陸奥のパワースポット

みちのく青森の、自然や神様など、こころ洗われ元気がでる場所を巡る。

睡蓮沼(すいれんぬま)

2014-03-30 16:43:37 | 旅行

 すいれん沼は、八甲田山の湿原のひとつ高田谷地の一角にある。

分水域・傘松峠(1.020m)の東側に位置し、ここに降る雨雪は、

猿倉の沢に流れ、蔦川、奥入瀬川となり太平洋に還る。

 沼名は、泥炭地の池塘に生えるスイレン(ヒツジグサ)に由来する。

 

ヒツジグサ

北八甲田の東西に連なるピークが一望される。

石倉岳、硫黄岳、大岳、小岳、高田大岳。

高田大岳。

プロムナード・テラス、トイレが整備されており、山の泥炭地のありさまを

短靴で観賞できる。

テラスは大きな木道だ。

泥炭地の季節の植物の姿をじっくりと観察できる。

 

海抜約1.000mなので、ここより低い田代平(550m)の湿原植物とは

おもむきを異にしている。いわゆる雪田植物も見られる。

 

サワギキョウ等

ミズギボウシ等

ミツガシワ等

 

コバイケイソウ等

 

ワタスゲ、カバレンゲツツジ等

 

ミツガシワ、モウセンゴケ等

 

ナガボノシロワレモコウ

 

アオモリトドマツ(オオシラビソ)

 

皆テラスから観察・展望できる。

 

 

 

 

 


松見の滝(まつみのたき)   冒険**** 熊***

2014-03-22 14:54:44 | 旅行

 松見の滝は、「日本の名瀑百選」のひとつ。

南八甲田火山群に源をもつ黄瀬川の上流、新第三紀の火山岩(デイサイト、玄武岩)に懸る。

 

 黄瀬林道からアプローチして、初めて視界に壮大な岩肌と二段の滝が

現われた時の感動は大きい。

 松見の滝の「松」は、断崖の頂きに見える

姫小松(キタゴヨウ)だ。

 

 岩盤には柱状節理が見える。

この岩は荒川の城ヶ倉のものと同じだという。

滝の上流には延々とゴルジが続くという。

 

 ルートになる林道は、土砂崩れ等が頻発しているためか、奥入瀬川から

分岐してすぐに通行止めとなっている。

徒歩では片道三時間半かかり、簡単には探索できない。

 

大町桂月の探訪記があったので、参考のため、ここに引用する。

 

『 大町桂月遺稿 十和田湖 』
昭和11年8月1日発行 編著 生出一匡 より抜粋

「松見の瀧」より
・・・・・・・・・午前十時に至りて、『山の神(太田吉司氏)』また来たりて曰く、この模様ならば、佳かるべし。雨を衝くの勇ありや否やと。大いに有りとて起つ。百穂が恵与の真綿を背中に入れて綿入れを借りて着、頭には『ばおり』を被り、脚には『はばき』をつけ、蓑を着る。太田氏先に立ち、一人の男後ろより余を護衛してゆく。
 路なき山を幾度か上下して、黄瀬川の渓流に出たるまでに、一時間半かかりぬ。ここよりは、太田氏の言ひしごとく、四十回、黄瀬川を徒歩する也。左岸に瀧多し。その中にて、鍋倉の瀧といふは、はじめ二丈ばかり奔流し、直ちに噴水のごとく、斜めに飛び上がり、三丈ばかりにして岸壁に当たりて、五六丈の懸崖を潟下す。素人受けのする奇瀑也。
松見瀑、一に黄瀬の瀧といふ。一山全く骨を現し、上は裂けて鋏のごとし。その合する処より一川の水、總束せられて直下す。およそ二十丈、下はまた五六丈の巌を蔽うて下る。この上方の二つに裂けたる巌の山は、姫小松を戴く。後ろを見れば、巨巌天を衝きて、それの頂にも、姫小松生ひたり。このあたりの山々には、松なし。ただここのみにあるを以て、松見の瀑といふなりとぞ。岩質はと問ひば、玄武岩なりといふ。巌に松、而して二十丈の飛瀑といふのみにても山水の遊びに慣れたるものは、既に飛び立つ思ひすべき也。・・・・・・・・

 


縫道石山(ぬいどういしやま)   冒険*** 熊***

2014-03-20 07:27:23 | 旅行

 

福浦。古い地質に囲まれた漁村。

 

