[カタールドーハのスーク(市場)。中央の建物はイスラム文化センター。]
3月21日、LDS教会の高槻・茨木ワードが宣教師の発案で催した、「各国文化の夕べ」で中東の文化紹介とイスラム圏に対する私の思いを短く紹介した。
イスラム教徒(ムスリム)は世界の人口で占める割合が増加中である。アジア、特にインドネシアで増加しており、日本でも実習生・研修生の名で増えている。
イスラム教と教徒ムスリムに関心を持つ私は、昔東京のイスラム教センターを訪ねた時、懇談したイマーム(イスラム教の長老、聖職者)からあなたにムハンマドという名をあげようと言われたことがあった。私はイスラム教(徒)に対して偏見を持たない。むしろ、理解し同情の気持ちをいだいている。そしてできることなら支援したい気持ちでいる。ベツレヘムのパレスチナ人が作るオリーブ石鹸を使ったり、アラビア語を独習しているのはその一環である。中東のムスリムはアブラハムのもう一方の子孫であると考えられている。事実、アラビア語とヘブライ語は姉妹関係にある。
しかし、目にする報道は、中東各地で生じている紛争、内戦、そしてその結果子供を含む市民が悲惨な境遇に陥っていることである。外部の正義感・善意に満ちたジャーナリストや研究者がなんとか改善の処方は?解決策は?という気持ちで臨んでも、時間の経過と共に結局お手上げの状態に陥っている*。本質的な諸問題は彼ら自身が解決しなければならないのである。
* 中東問題の権威内藤正典(同志社大)は「35年間イスラムを研究してきて、イスラム圏がいい方向に向かう兆しが全く見られない」と語った(2017.06.24 於高槻)。
結局、遠く離れて日本に住む私たちは、中東における事態の推移に関心を持って注目し続けるしかない。私としては、理解ある見方を持ち続け、いつか好転する日がくればいいのにと念じながら見守る姿勢でいる。
[出席者は英会話に来ている人たちと教会員合わせて約50人。発表は英語で行なわれた。私はクーフィーヤと呼ばれるスカーフをかぶって出演。ナンも少し持参した。]
付表 アラビア語とヘブライ語の類似 例
Arabic | Hebrew | 意味 | ||
1 サラーム سلام | シャローム | שָׁלוֹם | 平和 | |
2 アナ― | أنا | アニー | אני | 私 |
3 アブ | اب | アブ | אָב | 父 |
4 ウンム | ام | エム | אֵם | 母 |
5 ブン | بن | ベン | בֵּן | 息子 |
6 マー | ماء | マイム** | מַיִם | 水 |
7 マー | ما | マー | מֶָא | 何 |
8 ヤド | يد | ヤード | יָד | 手 |
9 キターブ | كتاب | クターブ | כְתָב | 本 |
10 バイト | بيت | バイト | בַּיִת | 家 |
**マイムのイムは複数形を表わす。
モルモンは正当性を主張しつつ、伝統的キリスト教のことを幾つか人の誤りを含んだ、それでも神の教会の範疇と考えており、その楽観性から、今は無理でもいつかは手を取り合える間柄になれると信じている。
モルモンはイスラム教を尊重すべき神の教会であるという認識を持っていて、時にはモルモンの礼拝堂を時間差でモスクとして提供することまでやっているようです。
イスラム教は宗派も原理主義から何から色々だと思いますが、モルモン教についてどう思っているのでしょう?
ただ、三つ並べたのには豚なりの意味が有ります。
と言うのは、「ムスリム」とは言いますが、同じような使い方で「キリスト」とは言わないですね。言うとすれば、「クリスチャン」かな?
>イスラム教徒(ムスリム)
って書いてますが、「ムスリム」は単に「イスラム教を信じる人」って言う狭い意味には感じません。
同様に「ユダヤ」は「ユダヤ教を信じる人」と言う意味では無いですよね。
単に宗教だけではなく、その文化、歴史、習慣、社会、そして国家、そんなものを全部含んでしまうんじゃ無いでしょうか?
モルモンも、ジョセフスミス以来、その方向を目指しているのでしょうが、まだ、その域には至っていない様な気がします。
私は、宗教は人間一人一人の心の中の存在であってほしいと思っています。
宗教があまり強く、その集団社会と密接に繋がってしまうと、どうも良い方向には向かわない様な気がします。
宗教の教えは、個人の心の中に有って、その人を内面から支えるものが望ましいと思います。
宗教がその国家や集団の意志に成り、規則に成ってしまうと、どうも楽しく生きにくい気がします。
ムスリムもユダヤも、一個の人間同士なら、それぞれの信仰を尊重しつつ仲良くやれるのでは・・・って思うのは、日本豚だからでしょうか?
モルモンでも、「モルモンはこうあるべきだ!」と言う感じで、押して来られると、どうも息苦しくなります。
とりあえず、思うのは、宗教理念が原因で、互いに血を流すのは間違ってる。
>イスラム教徒がモルモンをどう思っているか
ですが、ほとんど知らないか、無関心なのではないかと思います。時に研究者やユタ州に留学で来ている人たちが、似ていると発言し、親近感を持つようです。(BYUの雑誌記事による)。
逆に末日聖徒がイスラム教をどう見ているかと言えば、表向きには古くは説教集(Journal of Discourses), 最近では1978年の大管長会声明に窺えるように、理解を示し尊重する姿勢でいます。リアホナ2018年4月号にもダニエル・C・ピーターソンの記事が出ています。
しかし、一般には日本を含む先進国に見られるように、イスラム教徒を疑問視、異邦人視し、敬遠していると思います。そして理解・尊重する一握りの研究者がいる、という構図だと思います。
豚さん
まだまだモルモンが並び得ないという指摘に同意します。
日本は中近東とも比較的良好な関係なのでしょうが、十字軍以前から不可思議な争いが絶えないですね。
いわゆる西側としては最新テクノロジーや経済システムと引き換えに原油をはじめとする資源と交換している気だろうし、移民も含めて民主的な価値観を要求している。
イスラム圏としては宗教的価値観には踏み込んでほしくないだろうし、様々な約束を反故にされてきた歴史がありますからね。
個人的にはイスラム諸国は民主化して西側と歩調を合わせて平和な世界を築いて欲しいです。
そうなってもイスラム教はそれを包含できる懐の深い宗教だと感じます。
とりあえず、宗教の自由はあってしかるべき。
期待するだけ損だとは思います。
国民国家という近代の産物もあり得ないので
カリフを頂点としたウンマを復活させるのがムスリム全体の
悲願だと解釈しています。
ムスリムが世界人口に占める割合を今後も増加させていくと
西側の築き上げてきたシステムを覆すことに至るのは
時間の問題でしょう。
とはいってもムスリムも一枚岩ではないので
発言権が増しますが、中東の混迷は変わらないでしょうね。