この段落を含めて、最初の4段落は今回の内容の趣旨ではない。伝えたいメッセージの冒頭の5字を抜き出すと「今日書きた」であり、そこから最後までである。時間がない方はそこから、最後までをざっと読んでほしい。
ちょいと調べることがあって世界史の教科書を本棚の奥から出してきた。本棚の奥、というのが具体的にどういう処かというと、目的の本の前にペットボトルのおまけやら友人からもらったため捨てるに捨てられない折鶴やら、そういった小物たちがごそごそ置いてあって、本を容易に取り出せない時に、その本のある場所を指すのである。んで、いかにも勿体ぶった響きを込めて、その本は本棚の奥にある、などと表現することになるのである。
世界史の教科書なんて3-4年ぶりに取り出す。久しぶりに取り出したら、2001年の10月の新聞の小さな切抜きが挟んであった。張学良死去。受験時代から、新聞の国際面には必ず目は通していた。その記事を読むまで、僕にとって、歴史とはあまり自分たちとは関係のない、言ってしまえば「かけ離れた昔話」だった。しかし、この記事を読んだとき、今生きているこの現実は、歴史からの自然な延長なのだなと思った。あの世界史上の人物が、今新聞の記事となって登場している。それが、なにかこう、嬉しかった。いやぁ懐かしい。
話がそれたが、教科書で調べたかったこととは、「ラスコーとどこだっけ?」という疑問。ほら、古の壁画で有名な(i.e.試験に出やすい)遺跡は3箇所ぐらいあったけど、フランスのラスコー以外は忘れていたから、調べようとしたわけだ。んでもって、判明した。ああ、スペインのアルタミラだ。もう一個はわからん。あと、おとといテレビで見たローマ建築の様式が典型的なコリント様式だった。美術の写真を見て、様式を答えさせる問題は、センターでたまに出るので要注意。
今日書きたかったことは、そういうことではなくて、世界史好きについて一言書きたい。
世界史が好きということは必ずしも世界史の研究を志すということではない。私の目は現在を原点として未来を向いている。これは、歴史の研究、つまり現在を原点として過去を見つめることとは、ベクトルの向きが異なるのである。しかし、上の件で述べたように、現実や未来というものは、歴史の自然な延長線上にあるのだから、世界史好きの人間が、素敵な未来建設に関心を持つのは自然なことなのである。
歴史を読んで多くの悲劇があることを見てきた。しかしこれは私たちには縁のない遠い昔話ではない。これは私たち人類が積み上げてきた事実。生まれる時代が異なれば、私もその加害者か被害者か、ともかくも何らかの形での関係者になったかもしれないのだ。無関係なものではない。そう考えたとき、私はこれからの歴史を作っていく人間の一人として、もっといい歴史を書いていきたいと考えた。いい歴史というのは、つまるところ、大虐殺(アウシュビッツ他)なんてものが存在しない最低限の幸せが保障された世界のことだ思う。
人によって意見は異なるだろうが、私は、国際政治に関わることで、世界史を書いていく仕事ができると思っている。国際政治の中では特に、制度上の枠組みなどを整えていくことで、国際協力、開発援助などに貢献したい。んでもって、人類の幸福の増進を図りたいと思っているのである。
世界史は得意だったし、大好きだった。最近世界史から遠く離れたところにいる。世界史の教科書の頁の間から、自分の字で「2001年10月16日朝刊」って書かれた切抜きが出てきたら、随分懐かしく思えて、そして自分の進路の原点に帰ってきたようなそんな嬉しい気持ちになったのである。感動した記事をいちいち切り抜くなんて、当時の自分はなんて純粋だったんだろう。
ちょいと調べることがあって世界史の教科書を本棚の奥から出してきた。本棚の奥、というのが具体的にどういう処かというと、目的の本の前にペットボトルのおまけやら友人からもらったため捨てるに捨てられない折鶴やら、そういった小物たちがごそごそ置いてあって、本を容易に取り出せない時に、その本のある場所を指すのである。んで、いかにも勿体ぶった響きを込めて、その本は本棚の奥にある、などと表現することになるのである。
世界史の教科書なんて3-4年ぶりに取り出す。久しぶりに取り出したら、2001年の10月の新聞の小さな切抜きが挟んであった。張学良死去。受験時代から、新聞の国際面には必ず目は通していた。その記事を読むまで、僕にとって、歴史とはあまり自分たちとは関係のない、言ってしまえば「かけ離れた昔話」だった。しかし、この記事を読んだとき、今生きているこの現実は、歴史からの自然な延長なのだなと思った。あの世界史上の人物が、今新聞の記事となって登場している。それが、なにかこう、嬉しかった。いやぁ懐かしい。
話がそれたが、教科書で調べたかったこととは、「ラスコーとどこだっけ?」という疑問。ほら、古の壁画で有名な(i.e.試験に出やすい)遺跡は3箇所ぐらいあったけど、フランスのラスコー以外は忘れていたから、調べようとしたわけだ。んでもって、判明した。ああ、スペインのアルタミラだ。もう一個はわからん。あと、おとといテレビで見たローマ建築の様式が典型的なコリント様式だった。美術の写真を見て、様式を答えさせる問題は、センターでたまに出るので要注意。
今日書きたかったことは、そういうことではなくて、世界史好きについて一言書きたい。
世界史が好きということは必ずしも世界史の研究を志すということではない。私の目は現在を原点として未来を向いている。これは、歴史の研究、つまり現在を原点として過去を見つめることとは、ベクトルの向きが異なるのである。しかし、上の件で述べたように、現実や未来というものは、歴史の自然な延長線上にあるのだから、世界史好きの人間が、素敵な未来建設に関心を持つのは自然なことなのである。
歴史を読んで多くの悲劇があることを見てきた。しかしこれは私たちには縁のない遠い昔話ではない。これは私たち人類が積み上げてきた事実。生まれる時代が異なれば、私もその加害者か被害者か、ともかくも何らかの形での関係者になったかもしれないのだ。無関係なものではない。そう考えたとき、私はこれからの歴史を作っていく人間の一人として、もっといい歴史を書いていきたいと考えた。いい歴史というのは、つまるところ、大虐殺(アウシュビッツ他)なんてものが存在しない最低限の幸せが保障された世界のことだ思う。
人によって意見は異なるだろうが、私は、国際政治に関わることで、世界史を書いていく仕事ができると思っている。国際政治の中では特に、制度上の枠組みなどを整えていくことで、国際協力、開発援助などに貢献したい。んでもって、人類の幸福の増進を図りたいと思っているのである。
世界史は得意だったし、大好きだった。最近世界史から遠く離れたところにいる。世界史の教科書の頁の間から、自分の字で「2001年10月16日朝刊」って書かれた切抜きが出てきたら、随分懐かしく思えて、そして自分の進路の原点に帰ってきたようなそんな嬉しい気持ちになったのである。感動した記事をいちいち切り抜くなんて、当時の自分はなんて純粋だったんだろう。
例えば経済成長を研究したりするとき、過去のデータを取ってきて時系列分析をしたりするけど、gyo君の歴史観はそのような未来への予想、政策へ向けたものであると理解しました。
んで、1つ質問。
>人類の幸福の増進を図りたいと思っているのである。
これについて以前、大学院のとある講義で議論したことがあったのだけど、人類の幸福を考える時、私達は自分の世代だけでなく未来永劫の子孫についても考えるべきか?ということ。
教授は考えるべきだと主張していた。その論拠が「命は大切なもの。それは自分にとっても子孫にとっても変わらないはずだ」ということだけど、それは視点が現代を生きる自分たちに固定したものでは無いから納得できなかったんだよね。