2012年作品(心のかたち)
先日、田村慶子陶展8th「よりしろ」に出逢ったことが、私の心に変革をもたらしたと書きましたが、その状況は今も続いています。
心の状態は水物、明日何が起こるか分かりませんので、あくまで私の一人旅通信として、お付き合いください。
「よりしろ」の表現しがたい形と出逢ったとき、私は5年前に描いた心の世界を思い出しました。
表題の写真もそうですが、
他に、例えばこんな絵です。
「よりしろ」と形が似ているということではなく、
心のレベルが違うという、しいて言えば嫉妬心に近い感情だったのです。
私の作品はすべて「のしてんてん」と呼びます。これは心を意味する造語ですが、そのことが示しているように、私の創作は心を描くということに終始しておりましたし、このブログ自体が、文字による心の探求であるわけです。
心とは何なのか。
40年その問いを続けてまいりましたが、「よりしろ」はそれをはるかに超えていると思わされたのです。
その一つの具体的な答えが、ハル先生に教えられた「魂」でした。
私の創作に魂という視野がないと思わされた一瞬でした。実際に私の追求は心に焦点があてられており、魂を意識することは一度もなかったように思われます。無論魂という言葉を何度も使ったことはありますが、それはいづれも心という範疇で使ったもののように思えるのです。
「心」と「魂」その違いを問えば様々な答えが飛び交います。それほど曖昧模糊とした言葉ですが、誰もがうなずくだろうことは。「魂」>「心」でしょう。
心は、私たちが実際に感じ、思う範囲の中にありますが、魂は、その心を生み出す母体であり、しいて言えばそれは私の提唱する五次元の螺旋そのものを意味すると考えられます。
「よりしろ」が私の作品をはるかに超えているという私の感覚を分かって頂けるでしょうか。
嫉妬はそこから来たわけですね。
なぜお前は、魂に気付かなかったのか!
そう思うと、自分の作品が上滑りする駄作の経験をいくつも思い出します。
しかし反面、私は充足感を感じてもおりました。
自分の根本をこんなふうに見つめることは今までなかったことでした。
そう思うと、「よりしろ」を紹介していただいたガットネロ・松浦さんの洞察の深さに感謝するしかありません。
そんな考えと共に、私の心の探求は、実はこのためにあったのだと思えるようになったのです。
心を探求しなければ、人として在りながら、魂に触れることは出来ない。そう思い至ったのです。
魂に同化するのではなく、人間として魂に向かう。
そのために私たちは、どうしても心を知り尽くさなければならない。人としての能力を100%ひきだすことで魂との統合を果たす。
私のもくろみは、そこにあったのだと、ようやく気付いた訳なのです。
そしてそれは、この4月来「感性と思考」というテーマで書いてきた記事、つまり感性と思考の統合こそ究極の目標だと考えたことと同じなのだと思い至りました。
機が熟していたのかも知れません。
正直に言えば、「よりしろ」の嫉妬心がエネルギーとなって、私の思考が一気に感性を認めたのです。それは心の変革ですね。
つまり、心が魂を受け入れたわけです。その実感が今の私にはあります。
さらにこの、一人旅通信で発信していきたいと思います。
田村慶子 陶展8th「よりしろ」は、大坂 楓ギャラリーで、本日まで
こんにちは!
私自身、よりしろの作品には、
宇宙神霊体を感じておりますが、
同時に、穴のあいた作品には、
石笛やオカリナを連想しました。
石笛は日本最古の楽器、
縄文時代の笛ですが、
合図、信号、神との対話、
神と人とを結ぶ神聖なる楽器とされていたようです。
時代は移り、陶器製の石笛も作られるようになり、
陶器製の石笛は中が中空になっていますが、
よりしろの穴のある作品は中空なのでしょうか
いずれにしましても、
穴から、息を吹き込みますと、
鎮魂の音、魂の音色が響きそうですね☆
今日もどうぞ善き日をお過ごしくたさいませ♪
わたくしなどは、永遠に修行中
これからも精進させていただきます☆
いつものしてんてん力をありがとうごさいます!
感謝感激∞8∞八方拝で^す^
雑談に来ました☺。
『スケールの概念…』が出てくるとワカランちんが発動する私、ですが、あれは事実の写実、で少しイガイガがとれ、今回のお話でまた少しイガイガがとれた気が致しました(笑)。
『スケールの概念…』は私には理屈が勝ち過ぎていて(お前が言うな!ですケド)、飲み下しにくかったようです、どうやら。
スケールの概念は魂、は、スッと心へ来るように感じます。
一般的に『魂』というと、宗教がらみだったり心霊がらみだったり、というイメージが煩わしいでしょうけど。
別に特定の教えとかに限らず、『魂』は人間の生命活動や精神活動に深く関わりがあるように思います。
『心』は『魂』に通じる、唯一の道…では?
ヘボ弟子はそう愚考致します。言わずもがな、でありましょうが。
とりあえず、紅茶でも飲みませんか?
抱きかかえると、乳幼児くらいの大きさと重さ。抱いて鑑賞できるのです。
確かにオカリナの雰囲気もありますね。
魂の歌が聞こえてきそうです。
魂に癒される。
そんな波動を感じます^ね^
一歩引いて、直接自分の心に問いかける場合には重いですよね。
スケールの概念は、その重さを和らげようとしたものだったのかもしれません。
魂に向かうというとひるみますが、五次元という考え方から入って、世界と自分を考えているうちに、魂に行き当たる。
そんな道筋ですね。