 

福浦の南東に見える、烏帽子状にそそり立つ岩山、標高626m、が縫道石山だ。

新第三紀のデイサイト(石英安山岩・石英斑岩)で出来、200mの大絶壁がある。

山名「ヌイドウ」の由来は、①アイヌ語のヌイェ(Nuy-e)・彫刻するの意から、②入道のように

立っている山、③当地方の方言でナメコをヌイドウと言い、ナメコの採れる山  などの説がある。

 

福浦側からの眺め。「これに登れるのだろうか」と思わせる。

 

登山道は、野平・福浦林道の峠から新しい道ができた(平成8年)。

 

登山道入口の案内板。

貸出しの熊よけ鈴。

ここから山頂までは、約1時間。

 

大岩壁が迫ってくる。

かつて、ロッククライミングの練習場になった。

  頂上に立つ。頂上までヒバ(アスナロ)があり、その枝や根を握ったり、

張られたロープをたよりに登る。

 

 360度のパノラマ。野平方向。

 

  福浦の方向。かつては漁業の魚群見張り場で、ゴザを敷いて終日

魚群を眺めたという。

 

 オオウラヒダイワタケ。天然記念物に指定された地衣類。頂上の岩。

この地衣類は氷河期の遺残種で、同じものが北米東岸、アラスカ、シベリア、

アリューシャン列島などで見られるという。

 

 下山して振り返ると、「よく登ったものだ」と感慨がわく。

 

 回り込んで野平高原に出ると、入道の頭に見える。


南八甲田 赤倉岳 赤沼(あかぬま)ーーー冒険*** 熊***

2014-03-18 10:40:04 | 旅行

十和田・八甲田をめぐる火山活動の推移は、

湯ノ沢カルデラ→碇ヶ関カルデラ→沖浦カルデラ→南八甲田火山群

→八甲田カルデラ→北八甲田火山群→十和田カルデラ

の順となるという。

 南八甲田の赤倉岳(1.298m)の東側、蔦川までの間に、山体崩壊、

岩屑なだれによる地形が広がり、せき止めにより、蔦沼を含む蔦の七沼や、赤沼が出来た。

この「流山」地形は現在も動いているとのこと。

 なかでも赤沼は、標高730mにあり、周囲1㎞強、周辺はブナ原生林に囲まれており、別名

ルリ湖と呼ばれ、透明度が極めて高い。

 最深部が18.8mだがその底が見えている。透明度測定円盤で測れないのだ。

摩周湖の28m、倶多楽湖の22mに次ぐとされるが、実際はそれらを凌ぐと見られている。

 

水際のシンボル古枯木は近年ついに倒れたようだ。

 

水の鏡。

崩壊山体を水に映す。

ブナ原生林に包まれる。

 

大径木のブナ原生林の中を40分歩いて沼にたどりつく。

この森でクマゲラが観察された(1977年)。

 白神山地、森吉山とともに、クマゲラ営巣に必須の

背の高いブナの大径木があるのだ。

 

赤沼について、大町桂月の叙述がある。

 

『 大町桂月遺稿 十和田湖 』
昭和11年8月1日発行 編著 生出一匡
蔦温泉籠城記 大町桂月 より抜粋

 

「蠅といふ一友」より
・・・・・・・・・・・大谷勇といふ人、一米国人を伴ひて来れり。大谷氏は秋田県の毛馬内まで汽車にて来り、それより大湯を経て十和田湖を見物し、奥入瀬川を下り、焼山より転じて蔦温泉に来れる也。多くの人は、これより引返し焼山を経て三本木方面に出づるが、大谷氏はなほこれより谷地温泉を経て酸ヶ湯温泉に至り、八甲田山の頂を極めて、青森に出でむとす。これ十和田遊覧に徹底せるもの也。谷地温泉までは案内かたがたとて、共に行く。
 赤沼への岐路に至り、赤沼へ立寄られずやと言えば、幾分かかると問ふ。十分なりと言えばさらばとて応ず。岐路を少し行き過ぎ居りたれば、後戻りせずに、二三十間は草生ひたる処を突っ切る。米人早や辟易して、引き返さむとす。余は既に路に達し居りたり。ここまで来れば路ありとて、手にて招けば、米人来り、路を見て喜ぶ。赤沼に達して、余時計を取り出し、丁度十分かかりたりと言えば、米人余の肩を叩き、君は正確なりとて、喜ぶこと甚だし。
 赤沼は山上の小湖也。横は三四十間乃至六七十間に過ぎざるが、奥行きは五六町もあり。奥に行くに従って横幅も広く、真正面に赤倉嶽屹立して湖を圧す。倉とは絶壁を指す。この嶽、赤沼方面に絶壁を成し、而して巌色赤味を帯ぶるを以て、赤倉と称す。ここより見たる赤倉嶽は金字形を成し、絶壁高く天を衝く。少し前の右手には北峯ヶ手嶽、左手には南峯ヶ手嶽、ほぼ同じ高さにて、赤倉嶽より低く相対して屹つ。あたかも鳥の両翼を張りたるがごとし。湖面波なく、赤倉嶽影を倒にし、その倒影の中に鴨群静かに眠る。
 迂回したる甲斐ありとて米人ますます喜べり。

