秋のはな カノコソウ
手厳しい質問がまいりました。今日はその質問にお答えします。
{問}---------------------------------------------------
物質とは何か、物質から心へ等、内容はもっともらしい気がしますが、所々であなたは学者ではない旨の記述をしています。
これは、反論を避けるためとしか思えないのだが、如何?
あるいは、それを認めるとして、
ではあなたは、何に基づいて記事を書かれているのか、それがわからなければ、賛同も反論も出来ない、無責任な散文ということになります。
一体あなたは何者ですか?
-X-
{答}------------------------------------------------------
心にサンドバックを投げ込まれたような質問ですね。
しかしXさんの質問は、まったくその通りでした。公開して論理を書く以上、それは基本中の基本なのでしょう。私にも分かります。
私としては、絵描きによる自己追求という思いをそのまま記述してきたのですが、それは私の勝手な思い込みというものですよね。
その思いに気付かせて頂きまして、ありがとうございました。
まずは御礼申しあげます。
まず、学者ではないというとこですが、
これは私の凡人的発想です。
つまり学者の話しということになりますと、専門的に研究された権威から賜るという感じがあって、つい自分の考えを止めて受け留めてしまうというイメージが私にはあるのです。
ですので、私としては、そういう感じて受け取るのではなく、これを契機に自分で考える、思考体験をしていただきたいという思いが一点。
そして私自身が、学問の体系から外れた気軽さで、自己追求しているものだという表明が、二点目です。
反論を避けるためと言われれば、半分は否定できません。
と申しますのも、これは学術を論じているのではなく、心を描いているものですので、いわゆる学術的な反論は意味がありませんし、私にはそれに応ずる能力もありません。
私はただ、
心とは何かという己の疑問に対して、出来るだけ論理的に、己に分かるように、己に応えようとしているのです。
それはマスターベーションだ。そんなものを人に見せるのか
Xさんの反論が聞えるようです。
しかしそこに私の信念があります。
つまり人はみな同じだということです。
人は個性を持って生きています。一人ひとり違うのが人だというのも私は受け入れますが、心の深い部分で私たち人は同じだという。信念です。
つまり、マスターベーションと言われるかもしれませんが、それを投げかけることで、人の心にも同じ波紋が起こると考えたいのです。
私は自分の心の確信出来たものだけをを、同じと思える人の心の深いところに届けることで、なにがしかの波紋が生まれると信じているのです。
それは私が絵描きだということと全く同じ感性からきています。
絵を見ていただくことで、心の深いところに訴えかける。
五次元思考は、言葉で、心の深いところに届ける。
何を?
己がしあわせを感じるもの。
本物の幸せと思うものをです。
ですので、Xさんの後段の質問ですが、
私の一連の記事は、学術体系に基づいているのではなく、もっぱら、私自身の自己探求によって見えてくる風景の記述だと言えば、ご理解頂けるでしょうか。
ですから、反論や賛同ということではなく、Xさん自身の心の風景を私は共有したいのです。
どうか、私のこの記述(風景)に接して頂いたこのご縁に、Xさんご自身のお心がどんなふうに共振しているのかを観察していただきたいのです。
そしてできればそれを皆様と共に共有させていただいて、ともに心のさらに深いところに進んでいきたいと願うのです。
私の論理に惑わされす、それが何に基づいていて正しいのか過っているのかという思いを巡らす前に、Xさんの心が何を感じ、どんな風景を見ているのかを検証していただきたいのですね。
そして、それだけが、私の記事の中にある真実なのです。
繰り返しになりますが、
真実は私の書いた文字にあるのではありません。それによって広がったXさん自身の心の波紋です。
それが共振か、反発か、Xさんにしかわからない心の真実ですし、人はみなそれどれの心にある、その真実にしたがって生きていくしかない。
その先に至福があると私などは信じている訳ですね。
質問に答えられたのかどうか、心もとないのですが、私の正直な思いです。
その上で、お前は何者かという問いにお答えしますと、
私はおそらくXさんと同じ、ヒトという他はありません。
どこかで、私は探求者と答えた覚えもありますが、
同じ意味です。
なんとなくですけど、お疲れさま、と言いたくなったので来ました☺。
晴れたり曇ったり、春らしい?すっきりしない空模様の昨今ですね。
スケールの概念は写実だ、物質の世界の写実なのだ、で多少のイガイガは取れた気がしますが。
空間、は心……辺りで、反発は感じませんが、不思議だなぁ、と。
いやまあ、前からバクゼンと思っていましたが。
ナンでまた、こういうややこしい構造が生み出されたのでしょうか?
物質にせよ空間にせよ、結局ナニがしーたいねん、とでもいう感じが(笑)。
木の芽や草の芽が光に向かって伸びるような、ある種の本能……なのでしょうか?
…Xさんのおっしゃりたいことはわかります。「絶対的な科学的証拠」が欲しい…理解はできます。”反論の余地のない”という言葉にそれが強く表れていると…。
のしてんてんさんの”受け止め、不足を突き詰め、その上で答えを出した姿勢”に尊敬します!
