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「俺はこれからも競輪一筋だ」

2014-09-04 16:38:06 | 創作欄
今日の取手競輪場で、当たり車券を見せびらかせている男がいた。
それぞれのレースについて、説明を加える。
「これが12万円の配当、これが17万円的中、これが昨日のレース。5万円もやられているので、今日は赤字かと思ってたったら、当たって15万円の配当。結局プラス10万円になったよ」
みんながそれらの車券を覗き込む。
「払い戻さず、当たり車券を財布に入れているんだ」と感心を示す人。
「たいしたもんだ。金持ちは違うね」と羨ましく思う人。
「金の問題じゃないよ。金があったって当たるもんじゃない。10万円以上の車券を当てることがすごいね」と称賛する人。
利根輪太郎は改めて男を見た。
輪太郎に向けた目つきが鋭い、60代の前半と想われる男であった。
輪太郎はこの男をどこかで見たことがあると感じて、記憶を辿ってみた。
テキ屋の親分と松戸競輪場で宮川さんから教えられた男に違いなかった。
その宮川さんが取手競輪場で倒れ、救急車で運ばれた日は月曜日で、輪太郎は勤め人であったのでそのことは後で聞いた。
脳梗塞で10日後に宮川さんは亡くなった。
「俺は一生道楽でいくんだ」と宣言したことがある。
ある宗教の熱心な信者の知人から「競輪なんてよしたらどうですか。時間的にもムダなことですよ。我々には使命があるのだから、それを果たしましょう。奥さんも娘さんも、失明した息子もお父さんのことを真剣に祈ってますからね」と諭していた。
宮川さんは酒を飲んだ時に「俺はこれからも競輪一筋だ」と輪太郎に言っていた。
彼の高校の野球部の同級生や陸上部の同級生が競輪選手になっていた。
宮川さんは彼らより陸上の短距離では速く、脚力は県内でもトップクラスであったのだ。
だが父親に強く反対されて宮川さんは競輪選手になることを断念した。
そして車券にのめりこむまでになっていた。




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