4次元から5次元に思考を転換しようとすると、
当然4次元思考の抵抗は避けられない。
私の思考実験はまさにこの抵抗と克服の繰り返しだ。
2日間、強烈な抵抗に見舞われた。
私はこのまま廃人になっていく。誰からも見放され、一人孤独に押しつぶされるだろう。
5次元思考と大層なことを言いながら、そんなものは小さな言葉の遊びではないか。
行き着くところ、私は空間だという。それから先はどうなるのかね。
お前は間違った道を歩んでいる。
「空」だと言いながら、実は何も出来ない人間ではないか。
今までそれなりに生きてきたが、それは公務員という与えられた仕事をこなすだけのことで、自分の力で生きたことなどなかった。
絵を描き続けてきた。それだけが心の支えだが、それとて与えられた職務の隙間で遊ぶ程度のものではなかったか。
いったい、何人の人が私の絵を必要としているか、そう考えると4次元の思考は私の心をずたずたにする。舌を前に突き出し、歯で噛み切るしぐさを繰り返す。追い詰められている。
思考実験をやめろ。大変な過ちを犯している。正常に戻るのだ。
そんな思考が繰り返しやってきて、私の頭脳は怯えと恐れで麻痺し、胸が圧迫され、家族にもまともに目を合わせられない喪失感がはびこる。
こんな生活を一生続けるのか。
私の心はたった一つを除き、ほとんど丸ごと、4次元の思考にまみれていく。5次元など幻想に過ぎないのだ。
苦悩にまみれて生きてきた60年の心そのまま、何の救いもない、もとの木阿弥というやつだ。
ただ一つ違ったのは、5次元の思考実験をしているという意識だけは、心の芯に残り続けたことだ。この意識が、苦悩の中でかすかに心を動かすことが出来た。この苦悩は4次元思考の抵抗なのだという思いが、最後のところで私を踏みとどまらせてくれた。
苦悩が大きければ大きいほど、4次元思考を追い詰めている証しだ。
そう思えると、心のエネルギーが裏返るように変化するのがわかった。
私は苦悩のかたまりを心の中に意識して、それを抱えたままキャンバスに向かった。
キャンバスに砂粒を描き始める。この一粒一粒が今抱えているこの苦悩だ。そう言い聞かせて、その一心で描き続ける。0.5ミリのシャーペンを0.3ミリのものに代えて、丁寧に苦悩をミリ単位の砂に現す。
意識は5次元空間を描き出している。私は空間となって、巨大な神人の体内や私の体内、そして素人の体内に広がっているただ一つの空間に入っていく。
抱えていた苦悩のかたまりが嘘のように消えていく。
残ったのは、存在の持つ充足感と、私の絵だ。
繰り返しやってくる4次元の抵抗は、このように消していく。
何度も何度も、その覚悟はできた。
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