1990年代後半、ハンティントンの「文明の衝突」(1996年)を山口大学の授業(非常勤、英語)で取り上げたが、残念ながら数年後著者の懸念は現実となってしまった。それ以来、私は未知であったイスラムの世界を知る必要を感じて、中東のニュースに注目し、アラビア語を学び始めイスラム教にも関心を持つようになった。そして、イスラム教徒が読むクルアーンをも知っておかなければと思うようになった。
[絨毯の上にこのような本立てを置いて、座って読む]
まだ読み終えていないが、中間報告の形で感想や理解できたところをまとめて記してみたい。毎日少しずつ英訳二種と邦訳を読み合わせて、時折り原語で1節解読する練習をしている。
[アラビア語/英語対訳本]
1. イスラム教を興したムハンマドの立場・主張。彼はその時代(7世紀)に遣わされた使徒であり、最後の預言者であると自負していて、アブラハム、モーセ、イエスと受け継がれた神の真理は、ムスリム(イスラム教徒)に引き継がれると考える。それで、旧約の族長や預言者、新約のイエスを肯定的に記述し、賞賛すらする言葉があって驚いた。これまでの預言や啓示は廃止しない、よいもので代えるという。しかし、途中でユダヤ教徒やイエスと新約聖書を批判し、後述のように敵対的見方に転じている。
ムハンマドは自分の役割は警告することであり、よき便りをもたらす者であると考えていた。そしてクルアーンは先行する啓示(OT, NT)を確認するものであるという。また、旧約聖書を持つユダヤ教徒、新約聖書を持つキリスト教徒に次いで、イスラム教徒もクルアーンを持つ啓典の民であると言う。
読んでいて、19世紀に登場したジョセフ・スミスは、ヒュー・ニブレーが指摘したように、ムハンマドに類似した点をいくつか持っているように思われた。ユダヤ・キリスト教の流れの最下流にあって、預言者となり、啓典をもたらしているからである。
2. クルアーンの内容と特徴。全般的に信者に神を信じ、教えを守って敬虔に生きるよう説いている。テーマを追っているが物語り性はなく、詩篇やイザヤ書(韻文の部分)を読んでいるような感じである。聖書、特に旧約聖書の伝統を承知していることを前提としていて、共通項が多く見られた。例えば、「アブラハム、ヤコブ、モーセ、イエスに神から与えられた教えを分け隔てなく信じます。われらは神に従います」と唱えよ、と説き、後に裁きの日が来て、神に背く者には厳しい罰がのぞみ、神に仕える者を神は傷つけることはない、と警告する。また、怒りを制し全ての人を赦せ、とあり慈悲と赦しの特性が見られた。新約聖書との共通点も見出すことができる。
季節の食べ物は神に感謝して食せよ、但し無駄にしてはならない、という勧めは末日聖徒の知恵の言葉と似ていて興味深かった。また、人は神の計画を信じて疑わず、確固として道からそれず、従順でなければならないと諭している。事実、「イスラム」という言葉は「従う」「委ねる」の意からきている。
3. 注記(但し書き)。1)クルアーンは初めて読む時、解説書がないと分かりにくい。箇所によっては、ある節が誰に対して、どんな方向から語られているのか分かりにくい。代名詞が誰を指すのか、動詞の人称や数がどうなっているのか分からないことがある。そのような点で井筒俊彦の訳は解説がついていて読みやすく助けられた。2)神(アラー[元は普通名詞、しかしイスラムの神を指す])以外に神はないはず、ユダヤ人もキリスト教徒も間違っている、など排他的な表現に出会うことを覚悟しなければならない。次に3)今日の社会にあって聖戦(ジハード)を示唆するクルアーンの言葉を読んでも、ムスリムですぐ武力に訴える者はいない筈であるが、一神教らしさ、ないしは戦いを厭わない響きがすることがある。例、「汝らに戦いを挑むものがあれば、宗教のための戦いとして迎え撃つがよい」(2:190)、「神も最後の日も信じない者がいればこれと戦え」(9:29)など。
4. 注目した印象的な言葉。 上記のような点があるにもかかわらず、一つの宗教書として読む時、味わいのある、よい啓典の言葉に接することがある。例えば、3:190-200に神の創造を賛美する美しい詩がある。「まことに天と地の創造、夜と昼との交替、心ある者にとっては、これすなわち神兆ではないか。・・神よ、かくばかりのものを、汝は徒(あだ)おろそかにお創りになったのではありますまい。・・・私どもは主を信ぜよという呼び声を聞いて、信仰に入りました。神よ、どうか私どもの罪を赦してください。」読んでいて心が澄まされる思いであった。また、日常生活上の知恵も含まれている。例、「誰かに挨拶されたら、それよりもっと丁寧に挨拶し返すか、同様に挨拶せよ。神は実に全てを覚えたもう」(4:86)。
イスラム理解において入口に立ったばかりの私であるが、クルアーンを読むことによって、新しい世界を垣間見ることができているように感じている。それでいて、井筒が言うように、キリスト教徒としての常識的な知識を備えた人が一番簡単にコーランを読める、立場にあると思う。それで案外、イスラム教徒を身近に感じることができる。
(ただ、世界を見ると、なかなか政情不安が消えないイスラム諸国が多い。少しでもかの文化圏の地域が政治体制、教育、人権を含めた面で改善され、人々の安寧と經濟・福利が向上していくことを心から願っている。)
参考
Hugh Nibley, "Islam and Mormonism -- A Comparison." Ensign Mar. 1972
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> ユダヤ・キリスト教の流れを継いでいて、全く未知の内容ではない。一読しておきたい書物。Having read Qur'an, felt unexpectedly familiar