梅木よしてる徒然日記

人生60歳代からが黄金の時代だとか、我が家は黄金の人生??悪戦苦闘の人生ですが、黄金の人生を目指しています。

御同行!!

2011-07-22 17:04:43 | Weblog

昨日は、土用の丑の日で、ウナギを少しいただきましたが、一回のウナギでは
それほど精がつくとも思えません。

台風が去り、暑さも厳しくなってきそうですが、十分ご自愛ください。

私も夏バテか、昨夜はなんとなくPCと向き合う気がしなく、早寝することとし、
投稿ご無沙汰しました。

お陰で、今朝は5時起床、6時30分に来る新聞を待ちわびていました。
その、愛媛新聞に、小説親鸞が掲載されており、毎朝楽しみに見ています。

菅総理も、日本国のため早く退陣され、88ヶ所参りの残りでもお参りされれば
少しは、心も顔も晴れやかになると思うのですが、中々退陣されそうも無いようです。

菊谷先生の【今日の仏語】『御同行』です。

親鸞聖人はあの階級の激しい封建社会にあって『御同朋』『御同行』とかしづかれ、
『すべての人は平等なり』と宣言された方です。

この驚くべき言動の原点はどこからくるものなのでしょうか。

親鸞聖人は9歳で出家され、比叡山(ひえいざん)に入られました。
以来20年間にわたって、修行に励まれた比叡山は一握りのエリートが集う、
仏教の中心地でした。

当時国際人、知識人といえばその代表は「僧侶」だった時代、優秀な人材が
全国の寺で仏教を学びました。

中でも比叡山は全国の秀俊の集う別格の地でした。

比叡山は今でこそ、坂本冬美が根本中堂で演歌を歌ったりするそうですし、
観光の名所ですが当時は女人禁制、女性は入ってはならない山だったのです。

当時、女人は仏道修行の器にあらず、とお山の仏教では差別されていました。

さらに男であっても、武士や猟師といった、殺生を生業にする、血なまぐさい者は
足を踏み入れてはならないとされた聖地だったのです。

その比叡山での、親鸞聖人のご修行は壮絶でありました。

学問、修行でも親鸞の右に出るものは無かろう、
叡山の麒麟児(きりんじ)と評されるまでになりました。

大曼(だいまん)の難行までやり遂げられています。

ところが心に明かりがつかず、比叡山の日々に絶望されて、
下山されたのは29歳の御時でした。

まもなく生涯の師、法然上人にめぐり合われ、女人も猟師も武士も差別無く、
すべての人を等しく救う『弥陀の本願』にあわれたのです。

かくて、ここに万人救済の無碍の大道がひらかれたのでした。