気流を呼ぶ龍 S40 号
邂逅展に向けて描いた龍の絵が最後に行き着いた絵ですが、
邂逅展に向けて(気流に乗る) で紹介しましたように、この絵は全興寺住職から「空気」を描きなさいと教えられ、その答えとして、十数年後にようやく描けた作品でした。
「空気」を描く試みは、何年かけても実現せず、半ば挫折して止まってしまったままでした。
それが龍を描くことで、偶然にも解決したのです。
死んだままになっていた空間を、龍が生き返らせてくれたと言っていい。空気が描けた。自分でそう思える作品になりました。
邂逅展の会場で何度も作品を見ていて、ようやくこの作品なら住職にお見せできると思えるようになったのです。
会期を終えて、作品を全興寺(せんこうじ)に持ち込みました。
御住職は快く迎えてくれまして、私が作品の梱包を解くと一瞬様子が変わりました。
この作品はいいというのです。
「空気から龍が出たのか、それとも龍のまわりに空気を描いたのか。」
まるで禅問答のような質問、
「龍は空間の化身です。」
「確かにそう見える」
そう言って、この絵にちょうどいい場所がある。持ってきなさいと案内してくれました。
そこは涅槃堂でした。
御住職は現代美術にも憧憬が深く、ここに安置されている涅槃仏はガラス造形の作家が手掛けた総ガラス製の半抽象的な涅槃仏なのです。上にあるガラスの伽藍は、一粒が般若心経の言葉を表しているのだそうです。
周辺には水が張られ、時と共に色が変化していき、波紋が仏のまわりに揺れます。
この涅槃仏が安置された前に、座敷が作られており結界の向こうは白壁の畳部屋となっています。御住職がそこに龍を架けるようにうながします。
S40号のキャンバスが、まるで測ったような寸法で壁枠に収まりました。
「今朝この部屋を掃除したとき、こんな予感がしました」と一緒に見ていたお内儀さんが不思議そうに言われる。
「水墨画では描けない絵ですね」と御住職が見せたい人がいると呼んでくれた檀家衆。
そんなわけで、ありがたいことに作品はここに居場所を与えられました。
大坂平野 全興寺
近くにお越しの折には、是非お立ち寄りください。
全興寺は平野郷の町おこし運動の中心で、境内はよくテレビでも紹介されるユニークな施設が多く、御住職は自ら子供のために紙芝居をしたりしながら地元に愛される開かれた寺を目指しておられます。
涅槃仏も龍の絵も境内に開かれている涅槃堂にあって、靴をはいたままどなたでも自由に観覧することができます。
おはようございま^す^
驚きました!
全興寺様涅槃堂の
清澄壁面宇宙空間は、
のしてんてん画伯の
気流を呼ぶ龍の降臨を、
待機していてくださったいたのですね☆
これからは時空を超えるおつとめ。
鑑賞してくださるみなさまの
心宇宙に飛翔、究極の安らぎの境地
涅槃へと誘う貴いおつとめ
お喜び申し上げす☆
大寒の朝の歓喜!
感動をありがとうございます♪
合掌
おめでとうございます。
はかったようにぴったりなんてすごい。
『亜弓の表現技術でのマヤの芝居』などとたとえましたけど、そんな比喩、すっとんじゃいます。
でも懲りずに?たとえましょう。
『竜王を倒した。勇者のしてんてんはレベルが上がった』
ドラクエ風。
そして若者は新たな世界へと旅立つ……つうびいこんてにゅう。
倒した、というのは表現がナンですけど。
クリア、程度の意味合いで。
一体になった龍と一緒に、新たな旅を楽しんで下さい✨。
涅槃堂に入らせて頂いてきます。
「気流を呼ぶ龍」に会いたいと思っていましたが
思っていると叶うものですね。(*^^*)
行く前に知らせて頂いたので良かった!
