【起】
研修中に知り合った、
すごい頭のいい先生がいた。
ほんとに「すごく頭がいい」人。
そう滅多にお目にかかれるレベルじゃないくらい。
ドクターエラッグとおっしゃるその人と出会った場所は
WHO西太平洋事務局カンファレンスルームであった。
一時間にも満たない短い講義だったけど、
講義のはじめの10分で、一発ですごい人だと気付いた。
頭脳明晰だったし、プレゼンテイションも大変上手かった。
一目でほれ込んだので、夕飯の時はひたすら話しかけて議論した。
少しも嫌がることなく僕と議論してくれたその優しさにも感銘を受けた。
帰国後は何度かメールのやり取りもした。ほんとにまめで優しい人だと思った。
【承】
先生のブログを拝見していたら、
先生が8月30日に倒れて救急センターに担ぎ込まれた時の話、が書いてあった。
いつもレベルの高い英語で書いてあるので、
読むのが大変なのだが、
がんばって読んだら、そういうことがわかった。
なんと。
驚いた。
ブログを書いているので、
致命的な状態ではないと信じたいが、
しかし、なんというか悲しかった。
ブログのタイトルは
「メメントモリ。」
死を思え。
であった。
【転】
先生は発作に襲われた瞬間についてのきわめて冷静に分析していた。
そして(僕なりに訳してみると)以下のようなことが書いてあったのだ。
----以下先生のブログの一部を翻訳します-----
その時の症状について長々と書くようなことはしません。ですが、発作の瞬間の私の知覚について再構築してみたいと思います。知覚は3層に分かれていました。
一層目は、突然の衝動に対する知覚です。胸の下にある、不気味にそして自発的に鼓動している筋肉の塊(注1)によって生じる圧倒的に不愉快なこの経験を、私自身から距離を置いて認識することは不可能でした。塊は、まるで肋骨を突き破ってから出ようとするかのように、無意味に振り回っていました。そうした不快感から距離を保つことは不可能でした。
二つ目は、臨床的な分析をする知覚です。私の精神の意識的な部分は、血圧と心拍数からの報告に必死で耳を傾けていました。私は、徐脈・低血圧と判断しました。それらを臨床診断上の仮説に結び付けました。心筋梗塞?脳卒中?痙攣?血管迷走神経性発作?一人の医師として当たり前の仮説です。しかし、この発作の最中に、こうしたことを考えていることは奇妙でした。
3層目はスピリチュアルなものです。私はGuimarasでのジョーク(注2)を思い出していました。私の死ぬ確率についての警句を言っていたという皮肉をかみ締めました。それも、この発作が起きるわずか48時間ほど前の冗談だったのです。昔、宗教上の教育者が、メメントモリ、死を思え、について瞑想するよう説いたことを思い出しました。それは私を人生を通じて道徳的にしてくれる座右の銘です。私は、その教育者が私に注意していた矛盾について気付きました。私はその矛盾についていつも割り引いて考えてきたのです。
私は、発作に襲われている最中も、(発作の訳を)説明し理解しようとしていた。私が、そうした説明をすべて無駄なものにしてしまうかもしれないような現象の真っ只中に居たのにもかかわらずです。私は記憶し覚えようとしていた。記憶というものが、その記憶を必要になるかもしれない未来(の存在)を前提にしたものであるのにもかかわらずです。これが、私たちをとりこにしている幻想の力なのです。私たちは勘違いするものです。私たちは、死に望んだ間際になってもまだ、未来の存在を想定しているのです。
(注1:発作を起こしている心臓のことです)
(注2:先生はこの発作の48時間前、フィリピンのGuimarasという場所での講義で、「私が死ぬ危険性は何パーセントだろうか?そう100%だ。ここにいる全員が死ぬ確率は100%なのだ。」という冗談を言っていました。先生はよくこの冗談アイスブレイキングice breakingとして使って、死をできる限り予防し、生活の質を最大化するための方策について、講義をするというスタイルをよくとるようです。こう聴くと、物騒に聴こえるかもしれませんが、先生は笑いを取れるような雰囲気で、この冗談をいつもやるそうです。)
文中の()内は訳者による補充です。
----------------
【結】
僕の解釈では、
宗教上の教育者が先生に教えた、「矛盾」というのはこういうことだと思います。
「死を思うからこそ、人生をせこく生きても仕方ないから、道義的に生きなければならない。
しかし、死を思うのに、なぜ記憶したりする意義があるのか?」
生きること自体が矛盾なのかもしれない。
そういうことを教育者は示唆していたのかも知れない。
死の間際になってもまだ、
意味が無いのに、記憶したり分析しようとする。
これが人間か。。。
【最後に。】
近くに住んでいた老婦人が本日亡くなりました。
老婦人というか、田舎のあばあちゃんで、
いつも道路に折りたたみ式のしょぼい椅子を出して
じぃっと坐っていた、
「いい味」を出していたおばあちゃん。
目の前を車がびゅんびゅん走って砂埃を巻き上げても
どこ吹く風のおばあちゃん。
いつも表情を変えなかったな。
こんな風景は現代の日本ではあんまり無いよな。
とおもって、いつか写真をとろうなんて思ってたおばあちゃん。
会話したこと無いけど、
そこを通る時には「かならずいる」ということが、
ある意味安心感を与えてくれていました。
おばあちゃんがいなくなる。
それだけで十分悲しいことです。
しかし、まぁ、
突然のことで準備できていなかったとはいえ、
連絡に来た遺族に対する
僕の態度は大変事務的で冷淡で、
すげー自分の心の奥底が冷たいことに気付きました。
あーあ。
それも悲しいな。
なんでこんな性格になっちゃったんだろう。。。