 

 

 

 

 


田代平湿原(たしろたい)

2014-03-13 15:45:48 | 旅行

 八甲田山の「田」は、湿原であり、泥炭地であり、大小の池塘が散在するところ。

中でも田代平は、標高550m、八甲田カルデラ内

の泥炭地だが、花粉分析やC14分析により、12,000年前

から堆積した古い泥炭地といわれる。

 このカルデラの湖はおよそ10万年前までは湛水していたという。

泥炭の堆積は1年に1ミリメートルほどだという。すると、

10年で1cm、100年で10cm、1000年で1m。基盤まで8m

あれば8,000年分ということに・・・・・・・火山灰層も挟まる。

 木道に立って、山を、湿原を眺めると、

火山や植物や気候の悠久の流れを感ずる。

 

 カルデラ内に崩れたとみられる赤倉岳の馬蹄形崩壊火口を望む。木道から。

 

 北八甲田の中では比較的早く火山活動を始めた雛岳(左)と高田大岳(右)を望む。木道から。

 

 当地の自然環境は、年間雨量2,500㎜、積雪量 最高3m、無霜期間 115日(3.8カ月)、

年平均気温 7℃、泥炭湿地の強酸性土、夏場の冷たいヤマセ気候が強いなど、植物にとっては

極めて寒冷・苛酷な区分に入る。

ミズゴケを主体とする水分を天水(雨、霧等)のみに頼る泥炭地(高層湿原)が展開し、

特有の微地形や、氷期・ツンドラの名残りの植物が見られる。

 

 天水を貯留するミズゴケ。

 ミズゴケなどの植物遺体は、寒冷や強酸性によって分解されずに堆積してゆき、

ブルテ(丘モール)やシュレンケ(水溜り)をつくり、それらの微地形の複合により

池塘も出来てくる。散在する池塘の水面の高さも微妙に差がある。

早春。ヤチヤナギが目立つ。

 

 木道での散策。低い茂みに花を見つける。

 

モウセンゴケとその白い花。「ゴケ」というがコケ類ではない。

 

ヤチヤナギ。 

ヒメシャクナゲ

 

ショウジョウバカマ

 

レンゲツツジ。

 

ニッコウキスゲ。

 

キンコウカ。

 

 コバノトンボソウ。

 

 カキラン。

 

 トキソウ。

 

 サワラン(アサヒラン)。

 

 カオジロトンボ。確かに顔が白い。

 

 初夏。エゾハルゼミ、ウグイス等の声に包まれる。

 ワタスゲの白は花後の綿毛。

 

ワタスゲの花。

 

 

 最終氷期の後期(1.5~1.2万年前)は、下北、上北もツンドラだったという。

以降の温暖化の中で、高山の泥炭地であるために居残ることができた植物もあろう。

 

《参考》

「十和田湖・八甲田山の植物(予報)」 青森営林局  嘱託 村井三郎編  昭和10年  より抜粋

 

①      泥炭地……これは八甲田山の高所における湿地の別称である。絶景の地として世に八甲田山が宣伝されているが、その原因を考えれば、もちろん他に種々の因子があるかもしれないが、アオモリトドマツ林と湿地と山容との三者が互いに良く調和して天下の絶景をなしたものと言っても過言でないと思う。それ程八甲田山の湿地は風景の方からは離すことができない重要なものである。誰でも気づかれると思うが八甲田山の湿地は平地の湿地に比してかなり趣を異にしている。「ツンドラ」というものが樺太やシベリヤの平地に行けば広々と発達していると聞くが、本州では温度の関係で平地には到底「ツンドラ」を生じ得ない。本州の高山は樺太やシベリヤの平地と種々の条件が一致しているから、これが発達する可能性がある。今述べんとしている高山の湿地がすなわちそれに近いものである。この湿地をある学者は高層湿原と言っているが、著者はこれに対して泥炭地という言葉を用いた。

