあった。

池から2時間近く歩いてきた。左にイオンモールが見えた。

左は日産村山工場跡。川の左岸に遊歩道が整備されている。

広大な原っぱが出てきた。

行けども行けども原っぱが続く。単調で真っすぐな道で、足裏も痛くなり、疲れと飽きが来た。

広大な原っぱは2㎞近く続いたのではないか?。西武拝島線の線路が出てきてホッとした。

玉川上水の交差点。向こうからきた玉川上水は伏せ越し(サイホン)で残堀川の下を潜って東に向かう。

川の両岸は桜並木。美しい桜が見られそうだ。

もくせいの杜の社会科見学できた公園の築山がやっと出てきた。

 

川の右岸は昭島市で武蔵野公園。左岸は立川市で泉町西公園。この辺りは米軍基地拡張反対運動で有名になった砂川闘争の中心地だったのかも?

玉川上水口から昭和記念公園に入る。

公園内の残堀川沿いは川沿いの散歩道と名付けられている。

対岸は移転してきた法務省の建屋群と手前は残堀川調整池の看板。残堀川の洪水は聞いたことがないが、想像以上の現象が起こるのが現在~!

川沿いは余り歩く人がいないようだ。歩けない場所もある。

この散歩道は歩く人も少なく静かでノンビリとした道だと思う。

有名なイチョウ並木も静寂。流石に冬は来園者も少ないようだ。

ここはみんなの原っぱや花木園の近く。14時半になり寒くなってきた。

立川口からくる橋の下を川沿いに歩く。

この先は車道と線路で行き止まり。この後、残堀川は桜で有名な根川緑道を通って多摩川に合流するが桜の季節まで取っておくことにした。

人が歩かない変な車道を通って西立川口に。今日は園内の川沿いの散歩道を最初から最後まで歩いたが、静かな道で気に入りました。

残堀川は予想以上に歩きやすい道が続いていたが一人で歩くのは飽きがきそう。流域の土地がゆったりしているだけに都内の川歩きより空が広く解放感は抜群でした。

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