研修中に知り合った、
すごい頭のいい先生がいた。
ほんとに「すごく頭がいい」人。
そう滅多にお目にかかれるレベルじゃないくらい。
ドクターエラッグとおっしゃるその人と出会った場所は
WHO西太平洋事務局カンファレンスルームであった。
一時間にも満たない短い講義だったけど、
講義のはじめの10分で、一発ですごい人だと気付いた。
頭脳明晰だったし、プレゼンテイションも大変上手かった。
一目でほれ込んだので、夕飯の時はひたすら話しかけて議論した。
少しも嫌がることなく僕と議論してくれたその優しさにも感銘を受けた。
帰国後は何度かメールのやり取りもした。ほんとにまめで優しい人だと思った。
【承】
先生のブログを拝見していたら、
先生が8月30日に倒れて救急センターに担ぎ込まれた時の話、が書いてあった。
いつもレベルの高い英語で書いてあるので、
読むのが大変なのだが、
がんばって読んだら、そういうことがわかった。
なんと。
驚いた。
ブログを書いているので、
致命的な状態ではないと信じたいが、
しかし、なんというか悲しかった。
ブログのタイトルは
「メメントモリ。」
死を思え。
であった。
【転】
先生は発作に襲われた瞬間についてのきわめて冷静に分析していた。
そして(僕なりに訳してみると)以下のようなことが書いてあったのだ。
----以下先生のブログの一部を翻訳します-----
その時の症状について長々と書くようなことはしません。ですが、発作の瞬間の私の知覚について再構築してみたいと思います。知覚は3層に分かれていました。
一層目は、突然の衝動に対する知覚です。胸の下にある、不気味にそして自発的に鼓動している筋肉の塊(注1)によって生じる圧倒的に不愉快なこの経験を、私自身から距離を置いて認識することは不可能でした。塊は、まるで肋骨を突き破ってから出ようとするかのように、無意味に振り回っていました。そうした不快感から距離を保つことは不可能でした。
二つ目は、臨床的な分析をする知覚です。私の精神の意識的な部分は、血圧と心拍数からの報告に必死で耳を傾けていました。私は、徐脈・低血圧と判断しました。それらを臨床診断上の仮説に結び付けました。心筋梗塞?脳卒中?痙攣?血管迷走神経性発作?一人の医師として当たり前の仮説です。しかし、この発作の最中に、こうしたことを考えていることは奇妙でした。
3層目はスピリチュアルなものです。私はGuimarasでのジョーク(注2)を思い出していました。私の死ぬ確率についての警句を言っていたという皮肉をかみ締めました。それも、この発作が起きるわずか48時間ほど前の冗談だったのです。昔、宗教上の教育者が、メメントモリ、死を思え、について瞑想するよう説いたことを思い出しました。それは私を人生を通じて道徳的にしてくれる座右の銘です。私は、その教育者が私に注意していた矛盾について気付きました。私はその矛盾についていつも割り引いて考えてきたのです。
私は、発作に襲われている最中も、(発作の訳を)説明し理解しようとしていた。私が、そうした説明をすべて無駄なものにしてしまうかもしれないような現象の真っ只中に居たのにもかかわらずです。私は記憶し覚えようとしていた。記憶というものが、その記憶を必要になるかもしれない未来(の存在)を前提にしたものであるのにもかかわらずです。これが、私たちをとりこにしている幻想の力なのです。私たちは勘違いするものです。私たちは、死に望んだ間際になってもまだ、未来の存在を想定しているのです。
(注1:発作を起こしている心臓のことです)
(注2:先生はこの発作の48時間前、フィリピンのGuimarasという場所での講義で、「私が死ぬ危険性は何パーセントだろうか?そう100%だ。ここにいる全員が死ぬ確率は100%なのだ。」という冗談を言っていました。先生はよくこの冗談アイスブレイキングice breakingとして使って、死をできる限り予防し、生活の質を最大化するための方策について、講義をするというスタイルをよくとるようです。こう聴くと、物騒に聴こえるかもしれませんが、先生は笑いを取れるような雰囲気で、この冗談をいつもやるそうです。)
文中の()内は訳者による補充です。
----------------
【結】
僕の解釈では、
宗教上の教育者が先生に教えた、「矛盾」というのはこういうことだと思います。
「死を思うからこそ、人生をせこく生きても仕方ないから、道義的に生きなければならない。
しかし、死を思うのに、なぜ記憶したりする意義があるのか?」
生きること自体が矛盾なのかもしれない。
そういうことを教育者は示唆していたのかも知れない。
死の間際になってもまだ、
意味が無いのに、記憶したり分析しようとする。
これが人間か。。。
【最後に。】
近くに住んでいた老婦人が本日亡くなりました。
老婦人というか、田舎のあばあちゃんで、
いつも道路に折りたたみ式のしょぼい椅子を出して
じぃっと坐っていた、
「いい味」を出していたおばあちゃん。
目の前を車がびゅんびゅん走って砂埃を巻き上げても
どこ吹く風のおばあちゃん。
いつも表情を変えなかったな。
こんな風景は現代の日本ではあんまり無いよな。
とおもって、いつか写真をとろうなんて思ってたおばあちゃん。
会話したこと無いけど、
そこを通る時には「かならずいる」ということが、
ある意味安心感を与えてくれていました。
おばあちゃんがいなくなる。
それだけで十分悲しいことです。
しかし、まぁ、
突然のことで準備できていなかったとはいえ、
連絡に来た遺族に対する
僕の態度は大変事務的で冷淡で、
すげー自分の心の奥底が冷たいことに気付きました。
あーあ。
それも悲しいな。
なんでこんな性格になっちゃったんだろう。。。