   この泥炭地の特徴とするところは地下に厚い泥炭の層があり、その上にミズゴケを主体として発達した特殊植物の群落であり、中には所々に水溜まりや小池が発達しているものが多い。それゆえ泥炭地を群落的に分ければ、水溜まりや小池の中にある水中植物群と湿原に生ずる湿原植物群とになる。

 植物の代表的な種類としては水中植物に

   チシマミズニラ、ヒツジグサ(俗に睡蓮と称する)、ミツガシワ、コミクリ、イケヒルムシロ

等があり、高度の低い泥炭地には時にキタヨシが旺盛の所もある。湿原植物には

  ツルコケモモ、ヒメシャクナゲ、ミズギク、ホロムイソウ、カワズスゲ、ホロムイスゲ、ヤチスゲ、ミタケスゲ、ワタスゲ、ミカヅキグサ、ミヤマイヌノハナヒゲ、ミヤマホソコウガイゼキショウ、キンコウカ、トキソウ

等を挙げ得る。

 これらは湿地に生じているから好湿性のものと思われることが多いが、泥炭地は一般にPHが4~5位で酸性が強いから、いくら水分があっても植物がこれを利用することができないゆえ、従って植物は乾燥地にあると同じに水分に乏しい生活をしていることとなる。前記の湿原植物として挙げたものは、いずれもこの状態に置かれているから、これらを特に泥炭地植物と称して特別の扱いをしている人もある。湿地植物の中でミズゴケは最も重要な因子であるが、これはIndex Muscorumの部で示すとおり八甲田山には極めて種類が多いものであることも注意する必要があると思う。

 またこの泥炭地で植物がどのように変化(推移)するかと言えば、堀川氏の研究によれば

  ヒツジグサ→ミツガシワ→ホロムイソウ→湿原

の順序だと言っておられた。すなわち次のような事になるのである。

 泥炭地の池沼中で一番深いところに生ずるヒツジグサ、コミクリ、イケヒルムシロ及びエゾミズニラの群落は、池沼の乾燥によって次第にミツガシワに圧倒せられ、ミツガシワの時代が来るが、次にはヤチスゲやホロムイソウがこれを圧倒して置換の状態となる。この時代には池沼の形はなくなり、泥の集まりのようなものとなる。次には次第に泥炭地植物の侵入が可能となって遂にこれらを置換してしまう。

泥炭地の主なものを北から列挙すれば

 田代萢……八甲田山北東部の田代放牧地に散在す

 田茂萢……田茂萢岳頂上付近にあり

 毛無岱……井戸岳の西側にあり、第一、第二すなわち上、下に分かる

 地獄萢……酸ヶ湯付近、地獄沼の東部にあり

 赤水萢……同上、赤水沢の上流部で前者の南にあり

 清水萢……石倉岳の西南部、荒川上流の北岸にあり(新称)

 高田萢……睡蓮沼を含んだ付近一帯の湿地で、高田大岳の西南麓にあるゆえこの名がある

 谷地 ……谷地温泉の東側にある

 横沼萢……逆川岳南側の湖水(横沼)付近

 逆川萢……駒ヶ嶺―櫛ヶ峰の北側、逆川(荒川の一枝川)上流部一帯にあるものの総称

 黄瀬萢……俗に黄瀬田型萢とも称し、駒ヶ嶺南腹にあり

 太田沼萢……乗鞍岳西南腹、太田沼付近

 太田代……南津軽郡竹舘村滝の股沢と上北郡十和田村黄瀬川との中間群界にあり、黄瀬萢の南方に位す

等が算えられる

これらの泥炭地を通覧すると、田代萢と谷地の両者は標高が低いゆえ、他のものに比し、特異点が多く、また櫛ヶ峰―駒ヶ嶺の線以北のものは以南の黄瀬萢、太田代等に比し所生植物にも相違点が多く、かつ泥炭層の堆積が浅いように観察されたゆえ、この両者は生成年代を異にし、黄瀬萢、太田代等は古い時代に属すると言いうるようである。