梅木よしてる徒然日記

人生60歳代からが黄金の時代だとか、我が家は黄金の人生??悪戦苦闘の人生ですが、黄金の人生を目指しています。

大洲人権教育協議会

2008-05-31 09:09:28 | Weblog
 29日 大洲市隣保館で開催されました大洲人権教育協議会の第39回定期総会に出席しました。事業報告で「特別措置法が施行されてから40年近くになろうという現代に、今もって旧態依然たる人権感覚しか持ち合わせていない市民が、少数とはいえ存在することは、社会的弱者といわれる高齢者・身体障害者差別などを含めて、まだまだ人権に対する認識は低く、完全開放にはほど遠いといわざるを得ません。」とありました。
差別解消は最も重要な問題であります。と同時に高齢者や認知症・障害児の方々が平穏な生活が送れることも大切なことだと痛感します。
私は肱川町山鳥坂に行政書士の事務所を持っています。
その事務所が、バスの停留所の二階になっており、それとはなしに停留所で乗り返される方をお見掛けします。高齢で腰は二重に曲がり右手にツエ、左手には持てないほどの買い物袋を提げて・・・、駆け下りて自動車で送ってあげたい・・・後継者はいないのだろうか?いても昼間は仕事でなんとも成らないのだろうか?と心配しつつも、何も出来ません。
できない理由は、言えば言い訳になるでしょう。
NHKおはようジャーナル「夫たちの憂うつ」P186を紹介します。
私は障害児の取材を通して、この悪条件のだらけの厳しい環境のもとで障害児をかかえて生きている親たちの姿から、「生きる」ということの意味について啓示を受けたことがある。
親たちのなかには先天性の障害をもって子供が生まれてきたことに強い衝撃を受け、わが子を殺そうとしたり、親子で死線をさまよう体験をした人も少なくない。
だが、はじめは自分と家族に「不幸」を運んできたとしか思えなかった障害児が、ただただ「生きる」ことだけを目ざして、ほかにまったく欲得勘定なく、ひたすら一生懸命に生きようとする、その純粋そのものの生命存在に心を動かされ、励まされ、支えられていき始めたときから「人生というものが違って見えてきた」と多くの親たちは語るのだ。
ある大手企業の社員である障害児の父親は、その子供が生まれるまでの自分たち夫婦は、会社での出世に強い執着があって、他人より一歩前に出ることばかり考えていたし、カネはいくらあっても足りない感じだったし、妻は妻で何か買うと、すぐ次に買いたい物が出てきて、絶えず欲望に振り回されているような状態だったけれども、障害をもつ子供が生まれてからは、それまでの執着が実にはかないものに感じられ手きた。
と体験を語っていた。それまで通勤途中で見向きもしなかった道端の四季折々の草花を“美しいな”と感じられるようになったり、夕焼け雲に見とれたり、金銭に換算できない価値を貴重なものに感じられるようになったという。
いかがでしょうか。何日か前のテレビ番組でも障害児をもつ若いお母さんが、この子がおなかにいるうちに障害を持って生まれることは、医師から聞かされ、生むか、生まないかの選択を求められたとき、悩みましたが、生むことを選択し、この子の母親になれたことが、今はとても幸せです。と語られるのを夫婦で見ていて私たちだったら・・・どうする。と考えさされました。皆さんならどちらを選択されますか。