2月から8月末までモルモン教について総まとめのように思いめぐらし、文字にしてきた。そして最近改めて感じた。知っていたはずのことであるが、昔から今日にいたる不動産の購入(相当な金額に上る)、日本における車椅子贈呈などの福祉活動、特に東日本大地震以降の目を見張る支援活動は、完全に米に本部があるモルモン教会が行なっていることで、日本のldsはその窓口を務めているに過ぎない。仲介しているだけである。資金力から言っても、物資の種類、数量の判断、決定を誰がするかも、要人来日も、全てそのことを物語っている。資金力一つを考えても日本人のldsは沈黙するばかりである。
では、日本の教会員一般はどう受けとめればよいのだろうか。アメリカの教会本部に自らを同一視して、何も考えることなく賛同、支持の気持ちを持てばよく、それで問題がないのだろうか。
例えば、数年前中国四川省で大地震が起きた時、香港,シンガポール、マレーシア、台湾[以上漢民族で共通]、隣国の日本、韓国の末日聖徒が支援の手を差し伸べるのが心温まる自然な動きである。しかし、それが目立たなくて、あるいは直接の動きは皆無で、米本部の福祉活動しか見えてこなければ、私などは寂しいと感じる。教会が行動しているからそれでいい、でいいのだろうか。末日聖徒の共同体が各地にできているはずである。その共同体を構成する各地の教会員の気持ちや意思、自立とか自発性は大切な資質なのではないのだろうか。
各地のローカルの自主性、存在感がなくて、健全な宗教組織と言えるのだろうか。私はそうは思わない。幾分かでもローカルの自律性を信じていた私は、一連のまとめ「総括」を終えようとしていて今強い衝撃を受けた気持ちでいる。
(私は教会本部が人道支援を行なってはならない、などと言う積りはない。ただ、今の形のまま継続していってよいのだろうか、という疑問を感じている。現地の教会員[ローカルの指導者]と協議しているかもしれないが、教会の官と民という言葉を使えば、民が大きく影をひそめていないだろうか。また、アメリカ色が前面に出て伝道や教会のイメージ向上に望ましくないのではないかと感じている。)
ノート:[自律=何らかの文化領域が他のものの手段でなく、それ自体のうちに独立の目的・意義・価値をもつこと]
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当ブログ 2006/05/30 モルモン教会に部族的特徴 (ヴァン・ビーク教授)
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本部からの指示まちでは日本の教会は発展しないし、福音の喜びを享受できないでしょう。
ちょっと発言(私の記事)が冷静を欠いているように感じられ、偏った言い分に聞こえるかも知れないと気にしていました。それは、なぜかの部分が丁寧に説明できていないからです。また、日本人側の努力や協調体制の部分に触れずに書いていることもあります。
「なぜか」の部分、整理できたら書き足そうと思っています。
指導者が、十分育ってないこと
命がけで、(たとえ身内の不幸があろうと)働くという強い使命感、
現在では特に公(教会員)より私(家族)を大事にする風潮、
バランスの取れた人生という言い訳
無私の奉仕の精神の欠如(伝道目的ならやる)
教会員生活が生活の一部になっていない
エネルギー大量消費型の宗教行事(特に地方では)
新プログラムや組織編制は変わるが人間教育ができてなければ、変化はないということに気づかない指導者たち
喜びの欠如した教会員生活
日曜日以外は教会員と合うことは皆無(生活と宗教が乖離している)
日本人として教会員生活に誇りをもっていない
等々の問題が挙げられます。
NJさんこの投稿に問題あれば削除してもかまいません。
本質を見る、無力感・諦観に陥りそうになっても自分を取り戻して、道を求め努力する、そうありたいですね。
残念ながら世界的に見てもLDSは歴史が浅く、経験も浅いよちよち歩きの教会です。
空中分解する前にもう悪あがきは止めて、歴史ある大きな教会との協力体制の道(未知)を選択しては如何かと思います。
LDSが他の教会との協力体制をとっても私は非難致しませんし、神もそう願っていると....
参考まで、
LDSの初期の指導者はプロテスタント教会出身だそうです。
・ジョセフスミス....メソジスト
・ブリガムヤング....長老派
ご健闘を祈っております。
NJさんの見方は、大方においては当たっているかもしれませんし、確かに四川省の地震の際は少なくとも私の周りでは全く何もありませんでした。しかし以下の文については、言い過ぎです。より具体的な根拠を示されるべきかと思います。どこから集められた情報を元に言っているのかは存知ませんが。
「特に東日本大地震以降の目を見張る支援活動は、完全に米に本部があるモルモン教会が行なっていることで、日本のldsはその窓口を務めているに過ぎない。仲介しているだけである。資金力から言っても、物資の種類、数量の判断、決定を誰がするかも、要人来日も、全てそのことを物語っている。資金力一つを考えても日本人のldsは沈黙するばかりである。」
NJさんは、地域会長会に取材されましたか?
