[誰も孤島ではなく、誰もひとりで全てではない。ジョン・ダン]
モルモン書のレッスンを用意していてちょっと注目した個所があった。「人の戒め」(precept of men, イザヤ29:13) であっても、聖霊の力によって与えられたものがある、と読める聖句が第二ニーファイ28:31に加えられていることに気付いたからであった。この「戒め」precept は「教え」(D&C昭和訳 45:29) と訳されたことがあった。
この部分、試訳・私訳を試みると次のようになる。IIN28:31:
「彼らの戒めが聖霊の力によって与えられたのでなければ(聖霊の力によって与えられた場合は除いて)、人の戒めに耳を貸す者は呪われる。」
なお、現行訳は次のようになっている。2009年平成改訂訳。
「聖霊の力によって与えられる訓戒ではなく、人の訓戒に耳を傾ける者はのろわれる。」
上の試訳のコンマまでの部分が略された形になっている。現行訳は明治訳、昭和訳、平成訳と同じである。それに対し2008年中国語訳、L.M.Anderson訳は上の試訳を支持する訳である。
いずれにしても、「戒め」を少し転じて「人が言うこと、教え」と取れば、学術的に研究を進める人たちの言うことであっても霊感によるものであれば耳を傾けてよい、と研究者を援護する言葉に取れる。(読者が霊感によって正しいと感じる研究者の言葉も含まれる。)このような補足の言葉がモルモン書に添えられていて注目した次第である。
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BofM IIN28:31 “Cursed is he that … shall hearken unto the precepts of men, save their precepts shall be given by the power of the Holy Ghost.”
L.M.Anderson “Cursed are those who … listen to people’s teachings (unless the power of the Holy Ghost has given them those teachings).
摩尔门经,「凡听从世人教训的必受诅罚,除非那教训是借着圣灵的力量而赐予的。」
それがわかれば、のろわれたという結果で、原因の教えが霊感されてなかったと・・・
或いは、のろわれてない状態をキープしてきているとか??
教会の本部がソルトレークにあって、ミズーリ州ジャクソンでないことは一種ののろい??
この世的な教えと思ったら『霊感を受けています』
どっちが正しいのと聞いたら『自分で考えろ』
だから自分で考えたら『出ていけ』
そりゃ定着率も2割切っちゃうよなぁ~
キリスト教には人の教えが入り込んだのだ、それは明白だ、大背教だ、大背教だ、と根拠のない非難をキリスト教会に浴びせかけ、勝手に回復されたキリスト教会を作り上げ、生ける予言者を頭に頂きながら『間違いを言う自由はある』だって?
そりゃあ、キリスト教会からいろいろ言われちゃうかもね~♪
「私は霊感が強い」って言う芸能人が沢山居ますよね。
そんな人の話を、皆さん信じているのでしょうか?
霊感による投資話に乗って損をすると、決まって「詐欺だ!!」って訴えるんですが。同じ霊感による投資話でも、得をしたときは、「詐欺だ!!」って言う人は居ないんですよね。
と言う事は、霊感によるものか、嘘八百かの違いは、損得に有るのですね。
その預言により、得をした人は、「神のお告げ」だと言い、損をした人は「詐欺だ」って言うわけです。
私も、預言者だろうが、詐欺師だろうが、どちらでも良いんです、要は「それで幸福になれるの?」って事だけですね。
良い歳に成ったら、私も預言でもしようか?
この「のろわれる」というのは、禁止の表現「・・してはいけない」であって、文字通り、のろいを受けるという宣言や予告ではないと思います。ちょうど山上の垂訓で「・・は幸いである」という表現が勧めであるように。
英語では冒頭に Cursed are ...; Blessed are ... ときて一種の修辞表現だと思います。
大管長でも教義について学者に質問したりするわけで・・・。
高級ブランドを買いまくってだっさいおばさんもいるのと対照的に、数千円しか手元になくても、リサイクルショップでしかも短時間でエレガントにまとめられる人もいる。
すばらしい聖句や預言者の説教を沢山暗記していても、聖霊の導きを求めずに、結果的にその人にとっては呪いにしかなっていない残念な人もいる一方で、入会したばかりで、この世の知識は豊富でも、聖句のお勉強はこれからでも聖霊に満たされてすばらしい証しを述べられる会員だっているのと同じようなものでしょう。
律法学者の使う律法の一つ一つはそんなに悪気はなかったのに、心が悪かったために結論として新約の律法学者は呪われてしまいました。
は、反対語的なんでしょうかね、とすれば、してはいけないのをする --->> 人の教えに聞き従う --->> 不幸になる、祝福されない、みたいな。
罪の宣告下にある、教会の本部がソルトレークにあって、ミズーリ州ジャクソンでないことは恵まれてない、不幸なのだ??!!