…私なら喧嘩になっていたかと…。
「真実は私の書いた文字にあるのではありません。それによって広がったXさん自身の心の波紋です。」
科学的に言えば、”真実は自分の認識した物”…これ以上の証拠はないとも想います…。
”火をつければ燃える”
…科学的には燃料の科学的エネルギーが対象へ移動し、対象が分解され気体の物質(CO2など)に変化した~ですが…これは認識しづらい笑
あとこれは…書きたくなってしまったことで。
”「科学が絶対に正しい」と言う事はありません。”
これでも学部ではありますが論文を書いた者として、いわゆる応用生物科学者として。
最悪(※全否定)ですが事実として
「私たちが全てを知っていない以上、絶対の法則なんてない」
…今ある全ての法則が、人類が未知の事実に全てぶち壊されるかもしれない。
昔は病気は”妖怪のしわざ”だったり、体にいい成分が発がん性だったり、論文がねつ造だったり笑…。
絶対としていた証拠である論文が”他の論文でころころひっくりかえることなんてザラ”です笑。
再現性が低すぎて全く意味がなかったり(成功率1%でも論文は書けます…普通に考えて99%失敗する方が真実な気もしますが。”うまくいかない=答え”笑)
一周まわって再び、「自分が信じる認識が真実」かと。
ちょっと熱くなり…長文失礼しました。ただ、書きたく伝えたくなりました…汗
ご一緒に写真も撮っていただきありがとうございます。
ブログも拝見させていただきました。
のしてんてんの考え方、勉強させていただいています。
ありがとうございます!
哲学者は、存在への問に因り人の行き方を答を求め神を理解しようと言うのが宗教。
宗教学者は、信仰により神の存在と神の想像を理解しようとしている。
では、画家は?
神の想像を表現しようとした時に、その物の本質を知りたいと願う。美しさも神の想像の一部だから。それが宗教。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、生きた人を美しく描くために、その本質を知るために死体を解剖して教会から迫害された。
所がどんな4つの力の方程式を求めても、心の方程式が無い。次元を増やしても、時間軸を加えても。対称性を解明しても。
と生意気に思っております。
計算式で出来た絵をのしてんてん様の心は、怒りとともに消し去り、心の形を表現したとblogに書かれていましたね。
これからも心の方程式ののしてんてん様の表現を楽しみにしております。
考えるから複雑になる。
表現しようとするから、収集つかなくなる。
理解しようとするから、意味が解らなくなる。
実のところそんなものかもしれませんね。
だから、頭から先に行ったらいけません。
とりあえず生きる。
そこから意味を探してみるのが一番いい方法でしょう。
疲れたときは考えなくていいし、
混乱したら、寝ればいい。
ある種の本能。
それはとりあえず生きる。そこにしかありませんからね。
そこから答えを見出すのです。
そして、ある日突然
この命は正しい。正しかった。
そう理解して腑におちる時が来る。
その時
全てが見えてくるのかもしれません^ね^。^
「真実」という言葉は、とても魅力的な言葉です。
しかしその実体は、
「科学的に言えば、”真実は自分の認識した物”…これ以上の証拠はないとも想います…。」
という折師さんの言葉通りではないでしょうか。
真実は数学の中にあるという人もいますが、数式で導いた世界は、確かに人間的で恣意的なものを排除したより真実的に見えますが、数学の土台そのものが揺らぐことだってありますよね。
ですから、
「自分が信じる認識が真実」という折師さんの考えに大賛成です。
そうだからこそ、
自分の信じられる真実を認識することがとても大事になってくるわけですね。
すると、思考を逆転させたら分かりやすくなる。
理論を積み上げて、至福(真実)に至る道を考えるより、
今この瞬間が至福であると思い定めて、なぜそういえるのかと考える方が早道で迷いがないわけですね。
もっとも、今この瞬間が至福だなんてとても考えられないという、強い思い込みが、真っ先に立ちはだかった来ますけれど^ね^
寒い日もありましたが、ありがとうございました。
何人かの方と写真を撮らせていただきましたので、あの方かなぁと思いながら書かせてもらっていますが、
当ブログの、ここは喫茶室を想像していただきながら、くつろいで雑談を交わす場所ですので、
気に入って頂ければ、いつでもおこしください。
名古屋の豪華なモーニングサービスはありませんが、お客様同士の交流もございますので、
又のお越しをお待ち申し上げます。
とても素晴らしい言葉ですね。
神を想像するのが宗教だという考え方には、はっとさせられます。
想像することは創造することですから、私たちは結局のところ、心の拠り所となる神を想像(創造)するしかないのですね。
科学、哲学、宗教、芸術
道は違っても、すべて同じ場所を目指している。
自閑さんの言葉には、そんな理解がつながってくる。
私もそう思います^よ^
心の方程式かどうか分かりませんが、私なりに体験した心の風景をこれからも発信していきますので、
どうぞこれからも道連れとなってください^ね^
大変貴重なお時間となりました!
ありがとうございます!
最終日にもありがとうございました。
おかげさまで、ナウイズムの思索は、こうして訪れていただく方々のおかげで深まっていきます。
ありがたいことです。
これからもよろしくお願いいたします。