事が起きた時に地域会長会が管理監督会に、どのような要請をしたかご存知ですか?スティーブンソン会長はバートン監督からお声がかかるまで何もしなかったのでしょうか?何が、どこで、如何程必要だ と要請しなかったのでしょうか?
日本中の会員が人道支援にチェックをつけて献金し、総額いくらになったのかご存知ですか?
横浜ステークでは、昨年から先月までの間にステークとして5回のバスツアーを組んで東松島等にボランティアに行きました。毎回3台から6台をチャーターして。もちろん地域会長会や福祉部からステーク会長に奨励はあったかもしれませんが、会員達で発起し、行先の選定や現地の被災者団体との調整、企画は全て会員で行いました。ただ単にボランティアセンターから言われるままの作業ばかりではなく、必要を聞き出し、炊き出しや地元の団体と一緒に企画して運動会、クリスマス会、キャロリングをしながら仮設住宅を回り、毛布等を配ったりしました。能動的に。
ご賛同頂いた、会員でない家族や、友人の参加も多数ありました。ウチの娘も中学の友人を誘って参加しました。
同じような取り組みは町田ステークや武蔵野ステークでも東京ステークでも行われたと思います。
またPBOがセッティングした毎週の被災地へのボランティア定期便には、私の周りでも何人もの会員が個人的に、会社を休んでまたは週末に参加しました。
申し訳ないですが、「仲介しているだけ」「沈黙するばかり」とは全く当てはまりません。むしろ無責任で、失礼な発言ではないでしょうか。
この表現のままで、それが総括とされて本か何かに載るとしたら、それは日本中の多くの会員感情としては、決して支持されるものではないと感じます。
もちろんトップダウンもありますが、ボトムアップもあるのです。
申し訳ないですが、NJさんとその周りに無いだけではないでしょうか?
確かに全国的には、特に地方は沈滞ムードが支配的なのかもしれませんが。
横浜ステークでは、「復活祭の早朝礼拝」や、「伝道の祈り会」(日本奉献を記念した集会)は毎年伝統的に続けられています。指示されたのでも、手引にあるのでもなく、何十年間もローカル会員が自主的に続けています。
クリスマスにホームレスに炊き出しをするステークもあります。
毎年病院へのキャロリングを続けているワードもたくさんあるでしょう。
有志によるメサイヤコンサートは有名ですね。
現在では、例えばこれらのように、全く自由にあらゆる活動をワードを上げて取り組む等を、伝道計画というものを作成し、取り組むよう手引で指導されています。
広報で取り組んでいる全国高校生英語スピーチコンテストは、東京の広報がまとめ役になってやっていますが、これは一つのモデルであって、実はこのような活動を各地でドンドンやっていいのです。
はたまたこんな動きもあります。NPO法人国際教育研究会IERSというのをご存知ですか。
www.geocities.jp/daiendow/npoiers/EFYchirashi.pdf
http://eego.byu.edu/Documents/IERSNEWS5-1.pdf
とにかくNJさんが言う「民の動き」はございます。
それらの活動や動き、働きを取り上げて、教会内外に発信、共有する為に各ユニットに広報担当者が召されているはずなのですが、機能していないところも多いかもしれません。
問題なのは、ご指摘の通り、先頭に立ってドンドン新しい企画や活動を地元で行う力量のある指導者が少ないことです。ほんの一握りでしょう。
そもそもステーク会長やビショップに課せられている期待役割は、それ以前のところにもありますので。毎週の集会を充実させるどころか「こなす」ことでせいいっぱい。欠席する日曜学校教師の穴埋めに追われ、悩める会員との面接、新会員を落とさないようにすることで忙殺されている方も多いかと。
そして、そうこうしていくうちに、疲れ果ててお休みになって行く。
現在日本を担当しているオークス長老は、日本の会員の過度な負担を気にされて、例えばHTについても「必ずしも訪問でなくても、通信でもいいから」等の発言が記憶に新しいです。また日本人で伝道に出る人の数がなかなか増えていないことも危惧されています。日本の将来を左右する大きなファクターです。
長々と出過ぎたことを書いてしまいましたが、ちょっと「言い過ぎ」ではないか思いまして、つい黙っておれませんでした。
愛読者の一人NNより
私自身は、東北へ行こうという気力さえ起きてきません。
今日は、地元の奉仕作業で、未舗装道路の草刈り、川掃除、川の崩れた箇所の修繕等を地域総出で行いました。普段から田、山、畑が荒れないように、個々人が努力されています。そのような働きがあって日本の国土が保全されているのです。
今日は安息日ですので、熱心な教会員なら前日とかに自分の割り当て以上のことを行いました。でよしとするのですが、出会い仕事は、みなで協力するところに意味があるしとても前日にやっておくというような仕事量ではないのです。
地方は教会だけでなく世間でも働き手不足です。でも東北ほど目立たないので、援助の手は簡単に入ってきません。
教会の指導者は、集会を運営することで手一杯です。宣教師達の類稀な信仰と証によって毎年数人の方がバプテスマをうけて教会員になられますが、宣教師と教会員のギャップを埋めることがむつかしくドロップしてゆきます。
残っているのは大変熱心で空回りする会員、何も考えない会員、私のような傍観者てきないいかげんな会員、等だと思います。
私の感じですが、地域70人以上のポジションの方や専任宣教師から福音に対する熱意を良く感じますが、ステーク会長レベルになると、仕方なく召しを果たしている感じの方もいらっしゃいます。(千人宣教師の中にもいやいやの人がいる)私のビショップは、最近特に疲れているようです(私が原因?)