本当にどうなのかはこれからですが、まず膨れ上がっている構想を現実のキャンバスに吐き出さねばなりませんね。
新しい世界にはいる入り口に偶然立ったのはありがたいことですから、納得のいくまで描いてみたいと思いますよ。
三歩あるいてずっこける勇者が三歩目の足を出した。
覚えたての”転ばぬ先の杖”魔法
はたして無事進めるのでしょう^か^
お寺さんの事情が変わらない限り作品は展示されていると思いますので、どうぞご覧になってください。
私は「ほとけのくに」の水琴窟も好きで、曼荼羅の床に坐って時を過ごすのもいいですね。
昨日は伊勢志賀山流舞踊を見せていただいたのですが、身体の動きが空気を震わせるという感覚に気付かせていただきました。
空間と身体(物質)の関係に新しく感じるものがあり、よかったです^よ^
家元さんの名前間違いという見過ごせない誤りをしましたので、再投稿しました。
のしてんてんさんが、
感受なさった通りだと思いま^す^!
私も伊勢志賀山流お家元の
邂逅展でのお写真を拝見いたしましたが、
凛たる精気みなぎるお姿に、感服いたしました
まるで気流を呼んでいらっしゃるようです。
やはり有難いご縁☆素晴らしいです^ね^
ところでわたくしは、
現代の歌や踊りの原点は
古代の神事だと感じています。
全身全霊を天に空け渡し、
歌い踊り恍惚状態で神々と交流、
神々のお言葉を民に伝えるシャーマン!
日本では巫女さんですが、
天皇もシャーマンでしょうね。
伊勢志賀山流にも伊勢が見受けられますが、
伊勢神宮の伊勢は、古代ヘブライ語では、
「イーシュ」と発音
「救い主」という意味だそうですよ。
また人を救う医師、医者も発音が似ていますね。
そもそも伊という文字は象形文字で、
人が手で神の杖を持っているところの象形
伊は神の意志を伝える
聖職者を表しているそうです。
もう不思議がいっぱいなのすが、
クラシックバレエの爪先踊りもそうです。
私もかってクラシックバレエのレッスンをしていたことがあるのですが、あの爪先踊りは不思議です。クラシックバレエのトウシューズは、
19世紀の半ばより始めの頃に作られたのですが、爪先踊りははるかシュメール時代から、
神事として踊られていたようです。
しかも旋回踊りぐるぐる回るのですよね。
いやはや不思議は尽きることがありませんが、
そろそろ失礼いたしま^す^;;
ごゆっくりお休みくださいね☆♪
いつも貴重な記事を
ありがとうございます。
感謝感激!
まかこ 拝
そんな思いを、充分代弁していただいたようなコメントを頂きまして、応援していただいていることを強く感じました。
ありがとうございます。心より御礼申し上げます。
歌や踊りの原点は古代の神事だというのは本当にそうですね。
それを更にさかのぼれば、神たる一人の己にたどり着く。
神事を通して己に目覚めるということもあるのかもしれません。
邂逅展その後のエピソードとして伊勢志賀山流を書こうと思っていたのですが、その際まかこさんのコメントも紹介させていただきますね。
本当に本当にありがとうございます
十数年後に描かれた龍
自分たちのレベルでは 上手く表現できませんが
以前(記事)のシャープペンシルから生まれたアート同様
神がかり的ですね
凄い事です。
きっとそうだと確信しています。
せっかく頂いた命を最大限に生かしたい。その生かす方法は10人10色ですし、そうでなければどこか間違っていると思いますよ^ね^
私から見れば、霧氷の白い世界に逢いに行こうとする心こそ神がかりだと思いますよ。
あの美しい写真集は、その心しか生み出せないのですから。
あんな山に登りたい。
でも学生時代に六甲山(神戸)の積雪5センチの雪にテントも張れないで友人を困らせた私には与えられていない能力なのです。
おたがい、与えられた力を楽しみましょうね。