入会したばかりで、聖句のお勉強はこれからでも、この世の知識と経験が豊富なために、聖霊に満たされてすばらしい証しを述べられる会員だっているのと同じようなものでしょう。
豚さんじゃないけれども結果よければすべて良しでしょう。
仮に土地にこだわってジャクソン郡にとどまっていたら、いずれ発生したであろうマウンテンメドーのような虐殺事件が発生して、そうなったら、軍事バランスと地形から考えてたちまち騎馬隊に取り囲まれて、お取り潰しになってたわけであって、そうなったら本拠地どころじゃなくなっていたと思われます。
JJJ!さすがモルモン書の翻訳に携わったNJさん。
これでいい。いや、これがいい。by 荒巻 太一
PBOのお偉いさんでティナ・タナーなどのアメリカンロックが大好きな女史がいまして。。若い女性のステーク会長などを歴任していらっさるのですが、責任上霊的な音楽を推奨します。
昔、霊感された音楽とは賛美歌かクラッシックみたいな雰囲気がありましたが、ベートーベンもモーツアルトも人格的にはどうかなと。。
かつての悪魔の音楽ビートルズも今や牧師さんのコーラスグループがリスペクトする時代。
豚師匠の言葉も霊感されていると言えないことはないかもしれないことはないかもしれなくもないかも。
>コーラスグループがリスペクトする時代。
素晴らしい!オムナイさん、なんとも御霊に溢れる当てこすりですね。
こんな風にチョロっとしたところでも、抜け目なくしっかり皮肉を忘れない、いやぁ霊感に満ちています。
ベリー姉妹とか入江兄弟とか音楽活動している末日聖徒がおられますが、某教会幹部の中には『福音のメッセージに流行音楽風のメロディーを乗せて歌う一部の末日聖徒がいるが霊的とは思わない』と述べた人がいるんですね。
オムナイさんの霊感あふれるいやみな発言が大好きです。これからもどんどん発言して末日聖徒の評判を高めて下さいね。応援しています。
薬を飲まなくても、どんどん霊感が湧いてくる人間もいるようです。
そう言う方には、今は良い霊感抑制剤が出ているようです。
リーハイも今だったら、家族による強制入院だったかも知れませんね。
以前に、「私は世の人々を幸福にする方法を見つけた!」と言いだした人が居まして。(実在の人物です)
その人は、公務員だったんですが、「私は、公務員なんてやっている場合ではない、この事を世の中の人に知らせなければいけない!!」と使命感に燃えて、公務員を辞めて、その教えを広める活動を始めた。
その時、家族は、「この人は頭がおかしくなった・・」って思って、病院に連れて行き、専門医と相談して、強制入院に踏み切った。
ま、その人は、知恵を絞って、何とか病院から出て、その体験談を本に書いて出版した。
あまり売れなかったようですけど。
皆さんは、この事例をどう思いますかね?
その人は正常だったのか?正常じゃなかったのか?
私は、会って話もしたのですが、ごく普通の人でした。
もし、もっと強烈だったら、今は何処かの教団の教祖様に成っていたのでしょうが、そういう噂も聞かないところを見ると、やっぱり正常だったのでしょう。
私は、霊感を受けると言うのは、「狂気の沙汰」だと思っています。
誤解を生むかもしれませんが、イエスも「狂気」で有って、当時の祭司やパリサイ人などは、常識人だったのでしょう。
しかし、後の世の支持を集めたのは、イエスの方だった。
そう思うと、クリントンさんより、トランプさんの方が、名を遺すかもですね。
(話が飛んでしまってすみません)
ま、宗教をやるんだったら、「狂気の沙汰」まで行かないと本物じゃないんでしょうね。
近年の預言者に足りないのは「狂気」かも?