実際にビショップになると、会員の問題についてみたまをうけて助言することが、できると思っている指導者もいるようですが、無理なこともあるのです。
実は20年前の私です。基本的な能力が欠如しているのに支部会長をしていました。今でも能力はありませんが、能力がないことをはっきり知っているのが20年前と違うところです。もう二度とビショップ等の召しをうけないでしょう。
盲目の人が他人を目的地に連れて行くのは不可能ではないけど大変困難です。
私の考えていることを述べました。どうもありがとうございました
(私のNNさんへのレスが遅れていますが、そのうちコメント予定です。)
たまたま、昨日ワードでその話を聞きました。
教会から交通費と昼の弁当を支給するから、ワードから5人ずつぐらい動員して客席を埋めるって話ね・・・。
アホとしか思えん・・・。
それがどこかの時点で全国規模の規格化され、資金も投じられて今の形になっていったように理解しています。(その過程である独自に企画していたユニットの催し[スピーチコンテスト]が途中で消えて気の毒に思ったことがありました。柳井の話。)
大体出席するのは参加者と身内くらいで限られているので、異例の出席奨励の案が豚さんに食いつかれた。豚さんが仲間を引き連れて応援に駆け付けないからこんなことになるんちゃう?英会話は教会にとって伝道の大事な活動なのに。松山は十分人が来ていた。
英会話、スピーチコンテスト、災害救済支援、社会的弱者への支援・・・。
それを、教会の財力と人的資源で行う事は良い事だと思います。それを通じて結果的に教会の事が世に知られて、福音が広まる事も、良い事でしょう。
ただ、それが教会の勢力拡大が目的なら、本末転倒ですね。
スピーチコンテストに、教会の献金を使って、さくらを送り込むなんて言うのは、全く発送がアホとしか思えません。
どうしてそんなことまでして、会場をいっぱいにする必要が有るのでしょうか?
英語の全く分からない人が、あくびをしながら席に居ても意味が無いと思います。
会員を動員してるのに、スピーチコンテストの事を、英会話では、全くPRをしていない、と言うのも一貫性をかきます。
席が埋まらなくても、来ている人が楽しめたり感動したりする会だったらそれで良いじゃないですか。
会員の納めた献金を、さくらの交通費と弁当代に使うのは、やめて欲しい、って思います。
経費を負担してまで席を埋めようとするのは、確かにおかしいと誰もが首を傾けるでしょう。「発想がアホ」と言われても仕方ないかもしれません。アメリカ人も(担当の指導者も一般の在日も)苦笑するかもしれません。地元(日本人)の発案かもしれないと見ています。
あるいは、もっと会場に足を運ばない日本の会員がふがいないのではないかと思われます。
献金が使用されているのではということについては、什分の一と事業収入など他の収入が別勘定になっていると思います。
スピーチコンテストはスピーチの原稿が日本語に訳されていて、分かりやすくなるよう準備がなされています。出場者の表情や努力がくみ取れるのも見どころと思っています。語学を含めて文化、教養、相互啓発などの面で価値のある催しになっています。
山口に住む読者(ENさん)からNNさんのコメントへの返事は?と聞かれました。遅くなりましたが、ここに短いですが返事を書きます。結論から言って「言い過ぎ」であると取られても仕方がない部分があったことを認めます。東北大震災に対して関東を中心とする日本人側の積極的な働きがあったことをしっかり受けとめなければならないことは指摘されたとおりです。懸命に動いた方たちに失礼があったことと思います。間もなく出版しようとしている拙著では文面が「言い過ぎ」にならないよう気をつけます。私が中枢である取材対象になかなか接近できていない点は小生の大きな制約であり不足とするところです。・・ところで3.11のために特別に献金する件は、ハルピンから電話で妻と金額を相談して私共としては高めの額を納めました。全国の日本人による総額を知りたいところです。・・関東における積極的な、日本人発意による褒むべき自主的働きが数多く行われていることは心強く、嬉しいことです。時間を割いて投稿してもらえたことを改めて感謝します。
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