実は7月15日~25日まで中国・香港に旅行に行っていました
今日から旅行記をUPしていこうと思っています。
今回も格安チケットを買い、リュックを背負っての貧乏旅行です。
この時期の中国は最高気温38度の猛暑で、かなり辛い旅行になりましたが
お茶で有名な福建省に行ってきたので、美味しいお茶を沢山飲むことが出来きたし
永定土楼で泊まる事も出来て、なかなか良い経験ができました
これから福建省に行く人やお茶に興味がる人の参考になればと思ってます
2006年7月15日
香港からバスで中国・深センに入り、そこから列車で福建省まで行く予定でいる今回の旅行・・・・。
列車・ホテル等、まったく予約していないので、予定通り福建省まで行けるか心配しつつ、成田空港へ到着しました。
今回は香港までノースウエスト航空で行きます。
ノースウエスト航空は、事前にHPで席など確保できるし、セルフチェックインがあるので、カウンターで長々待つことも無く、あっという間にチェックイン終了
時間も余ったので、恒例のカフェクロサッサンで「アボカド&ベジタブル」を食べました!やっぱり美味しい~~
18:30離陸
すぐに夕食。ノースの食事はこんな感じ。
カレーでした。味は・・・普通
21:15香港に到着。
香港国際空港から深センまでのバスの最終時刻は23:00なので、早くバスのチケットカウンターまで行きたいのですが、
イミグレが混んでいて、なかなか外に出られず焦りました
カウンターに着いたのは22:45。かなりぎりぎり。でも何とか間に合ってバスに乗ることができました。
良かった!!これで当日に深センまで行くことができました
←乗ったバス。快適でした!
中国との国境、落馬洲イミグレーション(香港側)まで約40分くらいだったでしょうか。意外と早く着いてびっくり。
一度バスを降りて出国の手続きをしました。(香港に入国して2時間もたたない内にもう出国です)
再度バスに乗り、皇崗イミグレーション(中国側)まで行き、入国の手続きをしました。ここから中国に入り、別のバスに乗り換えて、深セン駅近くのホテルまで連れて行ってもらいました。
(バス会社と契約をしているホテルにしか連れて行ってもらえないです)
私達は麗都ホテルに連れて行ってもらいました。
ホテルに着いたのは0:30ぐらいだったし、深センは治安がそんなに良くないと聞いていたので、他の宿は探さず、このホテルに泊まる事にしました。
麗都ホテル ツイン1泊300元(4800円)
今日はこのまま寝て、明日朝一で列車の切符を買いに行く予定でいます。
移動ばかりで今日は疲れました・・・。
のび太くんのようにあっという間に寝ちゃいました・・・
2006年7月16日
朝起きたらあいにくの雨でした。雨のおかげで過ごしやすいので良かったのかもっ
夜には気がつかなかったのですが、深センの街はとても近代的で「中国」っていう感じがしません
「中国」っていうと、自転車が多くて車のクラクションをいつも鳴らしてるような、そんなイメージだったのですが・・・・。高いビルやファーストフード店が多いし、地下鉄も超綺麗で何だか日本にいるみたいな印象がありました。(いや、日本以上かも・・・)やっぱり経済特区の街なので発展してるのかしら?それとも私が古いイメージ持ちすぎなの
なにはともあれ、陽光ホテルの中にある鉄道切符売場へGO!(ホテルから歩いて約5分)
深センから福建省の永定まで行く列車は1日に1本しか無いです。
何とか硬臥(3段ベットの寝台列車)の切符、1人158元でGET
主人とコパートメントが別になっちゃたけど、取れただけでも奇跡だと思うので文句は全然言いません・・・
深セン発が22:45なので、ホテルのチェックアウトをプラス135元で18:00まで延長してもらいネットカフェへ行きました。
(見た目怪しい雰囲気のネットカフェ。1時間6元)
日本語が打て無かったので、日本語入力ソフトをお店の人に入れてもらい、楽天トラベルのサイトからアモイのホテルを予約しました!
この時、自分のブログをみてruruさんとpot@momさんにコメントの返事を書きました~
この後、街をぶらぶらしつつ、昼寝しつつ、21:30頃深セン駅に行きました。
深センの駅もめちゃめちゃ綺麗でびっくりです!