塩は、からくないと塩の意味がない。
で、某会員(高等評議員)が私にも話を聞いてくれと勧誘に来たのですが一頻り説明を終えると『このサプリの販売が神様のみこころだと心から証します』だってサ。
シバいたろかと思ったけど、そこは温厚な私、我慢しました。当時のマルチの蔓延は酷かったね。教会の集会の合間に集会所の中で平気で勧誘するのね。まぁ当時のステーク会長がマルチの販売員と言うオチなんですが。
ゼニ儲けのためなら霊感も安く利用されちゃうみたいです。
ジョンレノンは1966年3月に今や僕らはキリストより人気があると述べたことが、大騒ぎとなり、同年の8月に、僕らがキリストより人気があると述べただけで、キリストよりも偉大だとか正しいなんてひとことも言ってないけど、全部悪く取られたんだね、
そしてキリストは今に消えると発言したあの真意はキリストは正しかったんだけど、弟子たちが凡人で、僕から見たら彼らがキリスト教を捻じ曲げて滅ぼしたんだと弁解しています。
福音と共通項があるので、福音に沿ったもの、福音に準ずるものとなる可能性が高いと思います。
時には、純粋な福音の教えより優しいものもあると感じます。
神の導きというものは、人が幸せになるためにもたらされるのであれば、クリスチャンに限らず、いろんなところに与えられると考えます。
福音を知らない人に、なにも神からのギフトがないとすれば、かえって理解に苦しみます。
神の賜物は普遍的なものであると思います。
ですから教会はもっと人の考えというものを尊重する必要もあるかなと感じます。
隠れた宝はこの世の中にも見出せるはずと考えます。
記事冒頭の引用「誰も孤島ではなく、誰もひとりで全てではない」は、いただいたコメントに通じるものだと思います。
周辺の、また過去の人々の知恵や知識に支えられて私たちがある、と言えます。その中には霊感によるもの、沿うものも少なからずあると思われます。
「主の道・・・は人にとって狭いが、人の前にまっすぐであり、門を守る者はイスラエルの聖者である。聖者はここには僕を使われない。またその門を通る以外に、ほかの道はない。そしてその御方を欺くことはできない。その御方の御名は、主なる神だからである。」(2ne 9:41)
基本、教会員は聖霊の賜物を信じているわけで、聖霊による霊感といったものに第一とし重きを置くべきなんでは??
>ジョンレノンは1966年3月に
ジョンレノンさんの思想も基本はLOVE & PEACEで徳高いものだと思います。
イマジンの歌詞ってちょっとな・・と思うところもなきにしもあらずですがヤングモルモンは外連味なく歌いますね。
恥ずかしいTシャツのロゴ来てる日本人のように悪気はないのでしょうね。
リボルバー、ラバーソウル、サージェント・ぺパーズ・ロンリー・クラブ・バンド。素晴らしいの一言。
擁護する気はないけれども、地獄もない天国もない世界とは、それぞれの宗派によって異なっている所詮文字に依存している偏狭な、そういう意味の地獄もない天国もない世界観をとにかく「想像してみてごらん、」と言っているに過ぎないものと思われます。
これはジョセフスミスの啓示の「汝はその何れにも加わるべからず、彼らのことごとく誤れるを似てなり…彼らは人のいましめを教えとして教え…」とどっこいの表現です。
そういうものが無いと想像することは、汝の(少なくとも宗教上の)敵を愛せよと通ずるわけだし、まず汝の目からうつばりを取れにも通ずるメッセージにもなっているわけだし。
また昇栄して天父より全知全能を授かれば、信じる必要もなくなって、「宗教もないのは必然になる」となってしまうわけですよねえ。
言い換えると逆説的表現ですが、神より真理が授かるほど、預言者当人にとってはますます知識は増え、宗教のない世界に一歩一歩近づいていくわけでしょう。
たとえアーティストがいちびって書かいたポエムからでも、真理が含まれうるならばそれも神の御手ではないのか、と思うんですよ。
私も「人の教えも霊感される」と信じております。いや、むしろ霊感とは人の徳高い心の葛藤から生まれる答えだと思います。
信仰箇条の最後を思い起こします。
どのようなことでも、徳高いこと、好ましいこと、あるいは誉れあることや称賛に値することがあれば、わたしたちはこれらのことを尋ね求めるものである。
宗教的なものを説明しようとして普遍化し過ぎると、有り難みが無くなるっちゅう好例になってますわね。
まぁ神も霊感も元から信じてない人の言葉なら、そんなもんかと納得ですが。思い付きでエエ話に纏めようとしてドつぼにハマるっちゅう感じやね。
与えられた本人が自覚がないかも知れないが、教会員はそれを気づくことが許されているので、身の回りにそういうことが無いのか、たずね求めるべきというのがモルモンの信条なのでしょう。
一般に言うところの「思い付き」
預言
一般に言うところの「妄想」