演劇って、見世物であって、お客さんが居て始めて成立するものだ。
なので、当然僕らは、見せるために稽古をし、見せるために本番を迎える。
なのだけれど。
これが大きな自己矛盾なのだけど、「是非見に来て!絶対面白いから!」と人に勧める事に抵抗がある。
演劇に限らず、映画にしろ音楽にしろ、そこには必ず「好み」というものが存在していて、自分が面白いと思っても、人が面白いと思うかどうかはわからないのだ。
なので、「お暇とお金に余裕があったら、来てもらえたら嬉しいです」とは言えるのだけど、「絶対面白いです!損はさせません!」とはなかなか言えない。
自分が作・演出をしている舞台でさえ、「僕は面白いと思うんだけど、皆さんはどう?」ぐらいの恐る恐るなスタンスなので、客演したりすると、その感覚はますます強くなる。
ましてや、参加する作品によっては、「これ大丈夫?」って思う事もあるわけで。
そしたらもう、見に来てもらうどころか、宣伝することだって憚られる。
自分がどうかなあ?と思っているものを、「面白いから!」とは勧められないし、逆にこっちの感覚を疑われかねない。
例え自分が参加している作品でも、ジャッジは厳しく、客観的でなければと思うのだ。
なので、当然僕らは、見せるために稽古をし、見せるために本番を迎える。
なのだけれど。
これが大きな自己矛盾なのだけど、「是非見に来て!絶対面白いから!」と人に勧める事に抵抗がある。
演劇に限らず、映画にしろ音楽にしろ、そこには必ず「好み」というものが存在していて、自分が面白いと思っても、人が面白いと思うかどうかはわからないのだ。
なので、「お暇とお金に余裕があったら、来てもらえたら嬉しいです」とは言えるのだけど、「絶対面白いです!損はさせません!」とはなかなか言えない。
自分が作・演出をしている舞台でさえ、「僕は面白いと思うんだけど、皆さんはどう?」ぐらいの恐る恐るなスタンスなので、客演したりすると、その感覚はますます強くなる。
ましてや、参加する作品によっては、「これ大丈夫?」って思う事もあるわけで。
そしたらもう、見に来てもらうどころか、宣伝することだって憚られる。
自分がどうかなあ?と思っているものを、「面白いから!」とは勧められないし、逆にこっちの感覚を疑われかねない。
例え自分が参加している作品でも、ジャッジは厳しく、客観的でなければと思うのだ。