寝台列車の中はこんな感じ。
3段ベットで、1つのコパートメントは定員6人です。カーテンが無いので、ちょっと女性には厳しいかもしれないけど、上段が取れれば、そんなに恐くないです。
私は上段の切符が取れて、しかもお隣は女性だったので、安心して寝れました
明日の7:00に永定に着く予定です。この日もあっという間に寝ちゃいました。
どうやら、こうゆう旅行に慣れて来たのか、動じなくなってきた気がします・・・・
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2006年7月17日 ~NO.1~
50分遅れで7:50永定駅到着。思ってた以上に何にも無い街でした
これから私達が目指す所は、福建省南部、廈門(アモイ)市から西へ約380kmの永定県、“中国のユダヤ人”ともいわれる客家人たちが住む、土造りの巨大な集合住宅「土楼」です。土楼では一族数百人が共同生活を送っています。永定土楼群は、現在ユネスコの世界遺産登録指定を申請中ということで、登録されてしまう前に是非訪れたいと思い、ここまでやってきました。
ガイドブックには永定の隣街、龍岩を拠点にした方が土楼見学がし易いと書いてあったのですが、永定駅からの方が永定客家土楼民俗文化村まで近い位置にあるし、バスくらいはあるかなぁと軽い気持ちでここに降り立ったのですが・・・。
(永定駅のホーム)
見渡す限りバスが無い・・・。とういうか何にも無い・・・・。
『やばいかも~』と、不安な気持ちを抱きつつ改札をくぐると、永定客家土楼民俗文化村の看板をかかげた怪しげなおじさんが旅行者相手に宿の勧誘をしていました。といっても旅行者は私達二人だけなのですが・・・・
とりあえず、おじさんの話を聞くことにしました。
どうやらこのおじさんは全然怪しい人では無く、文化村の中にある福裕楼の主、林 勤明さんでした。ガイドブックにも載っている有名な土楼の主が勧誘してるのかと、またちょっと怪しいかなと思いましたが、文化村まで乗せてってくれるって言うし、土楼に泊まらせてくれると言うので、とりあえず一緒に行く事にしました
(この車で行きました。1人10元)
今考えると、林のおじさんがいなかったら、どうやって文化村まで行ったんだろうと思います。
今年の旅行はかなりついてる
文化村までの道のりはとてもスリリングでした。地面はボコボコでくねくね曲がった道を猛スピードで走るんです。ぐわんぐわん揺れながら1時間くらいで文化村に到着。。
(福裕楼)
福裕楼は文化村の中の一番奥にありました。土楼というと円形を思い浮かべますが、福裕楼は見た目普通の形をした土楼でした。
(玄関から撮った中の風景)
中はすばらしく良い感じ。5家族30人が生活をしているそうです。
(扇風機、蚊取り線香付き)
部屋も清潔。何と言っても家の人達がとても気さくだし居心地良さそうなんです。
1泊50元(800円)で良いって言うし、ここに泊まることにしちゃいました
(お茶を入れてくれてる方が建文さん)
楼主の甥にあたる林 建文さんが私達の面倒を見てくれました。
彼は普段はアモイに住んでいて、夏休みなので福裕楼に来ているそうです。
(片言の英語と筆談での会話なので、正確かどうかは・・・・??デス)
とりあえずお茶でもってことで鉄観音を頂きました。
「こんな風にお茶を飲みたかったの~」と大感激 さすが福建省!
お茶はとても美味しかったです。
ちょっとゆっくりして、11:30からおじさんの車で土楼巡りをすることにしました。
車は半日で200元(3200円)。
ちょっと高いかなと思うけど、良くしてもらってるので、このくらいは全然払っても良いなという気分になりますヨ。
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2006年7月17日 時々 ~NO.2~
永定の土楼は方形土楼と円形土楼に大別され、何千という数の土楼が点在しています。歴史的には円形土楼の方が古く、客家の伝統的な知恵も円形土楼に結集されています。
円形土楼は、建物が2重、3重になっていて、1階は厨房と食堂、2階は倉庫、3階と4階に100~200の寝室があると言われています。
私達は、林のおじさんオススメの代表的な土楼をいくつか見学しました
(コース) 11:30~17:00くらい時間がかかった
高北土楼群展望台 →承啓楼→河坑土楼群展望台→田螺坑土楼群展望台→田螺坑村→裕昌楼
高北土楼群展望台 (無料) オススメ
かなり急な階段を登ること5分、承啓楼を眺めることができます。
平野に沿って多くの土楼が点々と連なっている様は圧巻!!
風が気持ち良くて、ぼ~~~っとしてしまう場所です。
承啓楼 (入場料 1人30元) オススメ
中国を代表する土楼のひとつで、永定県最大の土楼。切手のデザインにもなっています。
ここの土楼は本当に規模がデカイ!!宿泊可能みたいでした。
田螺坑土楼群展望台 (入場料 1人20元) オススメ
展望台の前に料金場があって、入場料を払わないと展望台には入れてもらえなかったです。
この展望台から見ると、方形楼を中心にして4つの円形楼が取り囲んでいるように見えます。山の斜面に建っていて、棚田の景色もとても綺麗でした
田螺坑村 (無料)
田螺坑土楼群展望台から下りて来て1つの円形楼に入りました。
ここはとても素朴な感じがしました。
丁度料理をしているところを見学できたので、印象に残っている土楼です。
正直なところ、土楼はどこも一緒なので、少ししか周っていないのに、「もういいや」という気持ちになってしまいました。早く福裕楼に帰って、土楼の人達とゆっくりのんびりしたいなと思ってしまい、通常より早く帰宅しちゃいました
夕飯の後は、土楼の子供たちと一緒にお茶の飲みながらテレビを見ていました
9時過ぎくらいに寝たと思います。
ちょっと残念だったのは、みんなと一緒にご飯を食べられなかったことです。
宿泊者用の食堂があるので、私達はいつも2人で食事をしていました。
「一緒に食べたい」と言えば食べれたのかもしれませんが、何だか言えなかったです・・・