石岡の金刀比羅神社境内に句碑
俳人・正岡子規(1867~1902年)は第一高等中学(旧制一高)の在学中の18894月、水戸の学友を訪ねて水戸街道を歩いた。
1日目は藤代(現取手市)の「銚子屋」に泊まった。
つまり、1日で46㌔ほどを歩いた。
そして2日目は石岡の旅館「萬屋」に宿泊している。
遠方の筑波山を眺め、「二日路は 筑波にそふて 日ぞ長き」と詠んだ。
子規が取手を通過したことは、取手の長禅寺下の公園の記念碑にも記されている。
子規の句碑は「水戸紀行」の宿泊地の藤代、水戸にある。
石岡の市民グループ「石岡の歴史を愛する会」が10月10日、市内の金刀比羅神社境内に句碑を建設し除幕式を行った。
120年前に子規が1日40㌔以上歩いたことに驚くばかりだ。
当方は、土浦-取手間を5度歩いたことがあるが、26㌔ほどの道程であったが・・・
俳人・正岡子規(1867~1902年)は第一高等中学(旧制一高)の在学中の18894月、水戸の学友を訪ねて水戸街道を歩いた。
1日目は藤代(現取手市)の「銚子屋」に泊まった。
つまり、1日で46㌔ほどを歩いた。
そして2日目は石岡の旅館「萬屋」に宿泊している。
遠方の筑波山を眺め、「二日路は 筑波にそふて 日ぞ長き」と詠んだ。
子規が取手を通過したことは、取手の長禅寺下の公園の記念碑にも記されている。
子規の句碑は「水戸紀行」の宿泊地の藤代、水戸にある。
石岡の市民グループ「石岡の歴史を愛する会」が10月10日、市内の金刀比羅神社境内に句碑を建設し除幕式を行った。
120年前に子規が1日40㌔以上歩いたことに驚くばかりだ。
当方は、土浦-取手間を5度歩いたことがあるが、26㌔ほどの道程であったが・・・
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