八甲田山の「田」は、湿原であり、泥炭地であり、大小の池塘が散在するところ。
中でも田代平は、標高550m、八甲田カルデラ内
の泥炭地だが、花粉分析やC14分析により、12,000年前
から堆積した古い泥炭地といわれる。
このカルデラの湖はおよそ10万年前までは湛水していたという。
泥炭の堆積は1年に1ミリメートルほどだという。すると、
10年で1cm、100年で10cm、1000年で1m。基盤まで8m
あれば8,000年分ということに・・・・・・・火山灰層も挟まる。
木道に立って、山を、湿原を眺めると、
火山や植物や気候の悠久の流れを感ずる。
カルデラ内に崩れたとみられる赤倉岳の馬蹄形崩壊火口を望む。木道から。
北八甲田の中では比較的早く火山活動を始めた雛岳(左)と高田大岳(右)を望む。木道から。
当地の自然環境は、年間雨量2,500㎜、積雪量 最高3m、無霜期間 115日(3.8カ月)、
年平均気温 7℃、泥炭湿地の強酸性土、夏場の冷たいヤマセ気候が強いなど、植物にとっては
極めて寒冷・苛酷な区分に入る。
ミズゴケを主体とする水分を天水(雨、霧等)のみに頼る泥炭地(高層湿原)が展開し、
特有の微地形や、氷期・ツンドラの名残りの植物が見られる。
天水を貯留するミズゴケ。
ミズゴケなどの植物遺体は、寒冷や強酸性によって分解されずに堆積してゆき、
ブルテ(丘モール)やシュレンケ(水溜り)をつくり、それらの微地形の複合により
池塘も出来てくる。散在する池塘の水面の高さも微妙に差がある。
早春。ヤチヤナギが目立つ。
木道での散策。低い茂みに花を見つける。
モウセンゴケとその白い花。「ゴケ」というがコケ類ではない。
ヤチヤナギ。
ヒメシャクナゲ
ショウジョウバカマ
レンゲツツジ。
ニッコウキスゲ。
キンコウカ。
コバノトンボソウ。
カキラン。
トキソウ。
サワラン(アサヒラン)。
カオジロトンボ。確かに顔が白い。
初夏。エゾハルゼミ、ウグイス等の声に包まれる。
ワタスゲの白は花後の綿毛。
ワタスゲの花。
最終氷期の後期(1.5~1.2万年前)は、下北、上北もツンドラだったという。
以降の温暖化の中で、高山の泥炭地であるために居残ることができた植物もあろう。
《参考》
「十和田湖・八甲田山の植物(予報)」 青森営林局 嘱託 村井三郎編 昭和10年 より抜粋
① 泥炭地……これは八甲田山の高所における湿地の別称である。絶景の地として世に八甲田山が宣伝されているが、その原因を考えれば、もちろん他に種々の因子があるかもしれないが、アオモリトドマツ林と湿地と山容との三者が互いに良く調和して天下の絶景をなしたものと言っても過言でないと思う。それ程八甲田山の湿地は風景の方からは離すことができない重要なものである。誰でも気づかれると思うが八甲田山の湿地は平地の湿地に比してかなり趣を異にしている。「ツンドラ」というものが樺太やシベリヤの平地に行けば広々と発達していると聞くが、本州では温度の関係で平地には到底「ツンドラ」を生じ得ない。本州の高山は樺太やシベリヤの平地と種々の条件が一致しているから、これが発達する可能性がある。今述べんとしている高山の湿地がすなわちそれに近いものである。この湿地をある学者は高層湿原と言っているが、著者はこれに対して泥炭地という言葉を用いた。
この泥炭地の特徴とするところは地下に厚い泥炭の層があり、その上にミズゴケを主体として発達した特殊植物の群落であり、中には所々に水溜まりや小池が発達しているものが多い。それゆえ泥炭地を群落的に分ければ、水溜まりや小池の中にある水中植物群と湿原に生ずる湿原植物群とになる。
植物の代表的な種類としては水中植物に
チシマミズニラ、ヒツジグサ(俗に睡蓮と称する)、ミツガシワ、コミクリ、イケヒルムシロ
等があり、高度の低い泥炭地には時にキタヨシが旺盛の所もある。湿原植物には
ツルコケモモ、ヒメシャクナゲ、ミズギク、ホロムイソウ、カワズスゲ、ホロムイスゲ、ヤチスゲ、ミタケスゲ、ワタスゲ、ミカヅキグサ、ミヤマイヌノハナヒゲ、ミヤマホソコウガイゼキショウ、キンコウカ、トキソウ
等を挙げ得る。
これらは湿地に生じているから好湿性のものと思われることが多いが、泥炭地は一般にPHが4~5位で酸性が強いから、いくら水分があっても植物がこれを利用することができないゆえ、従って植物は乾燥地にあると同じに水分に乏しい生活をしていることとなる。前記の湿原植物として挙げたものは、いずれもこの状態に置かれているから、これらを特に泥炭地植物と称して特別の扱いをしている人もある。湿地植物の中でミズゴケは最も重要な因子であるが、これはIndex Muscorumの部で示すとおり八甲田山には極めて種類が多いものであることも注意する必要があると思う。
またこの泥炭地で植物がどのように変化(推移)するかと言えば、堀川氏の研究によれば
ヒツジグサ→ミツガシワ→ホロムイソウ→湿原
の順序だと言っておられた。すなわち次のような事になるのである。
泥炭地の池沼中で一番深いところに生ずるヒツジグサ、コミクリ、イケヒルムシロ及びエゾミズニラの群落は、池沼の乾燥によって次第にミツガシワに圧倒せられ、ミツガシワの時代が来るが、次にはヤチスゲやホロムイソウがこれを圧倒して置換の状態となる。この時代には池沼の形はなくなり、泥の集まりのようなものとなる。次には次第に泥炭地植物の侵入が可能となって遂にこれらを置換してしまう。
泥炭地の主なものを北から列挙すれば
田代萢……八甲田山北東部の田代放牧地に散在す
田茂萢……田茂萢岳頂上付近にあり
毛無岱……井戸岳の西側にあり、第一、第二すなわち上、下に分かる
地獄萢……酸ヶ湯付近、地獄沼の東部にあり
赤水萢……同上、赤水沢の上流部で前者の南にあり
清水萢……石倉岳の西南部、荒川上流の北岸にあり(新称)
高田萢……睡蓮沼を含んだ付近一帯の湿地で、高田大岳の西南麓にあるゆえこの名がある
谷地 ……谷地温泉の東側にある
横沼萢……逆川岳南側の湖水(横沼)付近
逆川萢……駒ヶ嶺―櫛ヶ峰の北側、逆川(荒川の一枝川)上流部一帯にあるものの総称
黄瀬萢……俗に黄瀬田型萢とも称し、駒ヶ嶺南腹にあり
太田沼萢……乗鞍岳西南腹、太田沼付近
太田代……南津軽郡竹舘村滝の股沢と上北郡十和田村黄瀬川との中間群界にあり、黄瀬萢の南方に位す
等が算えられる
これらの泥炭地を通覧すると、田代萢と谷地の両者は標高が低いゆえ、他のものに比し、特異点が多く、また櫛ヶ峰―駒ヶ嶺の線以北のものは以南の黄瀬萢、太田代等に比し所生植物にも相違点が多く、かつ泥炭層の堆積が浅いように観察されたゆえ、この両者は生成年代を異にし、黄瀬萢、太田代等は古い時代に属すると言いうるようである。